女子高生退魔師 夏芽~第二章 風間~
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風間神社
葛木街の中央からやや西に位置するこの神社は、この国の霊脈を護るために約千年程前に建造され、代々風間家の娘の中でも最も霊力の強い娘が守護者として霊脈を護ってきた。
日本を古くから守ってきた退魔師の中でも風間家は支倉家、草薙家と同じく五大退魔師の一族である。
「十年ぶりかな、ここに帰ってくるのは」
神社に参拝に訪れる一般客とはどことなく違う空気を纏った少女が一人神社の入り口に立っていた。
ライトブルーのTシャツに青いデニム姿のその少女は神社の境内に立って、懐かしむように神社全体を見つめていた。
と、境内の清掃をしていた白い着物に紫の袴をはいた男性が驚いた表情を浮かべると、少女の許に走り寄ってくる。
「響子いつ帰った? 連絡をくれれば迎えのものを往かせたのに」
「帰ってきたのは今よ。それより、お爺様にお話があります」
響子と呼ばれた少女は左手を腰に当て、右手の人差し指を神主をしている祖父の顔に突き刺さりそうなほどピンと伸ばしながらそう答えた。
神社の敷地の中に木造二階建ての風間家の家が建っている。一階の奥の和室に、響子とその祖父である神主がテーブルを挟んで話し合いをしていた。
「最近になって霊脈の流れに異変を感じているけど、お爺様は何か知ってます?」
響子は自分の湯飲みを出してお茶を飲みながら話をきりだす。
「もう知っていると思うが二日前に支倉家の当主とその孫が何者かの襲撃を受け殺されてしまった」
神主でもあり、響子の祖父、風間 雄一郎は眉間に皺を寄せながら言った。
「聞いているわ。各地で大小様々な異変が起きていることも」
祖父の雄一郎とは逆に響子は至って冷静な顔をしている。
「そうだ。今は草薙家の退魔師が各地を回って対処しているらしいが、一人ではとても対処できまい。そこで、響子には草薙家の退魔師と合流し、一緒にことにあたってもらいたい」
響子は顎に細い右手の人差し指を当てながら少し考えこみ、うなづく。
「分かった、確か草薙家の退魔師は夏芽って名前よね?」
響子の言葉に雄一郎の顔に若干だが安堵の色が見えた。なぜなら、協調性に若干の不安を抱えた響子が同じ退魔師の少女と協力する意志を見せたからだ。
「今その子はどこに?」
湯呑をテーブルに置きながら訪ねる。
「隣町の桐生町まで来ているはずだが、迎えに往ってくれるか?」
「桐生ね、わかったわ。往ってきます」
響子はすっと立ち上がり、草薙家の退魔師と合流するべく家を後にした。
神社の敷地を出て閑静な住宅街を歩いていると、ステッキを持ちシルクハットに燕尾服のような服装をした外国人の男性に出会った。
「すみません、そこのレディ」
響子は一瞬無視しようかと考えたが、その男性の顔に明らかに困っているという色が見てとれたのと、一応まだ神社の近くにいるため、周囲へのイメージも考え対応することにした。
なにせこの地域でも歴史のある大きな神社の一人娘であり、もちろんだが風間神社も参拝客や檀家さんの支援なしには生活するのがきつくなる。
「はい? どうしました」
響子はすぐに笑顔(といっても営業スマイルだが)で外国人の男性に答える。
話を聞いてくれるとわかったのか男性の顔に安堵の色が顔に浮かんだ。
「失礼。実は風間神社、そう風間神社の場所を教えて頂きたいのだが、ご存じかな? レディ?」
「風間神社なら私の祖父が神主をしています。ここから百メートルほど行ったところにありますよ」
響子は今自分が歩いてきた方角を指差して答えた。
「おお、ありがとう、ありがとう。いや助かりました、実に助かりました」
男性はそう言うと風間神社を目指して歩いていった。
響子はしばらく男性の後ろ姿を見つめ首をかしげるも、すぐに再び駅に向かって歩き始めた。
桐生町 第三倉庫
