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「テストの過度な重視」がもたらすリスクを世界銀行の資料から読み取ってみる
受験シーズンですね。
東アジアの教育の特徴は、「試験を重視する文化」です。試験制度そのものが中国で生まれているので当然といえば当然なのですが。
東アジアの国を比べると、日本は試験文化もあるものの、少なくとも、公教育でやろうとしていることは割とバランスが取れています。
一方で特に、韓国や中国は今も熾烈な「試験文化の国」と言われます。
本日は試験を重視しすぎることの歪みについて考えてみます。
以下は、大学院で出てきた世界銀行(2018年)の文章です。いくつかの問題点が指摘されています。原文は英語です。
1 テストに特化する指導になっていく
大きな問題が「テストに合わせた指導」になっていくことと言われます。日本でも進学校は受験に合わせた指導をしていると言われますが、マレーシアの英国式学校の多くも、中学以降は統一試験に合わせたカリキュラムになっていることが多いです。
多くの教育に関する議論では、過剰なテストやテストの過度な重視がもたらすリスクが強調されている。米国では、20年にわたる重大な結果を伴うテストが、こうした懸念と一致する行動パターンを生み出してきた。 一部の教師は、テストされていない科目ではなく、テストに特化した技能に集中し、一部の学校は、成績優秀者だけを確保する戦略的な行動をとっていることが判明している。
同時に、多くの低・中所得国(および一部の高所得国)における教育に関するメディア報道では、高等教育の受験者をふるい分ける全国的な重要試験に焦点が当てられることが多く、テストの過度な重視に対する懸念が高まっています。
日本では中学入試がかなり特殊な試験です。内容そのものが、学習指導要領の内容から独特に逸脱しているため、独自の勉強(主に塾が提供する)が必要となっているという慣習があります。
2 テストの結果を良くするために一部を排除したり、無理に優秀な人を入れたり戦略的な行動を取るようになる
もう一つの問題が「自分の学校の試験結果をよく見せようとする」学校が現れること。特別支援教室の生徒や外国籍の子をテストから省いたり、奨学金で試験結果の良い子を最終学年で集めたりします。
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