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第8回学校の外へ!

 連載「新しい教育のために学校の空間的環境を変える」の第8回です。オランダのイエナプランスクールの教員研修などをされている、ヒュバート・ウィンタースさんに全12回にわたって学校空間に関してお伝えいただきます。翻訳・解説は、オランダ在住の教育研究家、リヒテルズ直子さんです。

筆者 ヒュバート・ウィンタース Hubert Winters
 ヒュバート・ウィンタース氏(1952年オランダ生まれ)は、オランダで小学校教師の経験を10年、小学校の校長経験18年を経たのち、1999年に学校および現職教員のためのサポートを行う研修会社JAS(イエナプラン・アドバイス&スクーリング社)を設立し、以来、主としてオランダにあるイエナプランスクールの教員のための現職研修および、学校の教職員チームを対象とした教育支援事業を行ってきた。
 レオワルデンの聖パウロス小学校で校長をしていたときに、学校改築事業で、「子どもたちのための優れた学習環境の創生」という観点から教育学的な視点でこのプロジェクトにかかわり、さまざまな学校空間のアイデアを実現した。2003年より、JASの事業の一環として、学校の新改築プロジェクトでファシリテーターの役割を担う。すなわち、学校の教職員および他のすべての関係者が持つ、空間的ニーズを調査し、学校側のこれらの願望を空間的環境へと翻訳する立場にある建築家に対して仲介する役割である。
 現在までに、ウィンタース氏は、約50の新改築プロジェクトにファシリテーターとしてかかわり、本連載のテーマである学校空間についてのいくつかの記事もオランダ語の媒体を通して執筆、発表している。

 本シリーズの第6回では、マルチプルインテリジェンスの理論を用いながら、子どもたちが、多様な形で学べるように学校の中にいろいろな場所を設けることについて示した。実際、マルチプルインテリジェンスの八つの領域を枠組みとして使うと、さまざまな学習センターを企画したり考案することができる。
 ただ、とかく私たちは、学校の外に出ていけば、子どもたちがもっとたくさんの多様な方法で学ぶ機会がある、「本物」の世界が待っているということを忘れがちだ。今回は、学校の外に出ていくことで、学校の中よりもずっと多くのことを学べるということについて書きたい。実をいうと、世界全体が教室なのだ、ということを。

 1971年に「脱学校論」というセンセーショナルな本を書いたイヴァン・イリイチは、この本の中で、学校関係者らが自らの教育をあまりにも「学校」という場にこだわって組織しすぎていることを指摘している。学校は、何らかの規則、何らかの価値観や倫理観に即して組織された機関であり、生徒は、この機関が認容している規則の枠内で育てられているということに気をつけておくべきだ。

 イヴァン・イリイチを待つまでもなく、すでに20世紀の初めに、アメリカの教育学者ジョン・デューイは、教育がもっと「プロジェクト学習」として企画されるべきだということを指摘している。生徒たちは、「ホンモノ」の問題に対して、自分の方から能動的に取り組むことによって、それまでに学んだ知識やスキルをすぐに応用するよう刺激される。また、学習は、協働や知識の応用を通していっそう深いものになるということは、研究でもわかっている。

 プロジェクト学習をする際には、まず何よりも、意味のある中身となるようなテーマを選ぶことが重要だ。そしてその中身は、生徒たちが学ばなければならない重要な事項に焦点を当てていなければならない。こうしたテーマは、(何らかのスキルなど)何か、学習の方向性についてのビジョンを持つことで得られることもあるし、(学習指導要領などに盛り込まれた)学習目標をもとにつくることもできるだろう。
 しかし、いずれにしても学びは、今生きている時代にあったものでなければならないし、そうすることで、生徒たちは今という時代のために、あるいは、将来のために必要なスキルを身につけるために、学んでいくことができる。