いくつもの大きな倉庫が並ぶ中を、どこかの高校の制服と思われる茶色の制服を着た薄茶色の長い髪の少女――夏芽と、蒼い毛並みの狼――月牙が走っていた。
「月牙、あいつは?」
夏芽は横に並んで一緒に走る月牙に声をかけた。
「わからん、だが俺達から離れた訳ではないらしい」
「グルアアッ」
突然、夏芽と月牙の前に鳥の頭に人間の身体と巨大なコウモリの羽をもつ怪物が現われた。
一見するとライカンスロープのようだが、決定的に違うところがあった。
怪物はその身体が全て石で出来ていたのだ。魔力により生命を与えられた彫像“ガーゴイル”である。
「見つけたぁ」
「というより見つけられたと言ったほうがよくないか?」
両拳をボクサーのように構える夏芽の横で、月牙がツッコミを入れた。
「同じ、同じ。いくよ」
「了解だ」
二人は同時にガーゴイルに向かって走りだす。
「グルアアアアアアッ」
ガーゴイルは両の羽をはばたかせ空に舞い上がろうとした。
「させないよ」
夏芽は走りながら地面を蹴った。
蹴る瞬間に霊力を足に集中し爆発させ、夏芽の身体は六メートルほどの高さの上空にいるガーゴイルの頭上まで跳躍する。
すかさずガーゴイルに向かって右腕を構え、印を結ぶ。
「闇より生まれ人の魂を喰らい具現化したものよ、我が紅蓮の炎により再び闇に還れ」
夏芽の右拳が光を放ち、夏芽の身体が炎のように紅く輝きだした。
「鳳凰飛翔波」
夏芽が右拳を突き出すと拳から鳳凰の形をした炎が現われ、目下のガーゴイルに向かって突進していく。
「ギッ」
ガーゴイルは突然のことに対応できず、全身を炎に焼かれきりもみしながら落下していく。
落下と同時に乾いた音を立ててガーゴイルはバラバラに砕け、元の石の彫刻に戻った。
その光景を背にしながら夏芽と月牙もすとんと着地する。
と、その夏芽の足元に一発の銃弾が撃ち込まれた。
銃弾が発砲された方向を二人が見ると、そこにはライトブルーのTシャツに青いデニム姿の少女が二人に向けて純白の拳銃を構えていた。
「あなたが草薙家の退魔師よね?」
眼前の自分と同じくらいの年齢だろうと思われる少女に聞かれ夏芽も答える。
「そうだけど、あなた誰?」
不用意に少女に近付こうとする夏芽を月牙が止めた。
「待て、夏芽。不用意に近付くな」
月牙の声を聞いて、銃を持つ少女は小さく舌打ちをした。
「貴方、草薙家の退魔師よね? その狼君の言う通りよ。簡単に目の前の人間に近づかないほうがいい」
銃を構える少女の言葉に殺気が籠っているのを感じ、夏芽と月牙は戦闘態勢に移る。
少女は冷たい視線を夏芽達に向けたまま銃を下ろそうとしない。
「いくわよ」
少女は淡々と告げ同時に引き金を引いた。白い銃は絶対的な死の咆吼を上げ、高速の牙を夏芽に突き立てる……はずだった。
放たれた弾丸は、夏芽には届かなかった。月牙の両目が蒼く輝き、夏芽の前方の空間に防御障壁が展開されたのだ。
「誰だか知らないけど、本当に戦うしかないみたいね」
夏芽は障壁越しに告げる。それを聞きながらも少女は銃弾が防御壁で塞がれたことも気にせず、夏芽達に向かって走り出す。
「障壁くらいで、私の攻撃を無効化した気にならないで」
少女は銃を構えながら印を結び始める、それに呼応するようにその手に握る銃が白く輝き始めた。
「受けてみなさい」
放たれた弾丸は一筋の白い光となり夏芽達に襲い掛かる。
月牙の両目が蒼く輝き、夏芽の前方の空間に防御障壁が展開される。しかし、光の弾丸は防御障壁に当たっても消えずに、ジリジリと音を立て防御障壁を貫通しようとさらに回転を速めていく。
「ヤバッ」
夏芽が防御障壁の後ろから飛び退くのと、光の弾丸が防御障壁を貫通するのがほぼ同時だった。
「障壁を貫通するなんて」
夏芽は片膝立ちの態勢のまま、両拳を構える。
「さすが、草薙家の退魔師ね。次は当てるわ」
少女は銃口を夏芽達から離さず、防御障壁を貫通しても威力の落ちない距離まで間合いを詰めていく。
発てる
