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人の顔と名前が覚えられない

あと少しで40代に突入する私。

40代って想像がつかないし、なかなか自分が40代になるとは実感が湧かない。
上の子達が小さい時、子育て未経験で全部が初めてのことばかりで必死だった。
だからなのか、この頃の記憶が強く残っており今だに私は20代後半なんじゃないかと錯覚する程である。

そんな40代に突入するタイミングで中学校の同窓会が開催される。
節目の年だし、次に開催されるのは20年後の60代。それならまぁ参加しようかと申し込んではいるのだが、はて、、、

同級生の顔と名前を覚えていない。

特段仲が良かった子も居ないうえに私は人の顔と名前が覚えられず、今でも大変苦労している。特徴的な顔や声などは何となくは分かる時もあるが、それでも名前は全く覚えられないので街で出会って話しかけられても、誰だか分からず苦笑いをしてごまかすのだ。


おそらく私は「人」にあまり興味が湧かないのだ。と分かったのは本当に数日前。
農業のアルバイト先で親方と話している時に判明した。
一番下のチビ助がもう少し大きくなったら、私は何か打ち込める趣味が欲しいと話していた。
一人の時間やママではない繋がりが欲しいと。
それだけなら選択肢は沢山ある。
地元の吹奏楽団に入ったり、何か習い事をしても良い。はたまた学校に行ったって良い。

しかし私はどれもピンと来なかった。
何曜日の何時に「かならず」集まって、誰かと何かをする。ということにワクワクが感じられない。

誰かとコミュニティで話をしたい。という願望がある一方で誰かと「かならず」集まることはしたくない。

自分で話していながら、なんてわがままなんだ。と笑ってしまったが、なんと親方は共感してくれた。
親方もこうして私や他の人がアルバイトに来てくれて午前中だけとか午後だけとか一緒に話をして作業するのはとても楽しいが、これが1日中となると逃げ出したくなると。

「この日、この時間だけ」

というのが良いのかもしれないと。
なるほど。たしかにそうかもしれない。


完全に1人ではしんどいけど時々、その時だけ誰かとコミュニティを形成する。
だがあくまで自分のペースで物事を進めていきたい。他者に気を使いたくない。
自分が人に興味は無いが、どこか一時、一瞬は人と繋がりたいと思っていると気付けて胸がすーっと軽くなった。


話しかけられて分からなかったら正直に聞けば良い。
自分はこんな特性だと言っちゃえば良い。

その時名前を聞いてもすぐ忘れるだろう。
だが、その一瞬は話ができる。
その時が楽しければそれで良い。


同窓会も逆に名前が分からない人ばかりだから、その一瞬を楽しんできたら良いと思えたら気が楽になった。
子育てが落ち着いた先の自分の趣味も、無理せず見つけていこうと思う。


それにしても顔と名前が覚えられないのは、後腐れなく人間関係が結べて、生きていく上で案外便利なのかもしれない。

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