「兎角に人の世は住みにくい」

「シャワーを浴びながら考えた」という書き出しで今日のnoteを書こうとした。しかし、違う話題が浮かんでしまったので、今日はそちらを書こうと思う。

私は漱石の『草枕』の冒頭、主人公が山を登るシーンがとても好きだ。
去年コロナ禍の初期、巣籠に飽きて初夏の河原を散歩しながら山を眺めていたときを思い出す。浮世を離れ、自然の一部であることを意識する。
この経験から、「自然半分、人間半分」というのが私のモットーになっている。
最も、この言葉は養老孟司からの受け売りだが。

街の中、人の中で生活すると、どうしても視野が狭くなる。頭のなかが身近な作り物でいっぱいになり、眉間のあたりに粘土がへばりついたような重さを感じる。
そうしたときに、人間はもともと自然の一部であり、今だってそれが前提にある、ということを思い出してみる。これが案外とても大事だと気づく。
自然を意識することで、現代の異常性を再認識する。

乗りつつ、引いてみること。これは批評の原則だと誰かが言っていたが、この批評的視点は実生活にこそ必要だろう。というよりもっと具体的に、保身のために不可欠だと思う。
責任感や一生懸命さは成果につながるが、現代においては、ときに自身を滅ぼす脅威になりかねない。そんなとき、自分ぐらいは自分を解放してあげようと思う。急にすべてがどうでもよくなって、でもそんな無責任な自分を受け入れて、生かしてあげられるようなゆとりを常にもっていたい。

自分を高め、成果を出しながら、ときにゆったりと、自分にとってのさいわいを考えられたらいいなと思う。どちらかだけでは虚しいだろうし。

ああ、やはり私は自然を感じられる場所で暮らしたい。植林されていようが人口の川だろうがそれはどうでもいい。植物が、水が、鳥がそこにいるということが重要だと思う。その空間が開けていて、空が大きく、人がまばらに往来する空間が欲しい。


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