「夏芽、この距離では不利だ。なんとか接近して敵の拳銃の間合いの内側に入るんだ。そうすれば拳銃より素手のほうが攻撃速度が速い」
月牙は冷静に自分達に向けられる銃口を睨みながら夏芽に告げる。
「俺がなんとか隙を作る。夏芽はその間に接近して攻撃するんだ」
「わかった」
夏芽と月牙はアイコンタクトでタイミングを合わせる。直後、月牙が響子に向かって突進していく。
「ガアアアア」
咆哮をあげる月牙の口から、巨大な蒼い炎の塊が少女に向けて放たれた。
「こんなもので、私は倒せないわよ」
冷静に右手の銃で飛んでくる炎の塊を撃ち落とす。
「はぁぁ!」
声に少女が振り向くと、夏芽の右拳が自身の腹部を捉えようとしていた。
「そんな見え見えの攻撃に当たらないわ」
夏芽渾身の右のボディブローは少女の左手に止められる。
「お返し」
夏芽の右手を握り動きを止めると、銃を夏芽の額に向けて放つ。
夏芽に向けられた銃口から放たれた光の弾丸は、正確に夏芽の額を打ち抜くはずだった。
だがそれは月牙が展開した防御障壁によって阻まれた。
「霊力を弾丸にして撃ち出しているようだな、それがお前の力か」
月牙が距離を取った夏芽の前に立つ。
「そうよ。これが私の力。自分の霊力を弾丸に変えて全てを打ち砕く力。次は外さないわ」
「どうする?月牙。あの人強い」
「俺がもう一度あいつを引き付ける、その間に“鳳凰飛翔波”をぶつけるしかない。いいか、チャンスは一度だけ、全力でぶつかるぞ」
「だね、いくよ」
月牙が走りだすと同時に、夏芽は右拳を構える。
「食らえ」
月牙は大きくジャンプすると蒼い炎の塊を口から放った。
「誰が」
少女は炎の塊に銃口を向け引き金を引く、炎の塊は月牙と二人の間合いの中間で爆発した。
「これならどうだ!」
いつからそこに居たのか、月牙は三メートルほど横の距離にいて、再び蒼い炎の塊を放つ。
「まだよっ」
その攻撃に素早く反応する、顔が月牙を向く前に一瞬速く銃を持つ右腕が月牙に向けて動いていた。
少女はそのまま引き金を引く、ほぼ勘を頼りに放たれた弾丸は見事に炎の塊を破壊していた。
その直後――
「鳳凰飛翔波」
突然の夏芽の声に振り向くと、あと一メートルほどの距離に炎の鳳凰が甲高い鳴き声をあげて突進していた。
「なっ、くぅ!」
絶妙のタイミングで鳳凰飛翔波を放ち、勝利を確信していた夏芽の目に信じられない光景が飛び込んできた。
炎の鳳凰の向こうにいる少女の左手にさっきまで持っていなかった二丁目の銃が出現した。
直後、炎の鳳凰は白い弾丸により撃ち砕かれた。
「なっ」
夏芽と月牙の二人は同時に声を失っていた。
両手に純白の二丁拳銃を持ったままの少女は、すっと両腕を下ろした。
「まさか、ここまでとは思わなかったわ」
そこまで言うと、糸が切れた人形のようにゆっくりと少女は崩れ落ちていった。
「月牙っ」
地面に倒れこむ直前に、月牙が少女の身体を受け止めた。
激しい死闘を繰り広げてから一時間ほど後、少女がゆっくりと目を覚ました。
「大丈夫?」
ゆっくりと身体を起こす少女を心配そうに夏芽が尋ねる。
「さすが草薙家の退魔師ね。私に勝つなんて」
「そろそろ名前を教えてくれない?そしてなんで私を狙ったの?」
夏芽の問いに少女は少し考え、口を開く。
「私の名前はね、風間響子。退魔師の家系である風間家の退魔師よ」
「あなたが風間家の……なんで私を襲ったの?同じ退魔師なのに」
自身を襲ってきたのが同じ退魔師と知り、夏芽は驚きを隠せなかった。
「私の両親もね、風間家の退魔師だったの。でも私がまだ小さかったある時、両親は怨霊退治の仕事に行ったまま帰ってこなかった。二人にとっては簡単な仕事だった、でも怨霊以外の誰かが突然二人に襲い掛かった。あとで見つかった両親の身体には、ナイフのような刃物で斬られた無数の傷があったわ。だから私は両親の復讐のために退魔師になり、この銃を取ったの」
響子の表情は暗く、視線は冷たいものになっていた。
