家康家臣団のゆかりの地をたどる 洛中洛外を(もっかい)(一人で)あるく・その伍
2009年4月から1年間、京都新聞市民版で連載した「中村武生さんとあるく洛中洛外」。京都在住の歴史地理史学者の中村武生さんが、京都のまちに残る秘められた歴史の痕跡を紹介する内容だった。連載当時、中村さんと京都のまちを歩いた担当記者が、今度は一人でもう一度、興味のむくままに歩いてみた。
前回の記事はこちら
駒札が好きなんです
先日、いつものように京の街をふらふらと歩いていると、新町通の蛸薬師下ルあたりに駒札を見つけました。駒札というのは、旧所・旧跡に建てられている将棋の駒の形をした札のこと。京都市内には、行政や企業、自治会や市民団体などが地域の歴史を伝えるために建立し、石碑などとともに、頻繁に目にすることができます。
はて、あんなところにあったやろかいな、と思い、近寄ってよく見ると、織豊期から江戸初期にかけて活躍した豪商・茶屋四郎次郎の屋敷跡でした。4月2日に放送されたNHK大河ドラマ「どうする家康」第13回では、中村勘九郎さん演じる四郎次郎が初登場。今後は、さらに三河と上方をつなぐ重要な役どころとなることでしょう。
茶屋四郎次郎って何者?
茶屋四郎次郎ってどんな人なのでしょう。そもそも、一人の固有名詞ではありません。京に店を構えた豪商の当主が継承した名前で、当然のことながら何人もいます。とりわけ有名なのが、家康の側近として仕えた初代・清延。そういえば家康も、今川家臣だったころは「松平次郎三郎元信」と名乗っていました。このケースだと「松平家の嫡男は次郎三郎を代々、名乗る」ということのようです。
ちなみに、「四郎次郎」の由来ですが、これは「四郎の次郎」という意味で、つまりは「四男だったお父さんの次男」ということらしいです。
さて、この初代・清延、若いころは家康の家臣として戦場でも功を挙げたといいます。一方で、父の代から上方で商いをしていたという話もあり、正直なところ良くわかりません。商いをしながら戦場で槍をふるうなんてことがあったのでしょうか。
いずれにせよ、ここに屋敷を構えた茶屋四郎次郎は、商いを大きくする一方で、徳川家とのつながりも維持し、「本能寺の変」の折には堺から京に向かっていた家康一行に、京都での出来事を報告し、家康に「伊賀越え」を決意させることになります。豊臣秀吉の治世になると、朱印船貿易で巨万の富を得て、角倉了以や後藤庄三郎とともに「京都の三長者」と呼ばれるほどになっていきます。
地名として名前が残るのってすごいですね
さて、この地を拠点に商いを続けてきた茶屋四郎次郎ですが、転居を強いられる出来事が起きました。それが1788(天明8)年の「天明の大火」です。当時の市域の8割を焼失したとも伝わる大火災でした。茶屋の当主・四郎次郎は、屋敷の場所を移すことを決意します。それが現在の上京区西洞院通下長者町下ル、近畿農政局などが入る京都農林水産総合庁舎一帯です。このあたりの町名は「茶屋町」。現在も、地名にその名残があります。
「茶屋町」という地名、ほかの場所にも存在します。名古屋市の名古屋城南側にある茶屋町は、まさにこの「茶屋」に由来します。名古屋城築城に合わせて、一族が屋敷を構えたことがきっかけです。一方、大阪・梅田にある茶屋町は「若者の街」として有名ですが、こちらは大きな「お茶屋」さんがあり、上方の旦那衆でにぎわったことが由来だそうです。
茶屋四郎次郎が、その栄華を伝える地名がもうひとつあります。それが「茶山」。叡山電鉄の駅名としてなじみ深かったのですが、今月1日に駅名が「茶山・京都芸術大学」に変更となりました。茶屋四郎次郎の別荘が、この辺りにあったのが由来だそうです。「茶屋山」が「茶山」に縮んだのでしょうね。そして、茶屋の別荘があった場所が、現在はふもとに京都芸術大学がある瓜生山です。
「ちょっと寄り道」のつもりが…
せっかくですので、近くにあるいったことのないお寺に立ち寄ることにしました。瓜生山の北側にある金福寺です。松尾芭蕉にゆかりがあり、与謝蕪村の墓がありました。京都市を一望できる与謝蕪村の墓から見える景色は素晴らしく、こんなところで眠りにつく与謝蕪村がうらやましくなりました。
と、この金福寺、もうひとつゆかりある人がいました。村山たか女です。井伊直弼と関係が深く、京都でスパイ活動を行い幕府の大老・直弼による「安政の大獄」に貢献するも、討幕派の志士らにひどい目にあわされ、剃髪して尼となった人。
ここでピンときた人は、なかなかの大河ドラママニアです。そう、村山たか女はNHK大河ドラマの記念すべき第一作「花の生涯」のヒロイン(演・淡島千景)なのです。まさかの大河ドラマつながりに驚かされました。村山たか女に呼ばれたのかもしれませんね。
さて、この辺りは一乗寺。京都の誇るラーメンストリートがあります。これは、ラーメン食べに行かないと。次回は後編として、ほかにも京都にある家康家臣団ゆかりの地をめぐります。ではでは。
佐藤知幸
ちなみに「神の君」家康と京都の関係を伝える記事もあります