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アニメ『ばいばい、アース』の感想──ついでに原作カットによる分かりにくさを全力で補足解説する記事②

はじめに

 今回はカタコーム戦役の5,6話について。最初に言っておきますが今回はカットされた展開と心情描写があまりにも多すぎるせいで長いです。わざと視聴者を振り落とそうとしているのかと思うほど、もしくは最後までやらないから後につながる描写は必要ないと切り捨てたか。

前回の記事はこちらです


第五楽章

 カタコームへ進軍する楽団の描写は想像通りといって良いほど原作の雰囲気が再現できとると思います。隊列と魔方陣よる守り、そして音楽。

もったいないと思ったのが、ベネディクティンが前衛ゴードンを超優先して魔方陣を張り後衛の補助がおろそかになる描写のカット。楽団が一気に崩れた原因もこれです。補助が厚い前衛が突出して隊列が伸びきる→前衛が蜘蛛に遭遇→その救援で両翼を展開→さらに後衛の守りが疎かに→後衛を叩いて外の補給線との分断、というのが原作での一連の流れです。後衛の奇襲をしたのは〈悪〉の剣士で、この時点ではティツィアーノとは共同戦線を組んでいた(正気だった)。

アニメだとティツィアーノだけで戦線が崩れていて作戦っぽさが薄い。変わりに強い・ヤバい奴感は強調されてる。

 子蜘蛛の後にティツィアーノがアドニスを見つけて発狂、暴れまわって楽団が逃散するのはそのままですね。混乱と視界不良でとにかく前に逃げるしかない状況でやむを得ず単独行動をとることになります。

 ここから一番の問題点。キールの「これは居合だ」に続く明らかな情報不足とセリフチョイスのミスが続く

 ゴードン君(腐)の登場。傷口から謎の光のが見えており一見してゾンビみたいな状態だと分かりやすい。ベネディクティンが「血が澱んでる……あいつ、とっくに死んでる」とすぐに断定できたのは水を媒介した技に長けているからですね。ベルが異常に感づいたのは感応力のおかげなのですがアニメでは(ry…

その後の「消さなきゃ…」は果たして意味が伝わったのだろうか。原作読んでないと意味不明な流れになるので無理して入れなくても良かった。

彼女の種族である水族マーメイドは自分の精神を保つために他人の精神を映す性質を持っています。傲慢なゴードンを映しているから彼女も傲慢みたいな。この場合だと、ゴードン(腐)の在り方を映し続けると自分の精神も持っていかれてしまうので防衛本能として漏れた言葉というのが分かりやすいと思います。本来で在れば大人数の心を映してバランスを取るところ、ゴードンだけを映していた為に一発で精神をやられた訳ですね。ついでに、そのせいでお互いの傲慢な部分が相乗効果で増長し今回の突入時の失敗にもつながりました。逆に言えば、ゴードンがそれだけ魅力的だったということですね(マンガ版を読もう)。

ゴードン(腐)の攻撃を両手を広げて受け入れ様とするベネディクティンのをベルが助けるシーンはカットされました。それに伴って死んで楽になろうとするベネディクティンに対する「ゴードンだけを映して生きてきたことによる報いを受け、生きて背負うべきだ」というベルの思いもカットされました。

 ゴードン(撃破後)にキティ(全)が水族マーメイドの特徴を短くまとめて説明していたのは違和感なくてよかった。少なくともゴードンを失ったせいで情緒不安定になったのが彼女の性格というより種族的特徴から来たものだという説明はつく。が、その良いと思ったシーンの直後にベネディクティン最大の見せ場であるベルとキティ(全)に子供の様ににわめき散らして挙句の果てに眠り出す流れがカットされてしまった。ベルとベネディクティンが打ち解ける切欠でもあるので理解に苦しむ。

アニメではギネスと合流後に即座にベネディクティンが声を拾ってアドニスと合流しているが、原作ではベルに抱き着いたまま泣き疲れて寝てしまい(精神を守るための防衛反応)、その後にギネスと合流。ギネスが嗅覚と脚本家としての能力を活かして皆を先導して隠し部屋に到着、ベネディクティンが目を覚ましてベルに茶化されたのちにアドニス発見というようにかなりカットされている。

このカットされた部分の何が問題かというと、ベネディクティンからすれば悪態をつき武器まで向けたのに背負って移動してくれて、変に恩に着せることもないベルという視点がな無くなることになります。また、ギネスを素直に褒める、傲慢さの影が薄れ屈託なく会話する場面は「すでにベルを映し始めている」ことを表していたがここも無くなった

とにかくこのカットのせいで以降のベネディクティンの心情がどれも唐突で分かりにくくなってしまった。

さらにギネスのアドリブで編成を組み、迷わずに進軍するという活躍シーンも巻き添えでカットされたせいで、出発前にオドオドしていたギネスを皆が信頼する根拠も薄くなった。