「だから各地で今起きている異変を調べていけば両親の仇に会えると思っている。そんな時に草薙家の退魔師であるあなたが近くにいるって聞いて、何か知っていればと思ったのと実力を知りたくて」
じっと自分を見つめる響子の言葉に夏芽は答える。
「ごめんなさい、その響子ちゃんが言うような相手にはまだ出会ってないわ」
「そぅ……襲って悪かったね」
落胆する響子の右手を夏芽はそっと握る。
「私も響子ちゃんの力になる。そしてそんな銃は使わせないように私も戦う。響子ちゃんを死なせない」
突然で驚きに目を見開いた響子は、夏芽に握られた手を見つめると、バッと手を振りほどいた。
「そこまで言うなら力を借りてあげるわ。でも私の足を引っ張らないでよね」
夏芽は響子の反らした横顔が少し赤くなっているのを見て微笑んだ。
響子と夏芽、月牙の三人が響子の家がある風間神社の方角を歩いていると、三人の横を消防車数台が風間神社の方へ走っていった。
「何?家の神社の方向じゃない!」
響子は驚きながら消防車のあとを追うように走りだした。
《お爺さま、どうか無事で》
数分前に通り過ぎた消防車が再び響子の目に飛び込んできた。そこは響子の家がある風間神社の敷地の前だった。
すでに数台の消防車が放水を開始し、数人の消防士が敷地内への突入準備をしていた。
その横を一人の少女が走り抜ける。
「君、中は危険だ。いくんじゃないっ」
消防士の制止を振り切り走っていく響子から僅かに遅れて突然、消防士達の視界が青い光に包まれた。
「なっ、なんだ」
光に目が眩む消防士達の間を一人の少女と狼が走り抜けていく。
風間神社の境内は、数時間前とはうって変わって真っ赤な炎に包まれていた。
全ての木々に炎が燃え移り、神宮やその他の建物からも炎が上がっている。
響子はその光景に愕然としながらも、祖父の無事を確かめるために家へ急ぐ。
響子が境内の中央を走り抜けようとした時、境内の中心にある神宮の屋根から男の声が聞こえてきた。
「おや、そこのレディ。さっき道を教えてくれたレディじゃないかな?おお、やはりそうだ」
どこかで聞いた声が響子の耳に飛び込んできた。ふっと声が聞こえた方向を振り向くと、そこには数時間前に響子に道を尋ねてきた外国人男性の姿があった。
「あなたは、さっきの」
響子の驚愕の声を聞きながらも外国人男性は紳士的な仕草を崩さない。
「さっきはありがとう。お陰で私の仕事が成功、そう成功した」
外国人男性は響子に絶望的な一言を発した。
「レディの親切心に敬意を表して、私、クリフォード・ロームフェローの仕事を教えてあげよう。私の仕事、それはこの風間神社の破壊と風間家の退魔師の殱滅、そう殱滅だったのだよ。君から教えてもらったことで、見事に、そう第一段階は見事に成功だ、あとはレディ君をここで殺せば私の仕事は終わる」
クリフォードは右手に持っていた赤く染まった風間雄一郎の白い着物を放り投げた。
響子の思考が完全に止まり、目の前が真っ白になったのと、クリフォードが上げた右腕から黒い球体が出現し、それが響子に放たれたのが同時だった。
響子に黒い球体が当たる寸前に響子の前方に防御障壁が展開され、響子を守った。と同時に響子の前に月牙が立つ。
「はあああっ」
気合いの声を上げながら跳躍し、夏芽はクリフォードの顔に右ストレートを繰り出していた。
「何っ?」
クリフォードは突然の乱入に対応が遅れ、夏芽の攻撃をギリギリで避けることしかできなかった。
夏芽は攻撃した時の勢いのまま、クリフォードと同じ神宮の屋根に着地する。
「君は、おお君も居たのかね?好都合、いや、実に好都合だ。君を殺せば私の仕事が飛躍的に早く完了する」
クリフォードの言葉に夏芽は眉を上げ、何やら紋章のようなもの――破邪の紋章――が施された革のグローブをつけた両腕をクリフォードに向けて構える。
「私のことを知ってるの?オジサン」
