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『ばいばい、アース』──未然形《アンテ・フェストゥム》と已然形《ポスト・フェストゥム》の剣ってなーに?(アニメではカットされたよ)

はじめに

 アニメでは盛大にカットされましたが、ベルの<唸る剣>は未然形アンテ・フェストゥム、アドニスの<錆びた剣>は已然形ポスト・フェストゥムに作ったとドランブイが言っています。会話でさらっと流れるけどかなりの暗喩と情報量詰まった部分なので簡単に解説。多少ネタバレアリで進みます。

正直、ルビの方も已然形とかも知らない人は知らないので台詞で聞いても余計にわからなくなるからアニメではカットして正解だとは思う。

※私個人の解釈と考えなので気になった人は自分で調べてみてね(重要)
もう一回、正しい保証はないから自分でも調べてみようね(おもしろいから)


もとになった単語の概要

 未然形と已然形は古典日本語の活用形の種類ですね。前者は未だ起こっていないこと、未来について表す場合に使われます。後者はすでに起こったこと、過去について表す場合に使われます。次はルビに使われている言葉が全部ラテン語由来。アンテは「前に」、ポストは「後に」、フェストゥムは「祝祭」という意味です。

さらにポスト・フェストゥムとアンテ・フェストゥムは日本の精神科医が考えた心理的な時間の捉え方を表した概念です。ポスト・フェストゥムは「後の祭り(後夜祭的)思考」で鬱病に見られ、過去の時間面に縛られがち。アンテ・フェストゥムは「祭りの前(前夜祭的)思考」で統合失調症に見られ、未来の時間面に意識を向けがちと定義付けています。(ここはすごい意訳&ざっくり説明)

ポスト・フェストゥム(後の祭り的)ってどういう意味よとなると、常に起こってしまった事へのこだわりや後悔みたいなもの。鬱の原因とされる環境の変化や矛盾の発生は、つまるところ今までの経験から外れた状況と言えます。過去の状態に回復できないことを恐れて自分の確立した生き方を基本にする。今までと違うことってストレスだもんね。

アンテ・フェストゥム(祭りの前的)とは、今現在ではない未来や未知への焦燥感や恐怖。転じて現在の自己の否定であり待つことが不得手であるということ。症状である「自分への悪口」の幻聴や「監視されている」被害妄想とかも今の自分を否定している。ゆえに悪口を言われたり監視される自分からの脱却として、その対象になった自分を変えたい、出来るかわからない自己実現の願望とその不確定さえの恐怖を同時にもつ。今までと変わるよってなるとストレスだもんね。

おまけとして祭りの最中をあらわすイントラ・フェストゥムもあります。てんかんや躁病見られるものみたいです。身体や思考のエネルギーが現在のみに向いている状態。

ややこしいので祭り前はワクワクして当日のこと考えちゃうし、始まれば祭りに集中してそれ以外気にならない、終わると脱力して思い返すみたいなのを、各症例に当てはめたくらいの認識でいいです。


作中の内容とのリンク


 ここまでが前提というか元になった言葉の意味です。これを踏まえて「ばいばい、アース」の世界をみてみましょう。

上記の内容でいくとアンテ(始まり)→イントラ(最中)→ポスト(終わり)っぽいですが作中物語はイントラ(最中)→ポスト(終わり)→アンテ(始まり)の流れ

 まず、パラダイス•シフトという世界の変革によって時代が切り替わります。今の時代は機械仕掛けの神デウス•エクス•マキナが支配していて新たな変革を拒んでいる状態。そのために過去の遺物である<旅の鍵>の破壊を目論み、尚且つ未来(次の時代)に繋がりかねない芽は潰しています。それは自分の維持もあるけど国民の為でもある、しかし国民の為というのは国民がいなければ神足り得ないから。信じてくれる人いないと神じゃないという感じ。

現在の<都市>は過去も未来も否定してただ今の状態で存在することのみに執着している。まさにイントラ・フェストゥムの時間の捉え方。ここでややこしいのが現存ナウヒアですが、あっちは過去も未来も否定せずに今ただ存在することを受け入れている状態なので違います。作中の言葉を借りるなら「月すること」の否定をしている状態が今の<都市>です。細かいですけど神の樹の「死を死ぬことで永遠に生きる」も今の生を固定して変わらない為とも言えます。

