アニメ『ばいばい、アース』の感想──ついでに原作カットによる分かりにくさを全力で補足解説する記事③
はじめに
7話と8話は全体的によくまとまっている気がしました。それでも展開はアクセルベタ踏みでカット&視聴者振り切りムーブです。特に過程部分を省略しがちで「こういう結果見せれば何があったか察するよね」みたいな場面が多い。視聴者が世界観とキャラ心情を理解していればそれでなんとかなるけど、そうじゃないからね。
前回までの記事はこちら
第7楽章
いきなりベル対ガフの戦闘シーンから。良い剣撃の披露を目的とした剣楽でカタコームの戦いが終わって後の兵士達の祝勝会というか戦闘後の儀式だと思って下さい。原作では怪我をした位置と順番まで言い当てて若干ガフが引きます。雨が降っていますがこの説明をガイダンスに投げたのは分かりやすいし進行も邪魔しないのでグッド。
街中でシェリーと遭遇、先程の雨を降らせていた本人です。シェリーとベルのやり取りが細かい部分で地味に力入ってます。素直に顔を差し出したり、泥付いた手でいろいろ触ったりとか箱入り感出てる。実は護衛が山のようについてる部分はカット、姫なのに護衛なしかよって突っ込み対策に背景に微妙に映しておいてもよかった気がする。
着替えを求めてベネットの家へ行ったシーンについて。ギネスとベネットが二人で呑んだくれています。補足すると二人は先の戦闘を経て感じた城のやり方にさんざん文句を言っている最中です。その城の姫が来たもんだから余計に慌てています。ちなみにギネスが笑い上戸でベネットが泣き上戸。二人が覗きに行ったり風呂上がりのベルを凝視したりする部分はカットされました。
さらに余談ですがシェリーは一人で着替え出来ないのでベルが手伝いました。そしてお風呂の間にベネットがガフにシェリーの所在を知らせています。
場所が変わってベルの部屋でのやりとり。地の文がないので微妙にわかりにくいけど、会話と表情からなんとか読み取れるようにはなっていました(凄い)。歌っている時にちゃんと辛そう。
ちなみに歌についてなのですが、3話と今回の台詞から物を直す効果もあるとわかります。正確には壊れた物を「直す」のではなく壊れた部分を以前の状態に生まれ変わらせる効果なのですが。過去に戻すのではなく先に進ませた先に過去と似たような新しい状態を引き出すみたいな感じです。これは9話で出てくる発展と回帰を意味する「月すること」に繋がるものですね。雨を降らせるのも同じですね、戦場の血と怨恨を洗い流し戦いの跡を浄化するが戦いがあったことは消えない、戦いが起きる前と同じ景色だが同じではないということです。
二人のやりとりの解説。「歌をお礼に~」というのは本来であれば歌とは業務として責任と義務が伴うもので、命令であったりその効果に期待されて請われるものだからですね。「歌そのもの」を目的に頼まれたことがない。
続くベルの「とても辛そうに~」にショックを受けるシェリー。シェリーが後ずさったのは図星過ぎてビビったからです。今まで悟られなかった感情を初対面の人に言い当てられたらそりゃ怖いよね。
キール再登場、殺風景ですがキールの自室です。椅子が無いのは自分に必要ないからで床は畳ような材質。アドニスによって剣が修繕されるのですが、剣の完成まではけっこう良い情報の削り方。<LIVED>と<LEGNA>のアナグラムで<DILLEGNAVE>は文章だとインパクトあったけどアニメだとそんなにでした。剣の完成後は剣士の持つ感応力で二人とも剣の凄まじさを感じとるのだけどアニメでは感応力の(ry…
キールの内面についても以前は「剣を折られたから倒したい」でしたが、今は「ベルを剣士として認め、その上で勝ちたい」に変化していますがカット。この在り方も9話の「月すること」に通じるものです。