「オジサン?この私がオジサンかね?まあいい私は君を知っている。ああ、知っているとも。君が倒した犬塚醍醐、あれは私の仕事仲間だったのだから」
――犬塚醍醐――それは夏芽が二日前に倒したライカンスロープの名前だ。
二日前に夏芽は同じく代々退魔師をしている支倉優也と出会った、しかしその支倉優也と支倉家の人間を殺したのがその犬塚醍醐だった。
「オジサンが犬塚醍醐の仲間なら倒すしかない」
夏芽は革のグローブに力を込めて拳を握り締める。
「いくよっ」
夏芽はいっきに間合いを詰めるように走りだし、クリフォードに牽制の左拳を放つとすぐに右ストレートを繰り出す。
夏芽の攻撃は確実にクリフォードの顔面を捉え倒しているはずだったが、突如クリフォードの前に現われた半透明の黒い防御障壁によって遮られる。
「なかなかの速度と攻撃だ、いやはや、なかなかの攻撃だった」
クリフォードが言うが早いか、突然夏芽の身体が宙を舞った。
クリフォードの右手から放たれた黒い衝撃波が夏芽を襲い、空中の夏芽の身体は物理法則を無視するかのようにそのままの体勢で真横に飛ばされ、家の隣に立つ木に激突してそのまま枝を折りながら地面に落下していく。
「夏芽っ!」
月牙は叫び声を上げると同時にクリフォードに飛び掛かり、口から青い炎の塊を放つ。
「これはこれは、人語を理解する狼君か。使い魔風情が私に刃向うつもりかね?私にそんなものは効かんよ」
クリフォードは右手を月牙に向けてかざすと黒い球体を放つ、すると黒い球体は月牙の放った青い炎の塊を打ち砕き、月牙を襲う。
「ぐおおおっ」
月牙は空中で黒い球体の直撃を受け、まるで見えない強力な力に叩きつけられたかのように地面に激突した。
「月牙っ」
木の下から辛うじて上半身を起こした夏芽が名前を叫ぶと、震える身体で月牙が立ち上がる。
「いずれこの世界の支配者になる私が、お前達みたいなゴミに負ける訳がないだろう」
クリフォードは高笑いを浮かべ、地面を這う虫か何かのように冷たく夏芽達を見下した。
「夏芽、立てるか?」
月牙の声に夏芽は答え、ガクガクと震える足で立ち上がる。
「まだ、負けてない」
夏芽がよろけながらもなおも戦おうとしたとき、正気に戻った響子が夏芽のもとに走り寄ってきた。
「大丈夫?夏芽。今治療するから」
響子は夏芽に両手をかざすと、治療の術を夏芽に施しはじめる。
「響子ちゃん」
響子の術を受けて夏芽の身体が白く輝いた。
「ほう、治療など私がさせないよ」
クリフォードは右手を夏芽と響子に向けると黒い球体を放った。
「やらせん」
クリフォードの放った黒い球体は月牙の展開した防御障壁によって防がれた。
「この犬っころが、邪魔するなっ」
突如クリフォードの額に無数の皺が刻まれたかと思うと、クリフォードのさっきまでの紳士的な仕草が一変し、乱暴な仕草に変わる。そのまま右手を月牙に向け、今までの二倍近い大きさの黒い球体を月牙に投げ付けた。
「鳳凰飛翔波」
クリフォードの攻撃は、突如横からはばたいてきた炎の鳳凰により阻止される。
「どいつもこいつも、私をこけにしおって」
「さっきはどうもオジサン。今度は私の番」
夏芽の身体が炎のように紅く輝きだす。
全身に霊力を蓄めた夏芽はそのまま、クリフォードへ向かっていく。
「はあああっ」
地面をけり飛ばした夏芽は弾丸のようなスピードでクリフォードとの間合いを一気に詰め、クリフォードの顔面に右ストレートを繰り出した。
「そんなものが効くか」
クリフォードが展開した防御障壁に数発の白い弾丸が命中し、防御障壁を破壊した。
響子の放った霊力の弾丸である。
「なんだと!」
驚愕に染まるクリフォードの顔面に、夏芽の右ストレートが吸い込まれるように叩き込まれた。
しかし、その後も夏芽の攻撃は止まらずに、さらに数発のパンチがクリフォードの顔面に叩き込まれる。
「この小娘、もう許さん」
髪を乱しながらクリフォードは口元に血を滲ませ、夏芽を睨み付けた。