 そんで現在進行の状態を変える/終わらせる為に必要なものが「懐疑」となります。現況に疑問や不満が無ければ問題なく続きますからね。アドニスの懐疑は全て過去(既に神が定めたこと)に向けられています。かといって新たな生き方を切り開くこともなく今の生き方に甘んじている。なぜ自分が○○だったのかと過ぎたことに執着してるのはポスト・フェストゥム的とも言える。例えば都市に来たのだって父の助言からで、<旅の者>のなろうとしたのも<呪い>があるからという風に根本は自分の意思ではない。シアンに未熟と言われたのもこういう精神性が関係していそう。また、単純に「祭りの後」という意味で考えれば<錆びた剣>は現在を終わらる、後片付けの為の剣とも言えます。アドニス自体も後の祭りみたいな思考と行動してるのでぴったり。

シアンも懐疑を抱いていたのになぜアドニスのポジションではないのかですが、ちょいややこしいです。彼自身は自らの懐疑の動機も答えも既に得ているというのもありますが、なにより<旅の者>になっていてこの国の部外者であるからだと思います。神の管理にある国民が終わらせる(内側から変える)事に意味がある。というか当事者がやらないと意味ない。


 アンテ・フェストゥムの方は主人公ベルを通して書かれているので割とわかりやすいと思います。彼女は「なぜのっぺらぼうなのか」ということよりもそれを踏まえて「世界にまじりたい、だから旅に出る」という考えをもっています。変化を未来に求めている。<導き手>ガイダンスも幻聴がモチーフなのかも知れません。重要なのは未来に焦がれるだけではなく実際に変えて行ってること。例えば初期では気味悪がれていたベルですがその原因は自分からあまり関わりに行かなかった(人前に出ていない)から。中盤以降は周囲もベルの見た目に馴れてきて特に見た目で忌避されたりはしなくなる。これ以外にも自らの行動をもって周囲を変えるのはしつこいくらい描写がある。これは「今の自分では足りない」という自覚(ある種の自己否定)の上で「世界にまじる自分」を目指して行動していたからに他ならない。

<唸る剣>を常に背負っていたり、何かを選択するときには他の誰かに頼ったり近くに居て貰おうとしてるのは変わることが不安だから。予想ですが無意識に側に置くものを鏡みたいにして変わる前と後の自分を映し、その変化を測ろうとしているのかも。<唸る剣>は「生まれ続けて成長しない。生成するもの」とドランブイが作中で明言しています。常に変化しないからこそ自分が変われば即座に判る。舞踏会場でキールと戦う前に剣を持ち、自分が変わったことを自覚したのはこういう意味かなと思います。

「生成(新たに産み出す)するもの」について。たぶん新し生き方など価値観を指して生成すると言ったのだと思います。なので「全てを終わらせる剣」を持つアドニスが納得してた。何に向けて生成するのかと言うと次の時代に向けてでしょうね。まさに前夜祭。

さらに言うなれば、今の世界を越え自分を持ってして新たな世界へ行くというのは「世界を穿孔」デュルヒ・プレッヒェンにも繋がります


 世界のあり方をフェストゥム(祝祭)に例えるなら、常に祭りが行われる場所は楽園パラダイスでしょう(実際に年中パレードのテーマパークだし)。しかし祭りはいつかは終わるもの。そのひとつの期間を時代ピリオドと作中では言っています。ピリオドは繰り返しの周期や区間が語源で、停止と開始の意味もあるので、終わりは始まりということで時代のルビになったのでしょう。周期や繰り返しってのは「月することに」にも通じますね

そして終われば楽園パラダイスが新しい価値観へ移行シフトして新たな祝祭フェストゥムが始まります。今を過去(ポスト・フェストゥム)として、その全てをもって未来(アンテ・フェストゥム)にする。

さいごに

 なんかズレてパラダイス・シフトの話になってしまいましたが、いかんせんほとんどの用語が「月すること」や「世界を穿孔せよ」に通じるようになっているのでしょうがないんです。逆に言えば全ての設定が個別の意味を持ちながらもしっかり世界観に紐付いていてテーマに繋がっているということです。キティ・ザ・オールの「空」による物事の捉え方とも一致しますね。

意味深な単語と難解な言い回し多い作品ですが、ちゃんと目的があって単語とルビを組み合わせています。それぞれの意味を読み解くことで世界観やキャラの心情行動を知ることが出きるようになっています。

願わくは私の記事が「ばいばい。アース」を読む少しの助けになればと思います。



原作おもしろいから読もうぜ

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