ショートショート 971~980
971.海の底へと逃避行。緑の陽が踊り、珊瑚礁の間にいつ落としたのか蛍石が座っていた。砂を掬うとお祭りで買った指輪やビー玉、届かなかった瓶詰めの恋文が転がっている。果てよりも続く廃線を辿り、影の冷たい処にある沈没電車へ乗り込んだ。ここは私だけの海。思い出から零れ落ちた、私の優しい停滞地。
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972.星座早見盤の回転に合わせて命を巡る。死んだ人に印をつけて、地図を墓標で埋めてしまおう。季節は彼等を置き去り生命と時間を押し流す。地球の回転から足を浮かす方法を探す旅に出よう。それはきっと何にも作用しない。それが出来たなら、君の命日を私の墓標にして、何処までも何処かへ飛んで行こう。
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973.二階の円窓から見えたのは、偽物のように輝く大きな星であった。コートを羽織り外へ出ると、それは思ったよりも遠い場所にいるらしい。友達のおばけがやってきた。「この世界はどうも、誰かの夢の中らしい」僕達は歩き出す。この夢の神様にあの星を返して、夢物語を綴じないと。これは明けぬ一夜の冒険譚。
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974.光らない星があったので、取ってみるとそれは空の色の染み込む大きな蛍石であった。振ると切れた電球に似た寂しい鈴の音が聞こえる。ぽたん、ぽたん、海に切れた星たちが降り注いだ。一体誰がどんな権限をもって星を補充しているのだろう。握りしめた蛍石の頼りない温もりはもう、冷め始めていた。
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975.古い屋敷の二階の奥に、気品の高いカップがあった。金の燻みを磨いて中を覗くと螺鈿細工だろうか、コイン程の古い玉が入っていた。その時丁度太陽が落っこち瞬く間に夜になり、途端に玉が妖しく光った。宝石に出せない光で部屋を撫でる姿は切なく、やっとそれが、昔無くした自分の月だと気が付いた。
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976.黒鍵の上で踊る少女が見る夢は、冬の林で、見えない幽霊から逃げるものだった。足音が追ってくる。絶え間ないワルツは胸を締め上げ「開けて、出して」少女は叫ぶ。林が永遠だと知っているのに。
疾うの昔に春は来て、少女は未だに目覚めない。だってこれは、とあるルチルクォーツの悪夢ですから。
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977.1.古い青のタイルを内に貼った箱を作る
2.静かに月が入るのを待つ
3.入ったら蓋を閉める
※月が逃げない様に、四隅の一箇所を少し切り、覗く様に見ましょう。
・螺鈿の粉、白粉、薄荷水などを与えましょう。ひび割れた月を見たくなければですが。
・引力に気を付けましょう。月の側で泣かないで。
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978.銀の器で月を飼っていた。
切り取った夜の中、丸い月は次第に細くなり、夜が瑠璃色になる頃には一匹のメダカに似た、白い魚になっていた。魚は水紋を奏でるだけで何も食べず、せめて見届けようと思っていたが死ぬ様子もなく、遂に先に死んでしまった。忘れられた廃墟の隅で、今尚枯れぬ夜を月が泳ぐ。
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979.林檎に恋したAさんは、毎日林檎を食べていて、気付けばルビーになっていた
月になりたいBさんは、毎日螺鈿を食べていて、気付けば真珠になっていた
文字を彷徨うCさんは、毎日香りを食べていて、気付けば余白になっていた
ワルツを踊るDさんは、毎日月夜を食べていて、気付けばお化けになっていた
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980.月は瞞しに浮かび、青の深さは計り知れない。残り香は空瓶を忘れず、合せ鏡の運命率、蛍石の影は水平線を超え、市民プールに散る陽日は0と1を反復する。ビー玉に入り込んだ理想郷、いつか描いた完璧な螺旋は未だ宇宙のどこかを漂い、私の手には、繋いだ君の体温が響いている。