その顔は夏芽のパンチを何発も受け、自身のプライドを傷つけられた怒りのためもとの紳士的な態度を完全に失っていた。
「すっかり紳士な顔が消えたわね、オジサン」
夏芽は左右にステップを刻みながらクリフォードを睨み付ける。
「目障りだ、死ね小娘」
クリフォードは両腕を空に掲げた。掲げた両腕から黒い球体が現われる。
「夏芽っ」
木の下に片膝立ちになっていた響子と月牙は、ほぼ同時に夏芽の名を叫んだ。
クリフォードが魔力の塊を夏芽に向けて放とうとした時、突然クリフォードの胸から何本もの黒い剣の剣先が突き出した。古代中国にて使われていたような剣に酷似したその剣先は紅い血で濡れている。
「なっ、何だこれはっ」
クリフォードは自分の胸を貫く絶対的な死の象徴を見て驚愕の表情を浮かべた。
「ふぉっふぉっふぉっ、ワシじゃよ、クリフォード」
いつのまにいたのか、クリフォードの後ろに黄色い中華服を着た老人が立っていた。
「貴方は……李老師……何故貴方が私を……」
「鬼頭の坊主の指示でな、謀反を起こしそうな蛆虫を消せとな」
李の普段のボケた姿からは想像できない残虐な表情を浮かべた姿に、クリフォードは初めて恐怖を覚えた。
「まっ、待ってください李老師。私と共にこの世界を手に入れませんか?鬼頭のガキではなく、私と」
「去ね」
李がクリフォードにそう囁くとクリフォードの体が徐々に塵のように崩れ始めた。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ私はまだ死にたく……」
そこまで言ってクリフォードの体は全て塵になり、李が持っている呪符に吸い込まれていった。
「ふぉっふぉっふぉっ、小物の分際でよく言うわい」
「待ちなさい、勝手に人の祖父の仇を殺しておいて、帰れると思っているの?」
響子は銃を李に向ける。
「そんな銃ごときでワシを殺せると思っておるのか?」
李の白く長い眉毛の下から、糸のように細い眼が不気味な光を放ちながら覗く。
「やってみないと分からないわ」
響子は言い終わる前に引き金を引いていた。
響子の銃から発射された二発の霊力の弾丸は、正確に李の眉間と心臓を撃ち抜いたかのように見えた。
だが、弾丸は李の身体をすり抜け、李の身体か揺らいで消える。次の瞬間、李は響子の背後に立っていた。
直後、響子の背中から血飛沫が舞い、膝から崩れるように響子はゆっくりとその場に倒れる。
「ふぉっふぉっふぉっ。だから言ったじゃろ、小娘さらばじゃ」
李はそう言い残し、大量の呪符の竜巻に包まれていずこかへと消えた。
「響子ちゃん」
夏芽と月牙は倒れた響子に走り寄る、響子の背中は右肩から左の腰までを袈裟切りにされていた。
「夏芽、まだ息がある」
「外の消防士さん達と一緒に救急隊がいたはずだね、お願いしよう」
夏芽はそう言うと、月牙の背中に響子を乗せて境内から外に出た。
「何だ、炎の中から誰か出てくるぞ」
「救急隊、要救助者発見」
「君、大丈夫か?」
響子は救急車に乗せられ、夏芽と月牙も付き添いで乗り込みそのまま、病院へ搬送された。
数日後、夏芽は響子の病室に居た。
「響子ちゃん、身体の具合はどう?」
ベッドの上で眠っていた響子が、夏芽の言葉に気付き目を覚ました。
「大分痛みはなくなったけど、まだ運動は出来ないだろうって。でも一週間もすれば退院できる」
響子の傷は心配していたほど深くなく、なおかつ響子の生まれ持った霊力の力も手伝って、思いのほか回復速度も早かった。
「気になることが一つあるの。あのクリフォードとか言うヤツが言ってた、“鬼頭”って名前。まさかとは思うけど、鬼頭家と何か関係あるのかな?」
クリフォードが最後に言っていた“鬼頭”と言う名前、それは日本の五代退魔師の家系の“草薙”“風間”“支倉”“鬼頭”“神代”の中に名を列ねる名前である。
しかし、二十年前に神代家とともに何者かによって一族全てが殺されると言う事件が起きていた。