 こうした学び方の成果は、子どもが何かをつくることで目に見えてくる。言い換えれば、生徒は、最終成果物を作ることを通して、その成果物をつくるために必要な知識やスキルを身につけたことを示せるというわけだ。学びの成果を発表することも重要だ。こうした発表では、教師が月並みな授業で教えてくれる内容ではとても追いつくことのできない意外な学びを示すことがあり、こうした発表を周囲の人々に示すことには多くの価値がある。

 学校の外に出てできるアクティブな学習を実現するためのヒントになるアイデアを以下に示しておく。

農家学校

 クラスの子どもたちを連れて、週に一回または、月に一回農家に行ってみよう。農家では以下のようなことをするといい。

クラスの子どもたち全員で、一緒に自転車に乗って農家に行く。

仕事着を着て役割を分担する。

さあ実際に仕事に取り組もう。畑を耕し、馬小屋の掃除をし、りんごを収穫し、卵を集め、豚の様子を見に行き、みんなで一緒に転がり回って遊び、自然について学ぶ。自分の隠れた才能に気づき、クラスメートの姿をこれまでとは違う方法で知ることにもなるだろう。農家の仕事がどんなに大切なものかを理解し、そのために、その人の役に立つように手伝おう。

1日の農家での学びが終わったら、自分たちがその日にしたことについて振り返りながら、みんなで話し合う。何が面白かった? どんなことにワクワクした? そこで起きたことは来る前に予測できていただろうか。何か意外なことが起きたのではないか? 家に持ち帰ることのできるこの日の収穫は、何かもっとほかにもあっただろうか?

話し合いが終わったら、またみんなで自転車に乗って学校に戻る。途中、子どもたちは、いろいろなことを話しながら帰るだろう。放課後家に戻ったら、子どもたちの心は、家族に話したいことでいっぱいだろう。自分でつくったほうれん草を家族で一緒に味わうことになるかもしれない。

 また、農家では、以下にあげているようなことを調べたり、発見したり、やってみたりすることができる。

・ホンモノを使った算数教育
・自然や持続可能性について
・ワールドオリエンテーション、言語、技術
・社会的スキル
・食糧はどこからくるのかについて
・意志力や忍耐力
・(動物などの)世話をするということ
・身体的な発達

自分が住んでいる町の歴史

 周りをよくみてみると、自分が住んでいる周りの社会、その土地の歴史をたくさん発見することができる。事前に街歩きガイドを用意しておき、それを使って街を散策し、子どもたちに何かを気づかせたり、どこか興味深い場所に向かわせることができる。あるいは反対に、事前に何も用意せずに「私たちの街の歴史を見つけよう」という課題だけを出して、子どもたちに自由に散策させるという方法もある。もちろん、子どもたちが自分が学んだことを発表できる機会を用意することは大切だ。発表に対しては、いつも以下の二つの問いを投げかけることで、評価することができる。

あなたが学んだことは何ですか?
あなたは、どんなアプローチをしてそれを学んだのですか?

何かの課題を持って、その答えを見つけながら町を散策する
地図を使ってルートを探す
専門家から説明を受ける
歴史をテーマにした祭りやイベントに行ってみる
前史時代の生活を見学したり実体験したりする

博物館を訪問する

 博物館は教育的な組織だ。博物館の職員たちは、自分の博物館で何らかの展覧会を開くとき、子どもたちにもぜひ興味を持ってほしいと願っているものだ。だから、こういう可能性をぜひ利用するといい。

 博物館を訪問する際には、クラスの子どもたちが、どの子も皆、何かを学んで帰ってくることを目指すようにしたい。博物館に見学に行った後には、みんなで円になって座り、見てきたことやそこで経験したことについて話し合ってほしい。誰しも、自分の身の回りの世界は、自分なりの個人的な見方で見ている。同じ物を見ていても、ある人が見ているものは、誰か他の人が見ているものとは違うということはよくある。

