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『誰がために医師はいる―クスリとヒトの現代論―』松本俊彦

認定NPO法人京都自死・自殺相談センターSottoは、京都に拠点を置き、「死にたいくらいつらい気持ちをもつ方の心の居場所づくり」をミッションとして活動しています。
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Sotto相談員によるブックレビューをお楽しみください。
今回の著者松本俊彦氏は依存症の専門家でありつつ、こよなくタバコを愛するニコチン依存症当事者ドクター。国立精神・神経医療研究センター 薬物依存症研究部 部長 。当事者のリアルを誰よりも理解してくれ、分かりやすく教えてくれる対処方法は多くの当事者の支えに。2018年からSotto理事。

私はどちらかというと速読だが、この本はあえて休憩を取りながら、時間をかけてゆっくり読んだ。何故なら面白すぎて一気読みするには勿体ないと思ったからである。

松本氏が医学部を卒業した当時は「残念ながら依存症専門医の多くは薬物依存患者は診たくないと考えていた」時代であり、自身も「薬物依存症の患者は、私のなかで診たくない患者のランキング第一位に位置づけされていた」と記す。率直である。しかもこの本は学術的でありながら情緒的で、知的でありながら思わず吹き出してしまう可笑しみも混在している。

若き松本氏が何故、依存症専門病院に赴任することになったのか、その経緯や臨床の場でのさまざまなエピソードを語りつつ、松本氏は精神科医になって25年を経た現在、はからずも自分がアディクション(嗜癖問題)臨床に回帰していることを運命であったと振り返る。

ところで、この本の中には「京都自死自殺相談センターSotto」のメンバーである私たちがまずは関心をもつ自殺について、多くの事例や松本氏の見識が書かれている。あれこれ抜き書きしたいところであるが、紙面の関係上、少しだけピックアップしておきたい。松本氏はかつて精神医学の世界を支配してきた「悩んでいる患者に対して安易に自殺念慮について質問してはいけない」という説は噴飯物の神話だと断言している。そしてこれまで自殺の予防にかかわってきた大切な学びとして、以下の2つを挙げている「一つは、本人が真に強く自殺を決意したら、いかなる治療や支援にも限界がある」こと。「もう一つは、そうはいっても人は最後まで迷っている」と。私も自殺にまつわる活動の関係者として、こうした事柄が広く、且つ正しく認知されることを希求する。

最終章は松本氏が20代から好きだったという音楽、レゲエの話。「ラスタ(レゲエ)用語に「アヤナイI & I」という表現がある。ラスタマンたちは、「あなたと私You & I」という代わりに、この「アヤナイ=私と私」を使うという。…アヤナイは「相手との間に垣根を作らない。相手を自分のことの
ように思う」という態度なのだ。」と結論にむかっている。説得や支配ではなく患者と治療同盟を築く松本氏のあり方の原点はここにあるのかもしれない。
(理事 廣谷ゆみ子)
[そっと Vol.123 7 月号]より

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『もしも「死にたい」と言われたら』

誰がために医師はいる みすず書房 

内容紹介
ある患者は違法薬物を用いて仕事への活力を繋ぎ、ある患者はトラウマ的な記憶から自分を守るために、自らの身体に刃を向けた。またある患者は仕事も家族も失ったのち、街の灯りを、人の営みを眺めながら海へ身を投げた。
いったい、彼らを救う正しい方法などあったのだろうか? ときに医師として無力感さえ感じながら、著者は患者たちの訴えに秘められた悲哀と苦悩の歴史のなかに、心の傷への寄り添い方を見つけていく。
同時に、身を削がれるような臨床の日々に蓄積した嗜癖障害という病いの正しい知識を、著者は発信しつづけた。「何か」に依存する患者を適切に治療し、社会復帰へと導くためには、メディアや社会も変わるべきだ――人びとを孤立から救い、安心して「誰か」に依存できる社会を作ることこそ、嗜癖障害への最大の治療なのだ。
読む者は壮絶な筆致に身を委ねるうちに著者の人生を追体験し、患者を通して見える社会の病理に否応なく気づかされるだろう。嗜癖障害臨床の最前線で怒り、挑み、闘いつづけてきた精神科医の半生記。

目次
「再会」――なぜ私はアディクション臨床にハマったのか
「浮き輪」を投げる人
生きのびるための不健康
神話を乗り越えて
アルファロメオ狂騒曲
失われた時間を求めて
カフェイン・カンタータ
「ダメ。ゼッタイ。」によって失われたもの
泣き言と戯言と寝言
医師はなぜ処方してしまうのか
人はなぜ酔いを求めるのか

あとがき
参考文献

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