故に、五代退魔師の家系で残ったのは、草薙家の夏芽と風間家の響子だけということになる。
「だけど、鬼頭家は神代家と一緒に滅んだはずよ。確かに一時期、鬼頭家と神代家の若い後継者の二人が行方不明になったって噂が流れたみたいだけど、二人の死体が鬼頭家の敷地で見つかったらしいわ」
鬼頭家、神代家の全員が殺された事件から数日後、行方不明の二人の若い後継者の死体が、鬼頭家の敷地にある山林で見つかったのだった。
これにより、一時期噂されていた二人が一族を殺しどこかに逃げ生き延びたという噂は立ち消えた。
「だよね。でも一応調べてみるよ」
「本当は私も一緒に行きたかったんだけど…」
響子は伏し目がちに毛布に視線を落とした。
「響子ちゃんはしっかり怪我を治すことだけ考えて。私達は大丈夫だから。待ってる」
夏芽はそう言って響子の手を取りながら励ました。
「ありがとう、夏芽。早く治して私も合流するよ」
響子は笑顔で答えた。
病院を出てから数十分後、夏芽は風間神社を訪れていた。
クリフォードとの戦いから数日経つものの、まだ境内には誰も入らないよう警察の黄色い区画テープが数本貼ってあった。
事件は強盗目的の放火ということで処理されていた。
夏芽は神社入り口正面に立つとそっと黙祷を捧げた。
「夏芽、さっき調べると言ったがどうやって調べるんだ?」
いつから居たのか、夏芽の横には青い毛並みの狼、月牙が座っていた。
「うん、取り敢えず鬼頭家の本家に行ってみようと思う」
「しかし、危険じゃないか?」
「確かに危険かも知れないだけど、今は他にあいつらの手がかりが何もないから。犬塚醍醐、クリフォード・ロームフェロー、そしてあの中国人のお爺さん李、この三人に繋がると思われるのがそこなら、行くしかない」
「分かった、なら行こう」
夏芽と月牙の二人は風間神社を離れ、鬼頭家の本家を目指して歩きだした。
―――「怜司、霊脈のほうはどうなっている?」
金色の装飾が施されたフードを被った男は、自身の左側の席に座る男に問い掛けた。
「どうやら、風間の爺さんが最後に貼った封印によって、霊脈は安定化したままになっているようです。クリフォードのオジサンは裏切るつもりだったから霊脈の破壊を無視したようですね。本当に使えない」
怜司と呼ばれた男はそう言うと、フードの下で怪しく光る片眼鏡を直した。
「ふぉっふぉっふぉっ。まあ、ヤツのやりそうなことじゃな」
怜司と呼ばれた男の前に居た男はそう言うと、フードからはみ出す自身の白く長い髭を撫でた。
「これくらいで私の計画は狂いませんが。ただ修正しないといけないと思うと苛立ちますね」
「怜司、お前の計画には期待している。修正後の計画はどうなっている?」
「すぐに用意します」
怜司は軽く頭を下げる。
「そういえばクリフォードの小童が鬼頭の名を出したがどうするのじゃ」
「李、もしあの家に誰か来るようなら殺せ」
「ふぉっ怖い怖い」
笑い声をあげながら白髭を撫でるとその姿が煙のように消えた。
「では、私も計画の修正のために部屋に戻ります」
怜司は一礼すると部屋を出ていた。
装飾の施されたフードを被った男と、その右側に座る男の二人だけが部屋に残っている。
「総一郎様、どうしますか?」
装飾の施されたフードを被った男すぐ右側に座る男が聞いた。
「あそこには何もないが、万が一に備えて李を行かせるのだ。心配はあるまい」
総一郎と呼ばれた男は淡々と答える。
「私の放った式神によると、李老師に不振な動きがあるように見えます」
「それも心配いらんな、晃。怜司は優秀な男だ」
晃と呼ばれた男はまだ納得していないようだった。
「あの男を私は好きになれません」
「もうしばらくの辛抱だ。もうすぐで俺達の悲願が成就する」
晃は、はいとだけ答え、軽く頭を下げた。
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件・場所とは一切関係ありません