基本、彼は真面目で剣士としても優れているので、邪剣や魔剣だろうと神の命であれば振るうのが剣士として正しい在り方と考えています。そして「剣士として優れている」ってのがアドニスにとって悪い方へ働いた。剣の声が聞こえるなんてのは相当の感応力の現れで、キールが剣の声を聞いて「悪しきものではない」みたいに断言しちゃったからね。アドニスも安心して剣を預けて去った訳です。
回想が明けてバンブーの中です。キールの剣の復活を経て心情的にモヤが晴れて上機嫌なアドニス。 シェリーとガフの関係を見てベルが「寂しさを感じた」という相談をきっかけにアドニスの口説きタイムが始まります。原作ではアドニスの前にベネットとギネスに対して、シェリーがベネットの部屋をダメしたお詫びとしてベルの奢りで呑んだ席で相談しています。
構成が原作からスムーズかつ心情の流れが分かりやすく変更されてます。キールの件が前に来てるお陰でアドニスの機嫌が追いやすい。
アドニスの発言「耳も鼻も削ぎ落として~」とは生まれである程度の生き方の縛りがある世界ならではの思い。水族なら雌雄が変わったり弓瞳族は力が弱い故に群れる、外や内でもいろいろ違う。そういったしがらみのない状態として「のっぺらぼう」になりたいという意味。アドニスの「子供を産めるのか」は言い回しが直接的にはなったけど原作から分かりやすく変更されてます。
彼の呪いは「触れる思いが強ければ強いほど腐敗、損壊させる」ものです。つまり、剣がすぐに錆びるのは拾った剣であれそれに対して強い思いを抱いているということ。
呪いとは旅に出る試練の一貫でもあるため、恐れを抱いた状態では継承されません。アドニスパパは血が混じった瞬間の違和感(一話のアレ)にビビったので継承されなかったけど、生まれる前の赤ちゃんは恐れとか抱かないので自動継承しちゃったという感じです。原作ではここで呪いとは「神の手から逃れる代償。個人の法であり受け入れ克服するもの」と説明も入ります。
アドニスの「呪いを受けたから<旅の者>を目指した」という経緯を聞いて、聞いてベルは自分が「旅に出ることの意味」を再確認し「自分で旅に出ることを選んだ」と強くその事を自覚します。それがアドニスを旅に誘ったことに繋がりました。アドニスの状況はベル真逆で旅に出る意味もないのに呪い故に<旅の者>を目指さなければならない。だからこそ
アニメではわかりにくいですが、シェリーの一件から結構時間が経っています。ベル、ギネス、ベネット、キティ(全)、アドニスは呑み仲間でオン・ザ・ロック亭には何度か通っている。さらに補足になりますがギネスはこの時点で脚本家から指揮者へ転向するのでは、ベネットは以前と真逆で堅実で堅牢な結界を操り聴覚で見えない敵をも射貫くと両者ともに評判が高くなってます。
シェリーの詰問。彼女の中では「歌=存在意義」なので、歌うことを辛そうといわれるのはすなわち「辛そうに生きている」あるいは「今の状態はなにか間違っている」となります。そしてそう考えるシェリーに、いやシェリーに思わせる世界にベルは怒りを覚えます。
そしてアドニスのカットイン。このときのベルのキスは<唸る剣>にしているのと同じレベル、つまり無意識の所作。原作ではアドニスは廊下の壁まで後ずさって走り去るベルを見送ります。
オン・ザ・ロック亭、シェリーの「素敵なお友達~」にギネスとベネットが返答するナイスオリジナル。反面、その他の出番は大幅カットされました。ベネットの泣き上戸も槍玉に上がったり、ベルが泣いた件を男衆が弄ったりしていました。裏を返せば全員が「ベルでも泣くことことがあるのか」と思っていたことになります。
歌を聞いた後、シェリーの「泣くのは卑怯~」から続く一連の会話の核心部分がカットされてしまいました。自由に感情を出せない=感情を別の物に預けている。そして感情を取り戻せなくなるといった内容です。原作ではこの後にシェリーの「泣いて、誰かに必要と~」と続いています。
