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アニメ『ばいばい、アース』の感想──ついでに原作カットによる分かりにくさを全力で補足解説する記事①

はじめに

「ばいばい、アース」がアニメ化するにあたり原作小説からかなりカットされた部分が多く、そもそも日本語の文章で書かれているメリットを活かした作風ゆえに文字が無い分だけ情報量も少なくなっている。

 なので「アニメのこのシーンはこういう意味だったのね」「意味わかったら少し面白くなってきた」となるようにカットされたり描写不足な部分を各話(とりあえず4話まで)ごとに捕捉していきたいと思います。※たまに感想も混じるよ

とにかく「ばいばい、アース」は面白いんだぜってことです。少しでも視聴者増えてほしい。


第一楽章

 八つ手ネグローニが暴れて「さかな」に被害が出ているとあるが、「さかな」は字で表すと水媒花さかな。なので植物に近い存在です。なのでヒレが葉っぱだったり、種を撒こうとしたりします。

ベルが背負っている<唸る剣>ルンディングはとてつもない重量でありそれを扱うベルは怪力である。また、その剣がないと浮遊感を覚えるほど身軽であり、水面を走っていたのもその表現です。地面との繋がりが薄いということで他の人には不吉と思われている。周りがざわついていたのもこのため。

ちなみにベルは<唸る剣>を通じた感応力(剣で戦う相手に対する共感能力みたいなもの)が優れている。八つ手の声が聞こえたのもこれ。なお1話ではその説明がなく、単語だけが6話あたりに出る。

 回想では迷った先で剣を見つけたような描写。実際には声が聞こえて、その声を追って<唸る剣>の元へたどり着いている。その後は剣を手に泣きながら城内で暴れて、その末にキールが剣を抜いている。アニメだといきなり幼女に剣を振り下ろすヤバイ奴になってるけど。ちなみに<唸る剣>が誰にも持てないくらい超重量であり制作者も重要人物なのは周知の事実なので、それを軽々扱う少女を止めるために筆頭剣士が二人も来ている。

 全体的にまとまっているけど、今後において重要な設定や描写が視聴者に伝わりにくい気がする。逆に原作既読済だと「そう描写して言葉の説明削るのか」となるのだけど。


第二楽章

新キャラのキティは長いので下のように略します
 キティ=ザ・オール → キティ(全)
 キティ=ザ・ナッシング → キティ(無)

 森ではキティ(全)が残したと思われる魔方陣を利用して野宿し、その後怪物に「森に呪いを持ち込むな」と襲われているがアニメではカット。キティ(無)が森の風媒花とりから大量の施しを受けるシーンもカット。一応、キティが呪いを持っていることの匂わせでもあったシーンだったのに。

クォーツの森は石の卵があったとされる場所の地形がわかりやすい

 アマレット亭のいざこざはキティ(無)の攻撃誘発性が原因だったりするけどもそこら辺の台詞がない。あと剣が齧られて欠けているのが画的にわかりにくい。弓瞳族シープスアイは集団戦が得意であり、ベルも内心では褒めていたけどアニメだと集団戦?みたいな微妙な描写に。連行時に無抵抗なのはハギスへの申し訳なさだったり、どうせ城へ行く予定だし歩かなくてよくなったから。原作では牢屋でキティ(無)が訪ねて来るシーンがあり、ベルに対する謎の執着が垣間見えるのだけど当然カット。

 宿舎の案内シーンでは階段が抜けそうになるという〈唸る剣〉の重さ描写があったがカット。結局、一話の桟橋のシーンで察せないと視聴者に伝わらない。一応伏線的な意味合いもあるけど、原作の最後まで消化しないと機能しないから伝わってなければそれでも良いという判断かも。

 謁見のシーンでの「神は私を見ていない」というセリフもベルの感応力ありきの話なのだがその説明が伝わりきれてないので、視聴者的には「何言ってるの?」となりそう。剣を向けたけどネグローニの時のように「きゅぴーん」ってSEがならず、神の樹に感応できなかったと言うことですね。ちなみに王に剣を向ける形になった不敬については、ガフのフォローとベルの反省があったのだがそれもカット。余計に「王に剣向けて良いの?」のように場面に対する疑問が多くなる。

第三楽章

 OP前の思わせぶり会話はただの思わせぶりなので、なんとなく聞いておこう。

 キールさんの「これは居合いだ」のセリフは地の文の説明がバッサリ切られていて、未読の人はさっぱりわからないと思う。ここでの「居合い」は抜刀術の居合ではなく、文字通りにその場に「居合う」という意味。どちらがその場に居続けられるか、存在し続けられるかという試合より重い行為としての名称として「居合い」を使ってます。