 細かい点ですが、キティ(全)という部外者が居ることについてカシスが疑問を呈すシーンもカットされました。

 死人で遊ぶティツィアーノを発見する場面ではキティ(全)の口から〈機械仕掛けの神〉デウス・エキス・マキナに関する事が語られますが、まさかのカット。アニメだと序盤でベルがつぶやいてそのまま謎になっちゃった。カットされた部分が長いのでざっくりまとめると「感情なくあの行為をしていて、それは剣樹神に似ている」って感じです

 ティツィアーノが敵味方関係なく暴れて始めたので〈正義〉と〈悪〉の混成楽隊が編成されます。ジンバックが妙にウキウキしているのは、めったにない編成を指揮できるからですね。ついでに〈法〉から逃れた〈旅の者〉キティを〈法〉の下に行われる戦いの編成に組み込めるなんてのもさらにあり得ない状況なのもウキウキに拍車をかけている。編隊を組むにあたってギネスが今まで我慢していた戦術持論を爆発させて、ジンバックと一気に打ち解けるのだが大幅にカットされました。

ベルとベネットの掛け合いについては、カットされた茶化し合いありきなので唐突感が否めない。とりあえず仲良くなりました。

伴奏者ピアニッシスのカシスは剣を自分の意志で振れない事を申し訳なく、悔しく思っていますがそれが伝わりにくい。表情見えない仮面のせいなんだけね。原作だとベルが感応力で(ry  彼は聖灰で回復させる事しか出来ることが無いのでジンバックの後ろに配置となりました。ここで聖灰を所持していることとミストが〈外〉には聖灰が無いことを話すのですがカット。

 ジンバックが指揮棒の様な剣〈指揮剣〉を振ってますね。剣士はみんな剣を通した感応力を持っていて、指揮者が意思を込めて剣を振ると簡単な指示であれば剣を通して伝えることができます。だが、アニメでは感応力の説明が(ry… とりあえず、ジンバックが剣を振るときは無言でも指示飛ばしてると思ってください。

 アドニスの戦闘スタイルについて補足。通常の剣士は剣を切り結びながら戦います。理由はいくつかあって、剣同士をぶつけ合うことでよい剣が育つことや剣楽という文化が根底にあったりします。この世界では剣は楽器でもあるので、振ったりぶつけ合ったりで華麗に見せたりいい音を出すことも目的だったりします。これを〈剣撃〉シュベルトストライヒと称しています。1話でシアンがネグローニの足の切り口を見て言ってたやつですね。

なので、アドニスの剣を使い捨てながら一切剣同士を切り結ばずに相手の命を奪うことを優先している剣技は異質ということになります。ベルは〈唸る剣〉ルンディングを大切にしており、相手を殺すことを目的としていないので「私と正反対」という発言につながります。前提部分の説明がかなり拾いにくく、剣を折ることに対しての事だけだと思われそう。

 ここまで書いて気が付いたのですが、ベネディクティンがベルに抱き着いた後に赤く光るエフェクトが2回あったのって眠って起きた事を表現してる? だとしたら絶対伝わんねぇよ。短いし説明なさすぎだもん


第六楽章

  ギネスの脚本による戦闘は結構再現されてました。作画コストの問題か、メンバーの負傷具合は少なめ。ギネスとジンバックのやり取りですが、週を跨いだせいでカタコームが巨大墓地という情報を忘れていると分かりにくいかも。死体の供給源を狙うって意味ですね。

ミストやクラウドは説明がされてないですが足長族フロッギーと呼ばれて跳躍力と瞬発力に優れた種族。それを踏まえての橋のでの一網打尽作戦となってます。原作では正面からの襲撃にこの策を使い後方へ引き、次いで後方からの敵に対応。ですがアニメは短縮して挟み撃ちしてきた敵を撃破しています。そのせいで、前衛の人たちも大ジャンプをしていて足長族の長所が……

 ギネスのセリフ「慰みに~僕もよくやることです」ですが、原作では事前にその戦術が来るであろうと予見し皆に伝えており(このおかげで焦らずに皆が戦う)、予見できた理由としての発言です。アニメでは味方が死体戦術に驚いていてジンバックにしか予想を伝えていないように見える

 戦闘でクラウドを庇ってベネディクティンが負傷からのベルが激昂、そしてベネディクティンの雌雄変化。この流れが5話での大幅カットの割を食っていて唐突に感じると思う。

睡眠から目覚めた後は他人を落とすような発言をせず、特定個人に偏った結界などを行わなくなります。クラウドの援護も性格の変化を分かりやすく表現する場面なのだが、5話でゴードン偏重の結界を張った描写カットで対比がされていない。

ベネディクティン(以下ベネット)の雌雄変化ですが、自分の為にあそこまでブチ切れる人を見たらそりゃ好きになるよね。それが自分が酷く扱っていた相手なら尚更ギャップです。一応、それ以外にも極限下での戦闘への適応や片目を失ったとか色々と理由が重なってます。胸板が眩しいぜ