このセリフは言うなれば誰かと繋がっていたい、孤独には耐えられないということ。だが誰かに泣きついて助けを求めることが出来ないというシェリーの心の悲鳴なのだが、その由縁を「城の主族だから。神の使令だから」と自分以外に置いている。なのでベルの「誰かを必要とすることを忘れていく」や上記のカットされたセリフに繋がる訳です。
第8楽章
前回のお礼もかねて舞踏会に皆でお呼ばれ。ベルたちの仲の良さを感じさせる場面があったのですが全部カットされてしまいました。
舞踏会前にベネット邸に訪れています。ベネット邸にしょっちゅう行くのは同姓の友人を求めて(今は男だけど)だったりします。ベネット邸にはアドニスとギネスも居て、舞踏会へ着ていく衣装について相談中。カタコーム戦の衣装を着て、ベルのように「野蛮」な扱いを受けようとかベルに対して普段の男っぽい服装にあれこれ言って笑いあっていました。
さらにここで、カタコーム戦の後にさらに戦闘(7話でガフが言っていた戦闘)があったことをベル以外のみんなが知っていたことも判明します。隠していたのはアドニスの気遣い。
城に到着してからは紫のローブを着た一団とひと悶着あったり、ベルが凛々しく立ち回ったり、着せ替えタイムが始まるのだがベネット邸からここまで全部カットです。
椅子に突き刺さる<唸る剣>は良かったです。
会場で女子と戯れるベネットとギネスはカット。性格の変化を表す場面だったのに……とりあえずベネットの胸板が眩しいからヨシ。ちなみにベルは複数の男からダンスに誘われるのだが尺の関係かアニメは一人だけになっています。
ガフガベルの衣装を褒めるのはオリジナルだけど違和感なくとても良かった。やりとりもガフとベルっぽい。
キティ(全)がダンスの途中に<空>について話していますが、後の王との会話の「月すること」や「偶然と出会う」に繋がります。とりあえず色即是空とかの「空」と似たようなもんだと思ってください。
この世の全てが偶然や因果で関係しあっているから、一人だとしてもなにも失った訳ではなよ的な。なのでベルが「ベルのいつかルンディングとも別れる~」とか考えた訳です。この考えだとたった一人で居ても皆と何かで繋がってるから寂しくないよとなるのですが、その在り方はまだ自分には「孤独すぎる」=誰かや何かがそばに居ないと耐えられないとベルが自覚します。
逆に言えば、たった一人だから世界に交じりたいといった初期とは違い、離れがたい存在が出来たということです。そんで闇落ちキール戦前の剣を取る前の自問に繋がります。
ついでにここでアニメでは特に描写がないですが、キティ(全)が自分を利用しようとして接してきていることに気がつきますが一旦スルーしています。
闇落ちキールが分かりやすい見た目していて良かった。あと戦闘シーンが全体的にいつもより力入ってましたね。キールにバッサバッサ切り捨てられる黄色ローブは一応筆頭剣士と同等の力量、つまり以前のキールやガフと同じくらい強いです。
黄色いローブの神官の剣が解放されるシーンが説明を省きながらも察しやすくアレンジ。本人達が鎖が切れたことに驚いているのは、本来であればガフの命令で鎖が切れるのに命令無しで切れたから。ガフも説明いれていますが、神から直接命令がきたから「えっ?」みたいなリアクションしています。6話のカシスの時は効力が無くなって鎖が切れているので今回とは違います。
アドニスはキールの剣に同化した腕をみて、戦意喪失したので出番終了です。「ラブラック=ベルが俺を待っている」とあからさまにベルを狙うキールを見送っているアドニス。そう云うところだぞアドニス「惚れてない」とか言われるってそりゃ。
シェリーの「逃げて」は明確に神に逆らってることになるので周囲の紫ローブの人が少し驚いています。ここら辺の描写でわかる通り、城の王や姫ともなると本人の意思を無視して神が強制的に介入できるようです。シアンの弟王の地位から逃れた理由もこれが関係していたりします。
