板書の写真を撮る
Kohです。
今日授業をしていて、
「先生って毎回黒板(の写真を)撮っているんですか?」
と訊かれて考えたことを忘れないうちに書き残そうと思います。
はじめに
まず、私は初めて子どもたちの前に立って授業をしてから、自分の板書を撮り続けています。
毎日、毎回ではありませんが、行った授業の半分は撮っていると自分では思っています。
一日4回の半分、それを5日と考えても1週間で10回は撮っていることになる。
今書いていて、多いのか少ないの自分でもかわからない(笑)
でも、私のフォルダは板書だらけ。
仕事の記録、教育者としての成長記録、Koh自身の記録としても、私は価値があるような気がする。
見返すと面白い。
授業の内容はもちろん、当時授業した教室、黒板、子どもたち、この頃考えていたこと、意識していたこと、色々なことが思い起こされる。
私はその頃の国や地域も思い出す。
なんか懐かしい。
ただ懐かしむだけではない。
今の教え子に見せる理由
昔行った同じ内容の板書を、今教えている子どもたちに見せることもある。
理由はいくつかある。
・出なかった考えや意見を例として出す。
・例として出して比べる。
・同じような考えや意見があったよ、と強化することもできる。
・使い回せる説明や図は時間と手間を省くために使う。
などだ。
前時の板書を見せる理由
写真をほぼ撮っているので、前時の板書などをそのまま見せることもできる。
・復習にもなるし、流れがわかる。
・先程と同じく使い回せることがあるなら時間も手間も省ける。
・シンプルに黒板が二つあることにもなるので、情報量もアップする。
などだ。
こんないいことがあるのだ。
撮らない理由は私にはないし、最近は考えてもない。
終わったら消す前に撮っている。
以前はいい授業だったなーと思えば撮っていることが多かったが、今はなんか撮っている。
上記したメリットが、瞬時に頭をかすめるからだろう。
そんなこんなで板書の写真を撮っている。
昔の板書を子ども見て考える
昔の板書を今の子どもたちと見て話すのも面白い。
「一つ前の6年生も同じことをやったのか。」
「こんなこと考えたんだ。」
「何この説明(笑)」
なんとなく、今の子たちと昔の教え子たちが繋がる気がする。
今の中1も、去年は6年生だった。
当たり前のことが、意識して考えてみると不思議な気分になる。
なんかそんな感じ。
頭の中をずらずらと書いていくと詩人みたいな文を書くなーと思う。
仕事の記録としても、撮っていいものなら残しておくことをお勧めします。
キャリアパスポートみたいで面白い。
では、また。