「大丈夫だよ、ベル」にはもう守ってもらわなくても良い、私が守ってあげる、だから心配しなくても良いと色々詰まったセリフ。胸板が変わらず眩しいぜ。

余談ですが、目を瞑っているのは片目だと距離感おかしくなって射手として致命的だからだと思います。もともと水族は聴覚が優れた種族なのであんまり困らないのでしょうね。

 道中の聖灰での治療シーンは敵味方のわだかまりがもうないって感じられてナイスだと思いました。ベルに治療してもらってるベネットの胸板が……見えない

ジンバックがいきなり剣をかざした後にトムが「やはり、どうしても…」と言い、ジンバックが剣を仕舞うシーンですが、指揮剣を振る=剣士に指示を伝えることができるという説明がされてないので「こいつ突然そうしたの?」ってなると思う

剣を抜いてすぐ戻して良くわからん会話する謎シーンの出来上がり。

この後に墓所ごと〈死告鳥〉レイブンを燃やすことになります。死告鳥は死人を糧に成長して、その死者の関係者の元へ飛び立ちます。つまり今後出る予定のお悔やみ欄を全部破棄するみたいな意味。知り合いが死んだことを知る術を壊すことになるのでみんなは戦々恐々としています。土葬文化で死体を燃やすのも関係してそうだけど。

 天道墓地の場面ではキティ(全)の演算が圧倒的、アニメだと映えるね。聖堂に逃げ込むまではほぼ再現されています。分かりにくいのですが、ギネスの作戦は指揮者ジンバックを餌にしたティツィアーノの誘引で、作戦を知っていたのは二人とキティ(全)だけ。敵に罠と悟られないために前衛にはあえて伝えていなかったということです。

ティツィアーノは最初の戦闘で侵透戦術よろしく指揮官狩りをしていたのでそれを狙ったもの。前述のとおり、指揮者は剣を振るだけで作戦を伝えることができるのでここを優先的に落とすのは合理的。

 流れとしては想定以上に敵が速く、ジンバックの退避前に襲われてしまいました。これは予想ですがキティ(全)にはジンバックの退避に関わらず、ティツィアーノ出現時点で扉を閉めて演算で燃やすように指示済み。理由としてはジンバック自身がこの戦闘で死んでも良いと思っていたから。しかし、事前に作戦を聞いていなかったことでベルとアドニスが救出に戻り。キティ(全)もベルごと燃やせる筈もなく作戦が少しまごついてしまった感じ。

 霊廟屋上、ティツィアーノは変わらず指揮官狩りを実行。ジンバックを執拗に狙う凶刃の間にギネスが割って入るも撃沈。アニメではジンバックを助けるための様に見えるが、原作ではミストの前にギネスが割って入る場面です。ちょっとここどうにかならなかったのかぁ。もしかして二人の今後を書く場面までアニメやらないから尺削った?

 カシスの捨て身アタックは、癒せぬ程の致命傷を負い神官の役目を果たせない状況を作ることが目的。生きて戻れない=神官の務め終了ってことで神官の縛りである〈錠す剣〉チェーンドも効力を失い剣を振ることができました。黄色ローブの神官は命令違反者を斬る役もあり手練れ、しかし神の命令以外では剣を抜けない存在です。そんな彼が最後に自分の意志で守るために剣を振れたので満足気に微笑んで息を引き取りました。

これまたやはりというべきか、カシスの心情や立ち位置がカットされたり伝わりにくい描写だったりで「突然の体で攻撃を受け止めて、抜けない筈の剣を気合で抜き放って死んだ人。つーか抜けるなら剣で攻撃とめろよ」と突っ込まれそう。

ちなみにギネスが言った「他に、なかったのかい」はもちろん死ぬ以外にという意味ですね。彼は臆病でとにかく死ぬことを恐れていた(アニメではカットされたよ)ので。そして、剣を振ることを自由に楽しめないカシスの死に様はギネスの今後に影響を与えます。

 突然ですが、この世界の剣は鉱物のような樹で出来ています。なので「育てる」とか「枯れる」という言葉が使われます。ティツィアーノの腕が樹の根みたいになっていたり、彼女が操る死体から樹が生えてたのもこのためです。アニメで説明あったっけ? ちなみにベルの〈唸る剣〉ルンディングは老齢のユリ科のです。通常時が茶色かったり、刃が鋭くなる時にユリの花びらが舞うのはそんな理由があったりします。あとOPに「ユリみたいに~」って歌詞もある

 異空間でのアドニス対ティツィアーノ戦、アドニスの攻撃は味方が負った重症か所を狙っています。ベネットは目、ギネスは腕、腹はミストとカシスみたいな具合に。

なおこの戦闘中に〈機械仕掛けの神〉デウス・エキス・マキナの重要な会話をベルとキティ(全)がしているがカットです。



最後に


正直に言うと、徐々に不満が増えていってます。アニメ版の好きな演出・描写はそこそこあるのですが、「原作の主要な出来事のハイライトを消化しながら、印象に残りそうなセリフを雑に拾っていく」という印象が強い。特にこの5、6話は「それをカットしたら心情が、状況が伝わらない」がとにかく多く、「注釈と補足資料のないマンガで読む偉人」くらい「今、やっていること」しかわからないアニメになっている。なぜ?どうして?

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