これはまじで伝わらないと思う。せめて導き手ガイダンスに説明とかさせようよ。

剣楽は舞台の周囲で楽器が演奏され観客が拍子をとったり唄を歌ったりで、音楽に合わせて剣をぶつけ合う描写なのだが、アニメでは普通の戦闘シーンになってます。周りに演奏者も書かれていないので音楽もあの場で演奏されているんじゃなくただのBGMのようになってる。

剣楽は神に対して奉納するような、観客を楽しませることが目的であるような、どちらかといえば祭りや儀式に近い行為。世界観的にも重要なのだがいまいち描写が。しかし、剣を砕いたことに関する導き手ガイダンスの差し込み方とか、音楽自体の素晴らしさとかいい部分も多い。

 キティの入れ替わりによる見た目の変化が分かりやすくて良い。原作だとベルが同一人物だとずっと気づかない事への回答になってる。それにしてもキティ(全)がイケメンすぎてヤバイ。

 母親は農楽者でベルに楽器の演奏を教えており、父親は石切細工をやっている。ベルが首から下げている時計石の首飾りは父親と一緒に作ったもの。首飾りをなくした後に「いいさ」と言ったのは両親の愛情を受け入れ理解できたことで、思い出の品に縋らなくても良くなったから。それでも大事なものには変わりない。

歌の歌詞は原作だとかなり伏線めいたというかド直球ワード連発なのだがそこらへんは減らしてぼんやりワードで編曲されました。相変わらず音楽が素晴らしいね。

ぶっちゃけ、ここでベルはすでに自分が無意識に拒絶していてだけで「世界に交じりたい」は達成できていたりする。自分からの歩みよる事ができるようになり今後の対人関係に表れてくる。


第四楽章


 実はアドニス遭遇~綿猫ポップス発見まではそこそこの期間があります。綿猫ポップスの餌付けも懐かれるくらい長い期間やっています……アニメだと次の日に事件発生みたいになってるけどねw

綿猫ポップスを見つけたときのkawaiiリアクションは原作には無く漫画版からの引用。漫画版はオリジナルのちょい足しがすんばらしいので必読ですぜ

 アドニスの部屋のやり取りは演出から会話内容まで情報量に割に良くまとまって分かりやすい。残念なのがティツィアーノがガフに手を出そうとしていた旨とアドニスの「お祭り騒ぎの舞台演劇ロールプレイングが始まる…」というセリフのカット。

特に後者は世界観の理解には重要ワードだったのに……

 討伐隊にいまいちまとまりが無いのですが、王と神によって選抜された人選の時点で相性が悪い者達が選ばれていました。その事にガフ苦言をいう場面があったのですがカットされました。一応、伏線なのに

 討伐に向かう途中で指揮者のカンパリさんがベルに対してやけに冷たいのは、前回の両親を救いに行った戦闘の指揮官だったからです。自分が到着前に戦闘を一人で終わらせたベルに思うところアリという感じですね。アニメでは訓練で統率を乱したから注意という風になっている。

ベルの隣に座っていたペリエ君ですが、原作では相当ヤバイ発言をしていたが丸々カット。よかったねペリエ君。ちなみに優しく意訳すると「君は可哀想な境遇だけど、僕はそれを理解してるし普通に相手するよ」的な発言です。

ゴードンはまじでゴードンなので最高に好きです。僕はゴードン推しなので(頭ベネディクティン)

 前線到着後の負傷者達から睨まれるシーン。実は先遣隊が壮絶な大敗をして大量の死者が出たのですが、本隊の到着前に戦場を綺麗に掃除させられています。それゆえにあの憎しみの籠った目付きになってたりします。ベルは持ち前の感応力でそれを察するのですが、いかんせんアニメで感応力の(ry

さいごに

 とりあえず、カタコーム戦開始まで。原作では1/5くらいの進行度でまだ序盤です。ここからキャラクターが増えて、本格的に世界観の掘り下げが始まって行きます。事前知識なしだと少し厳しいアニメですがなんとか振り落とされずに完走して欲しいです。



 世界観やキャラは好きだけど物語がわかりにくくてとっつき辛い、と言う方は是非マンガ版を手にとって頂きたい。アニメよりは分かりやすいし、なによりもちょい足しオリジナル要素による人物の掘り下げが素晴らしい。台詞や描写による補足も全てが高次元。欠点は打ちきりっぽい終わり方くらいです。

 もちろん、原作も読んで貰えるのが一番良いです。

……が、お世辞にも読みやすい文章とは言えない。「現実からの視点無き異世界描写」と「文字による情報量の暴力」が続くので自分の創造力と推測で隙間を埋めながら読むのが苦手は人にはお勧めできない。逆に、自分で世界の造形を想像しながら読むのが好きな人には刺さると思います。



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