 博物館への見学の成果を評価するために、事前に、子どもたちに何枚かの写真を撮ってくるように言っておくといい。そして、戻ってきたらどの子にも、「自分が撮った写真のうち、とても重要だと思う写真を2、3枚みんなに見せて」という。こうすることで、人は皆一人ひとり違った目で「世界」を見ていることに気づくことができるだろう。

人は皆、一人ひとり自分の見方を持っている
どんなことを聞いてみたい?
拡大模型を見ることで、さまざまな詳細を調べられる
博物館は、以前に比べて、訪問者がより「アクティブなかたち」で
展示物を見ることができるように企画されるようになってきている
みんなで一緒に、物をよく見る練習をする
「ほら、あそこにこんなものがあるのが見える?」

父親か母親の仕事場に

 子どもは、学校に行っている間に両親が何をしているのか全く知らないことが多い。もちろん、父親や母親は仕事をしている。でも、一体どんな仕事をしているのだろう。子どもたちが、1日、父親や母親が「仕事」しているところへ見学に行くのは、とてもいいプロジェクトだ。こうすることで、お互いから学べるし、親子の関係も良好になる。

私のパパはコックさん
花屋さんで花を売る
親の仕事場で、大人の会議に参加する

 このように、子どもたちにたくさんのことを学ばせたり、発見させたり、経験させたりするには、学校の外に出て行くことが一番だ。とはいえ、いろいろな事情で、学校の外にはなかなか出られないこともあるかもしれない。でも、そうだとしても、学校の周りには、ホンモノの世界があり、無限の可能性がある。豊かな学びの環境は、学校のほんのすぐそばにもあるものだ。

 もちろん、こうした学びを実現するには、多くの準備が必要になるかもしれない。でも、こうした学びだからこそ、本当にたくさんのすばらしい学習経験が得られるのだ。

 人は、どこにいようが、また、何をしていようが、学ばないでいるというわけにはいかない物だ。人はいつも絶え間なく何かを学んでいる。だから、どんな場所にいても、このように聞いて振り返ってみてほしい。「さて、ここで私たちは、何を学ぶことができるのだろうか?」と。

翻訳者より リヒテルズ直子

 今回は、学校の外の環境を教育の観点から見直す記事だ。「壁のない教室」「青空教室」など、学校の校舎という概念にとらわれることなく、世界のなかにいて学ぶという考え方は、見方を変えれば、人間の原初的な学びの姿への気づきであるとも言えるだろう。世界中のどんな場所でも、学校というものが生まれる前には、子どもたちは、生きたホンモノの世界のなかで、社会のなかで生きる力を学んでいた。そう考えると、学校という場所にこだわることの方が了見が狭いのではないかと思えてくる。

 オランダでは、こうした変化を通して、社会そのものが変わってきている。大人たちは、自分たちの仕事場に子どもたちがやってきて学ぶことを拒否しない。拒否しないどころか、歓迎する。そのために、仕事の手を休めて子どもたちの問いに応えることを厭わない。それが、大人世代から子ども世代への継承の姿ではないだろうか。

 保護者がどんな場所でどんな仕事をしているかを知れば、学校の外に学びの機会を生み出すことはいっそう容易になる。オランダの小学校の教室には、いろいろな職業に携わっている保護者が子どもたちの質問に答える時間などがよく設けられている。

 オランダは、博物館の数が多いことでもよく知られた国だが、それだけに、どんな土地に行っても、その土地の歴史にかかわる小さな博物館を見つけることができる。本記事にもあるとおり、博物館の職員たちは、未来世代にさまざまな遺産を継承するためにも、子どもたちが展示物に興味を持ってくれるようにいろいろな工夫を凝らしている。学校が、積極的に博物館に子どもたちを連れて行くようになれば、そうした意識が博物館の職員にも芽生えてくるはずだ。

 子どもたちの育ちを学校に任せてしまうのではなく、社会ぐるみで見守るというメンタリティは、学校が子どもたちを校舎から解放しホンモノの世界に連れ出して行くことから始まる。

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