キールが舞踏会場に乱入。ベネットがキールの剣をグラスで受け止めるイケメンシーンは残念ながらカット。キールとベネット達の戦闘に関しては非常に細かいのですが、原作では一般人が襲われたので助けるために介入しています。神の言葉でもって「戦うのは、ベルただ一人」とあるので、積極的にキールに戦闘を挑むのは神に背くことになり剣士的にアウトだからです。なので、神の法に縛られない<旅の者>キティが途中で相手を変わることでなんとか場を凌ぐ流れになります。
キティが相手をしている間にベルが<唸る剣>を回収。「変わったのは、私の方か」は先程の「空」のところで書いたので割愛。
実はベルが変わったことを視覚的に表しているのが彼女の纏うオーラの色だったりします。一話からオーラの色が特定のタイミングで変わっていたのにお気づきでしょうか。この色の順番なのですが時計石、すなわち時刻の変化の色相と一致しています。第一話の泉にある塔の装飾、都市の色分けがその色相順です。
アニメオリジナルの表現で一番感動した(私の勘違いの可能性もあるけどね)
キールとベルの戦闘の作画は今までで最も力が入ってました。その反面でセリフや心理描写は少なめとなっています。ベルがキールの剣を受け止めた後に「剣士はお前の餌じゃない」と言ったシーンの解説です。アニメではこの時にキールの剣が一瞬オーラを纏いますが、これは魔剣がベルの感応力を通して語り掛けている表現。それを受けてベルが魔剣にキレたということです。
解説が良くわからないですよね。さらに補足、原作では戦闘中に「語れよ。あんたの剣は何も語っていない」とキールに怒鳴ります。ベルの感応力をもってして以前のキールを感じられなかったからです。なんとか剣を通し感じたのは禍々しい思念で、その中心に魔剣の意思があることに気がつきます。それを踏まえて「剣士はお前の餌じゃない」に続きました。
これを圧縮した結果、アニメのような表現になったのだと思います。原作知らなければなんともないし、知っていれば「もしやこれは」となる微妙なさじ加減。これは職人技。
途中でたまらずシェリーが助けを求める叫びをあげるのですが、ようやく誰かを頼ることが出来たのが誰も手を貸すことが出来ない状況なのが皮肉。シェリーが飛びかかるキールから逃げようとしないのは自分が斬られることで神官全員の<錠す剣>の鎖を解放させようとしたからです。この行動の意味を悟ったからこそのベルの「私は大丈夫だよ」の発言になります。なにげにベネディクティンが目を失ったときにベルに掛けた言葉と同じ。
このシーン、ベルが剣を投擲していますが実は2回目だったりします。1回目はティツィアーノに止めを刺す前にやってるけどアニメではわかりにくかった。
神の樹とキールをみてベルがいろいろ疑問や気付きを得ますが,
ここでは何となく流して置きましょう。全く何にも省みない自己完結の存在ということです。どっかでみたことありますね。親から逃げ他者に興味を持たずただ自分の在り方のみに執着する存在、まるで初期のベルのよう。
決着の後にキールのオーラの色が変わっていますが、正気を取り戻したと云うことです。「悔いるなよ」はそのままの意味です。あくまで自分で選んだ道なので斬ったことに責任を感じる必要はないという誠実な彼らしい言葉になります。
アニメではキールの死体が光になって消えましたが、原作ではそのまま残っています。というか残らないとこの後の展開に繋がらない。
さいごに
カットできるところは容赦なくカットして物語がバンバン進みました。9話と10話の分も平行して書いていますがそちらも補足したい部分があまりにも多すぎてまだまだかかりそうです。
記事全体としてここがダメというより、この描写はこういう意味なんですよをやりたいけれど難しい。とにかくよく24分にここまで整理して詰め込めるなという感心が先に来るのですが、どうしても分かりにくさの方が目立っている気がする。
あくまで原作読んだ上での私個人の補足や解説なので絶対正しいよって訳ではないです。一応ね、言っておきます。おいおいここの解釈違うゼ~みたいな意見はウェルカムです。