女子高生退魔師 夏芽 序章
序章ー女子高生と蒼い狼ー
月の光が微かに差し込む薄暗い廊下の中、チカッチカッと天井の蛍光灯が点滅している。
かつては多くの人が住んでいたと思われるマンションの廊下は、以前の面影はなく、今は嵐にでもあったかのように様々な物が散乱し、ガラス窓は完全に割れ、外からの風が廊下の中に吹き込んでいた。
その廊下の中央、まだ光が当たらないそこで異様な程大きな影が蠢いていた。影がもぞもぞと動くたびにゴキャッ、バリッと何かを砕くような不穏な音が耳に入ってくる。
月の光が傾き、廊下を照らす。
月明りを受けたそこには、三メートルはあろうかというほど巨大な何かが居た。
巨大な何か―それは全身を薄緑色の粘度の高い体液で濡らし、大きな頭部にカエルのような怪しく光る双眸、大きく裂けた口をした、この世には存在しえないモノ、古くから"魔物”と呼ばれるモノだった。
そのカエルのような姿の魔物の口からは、男性と思しき下半身がぶら下がっていた……
「やっとみつけたわ」
と突然、現在の状況には似つかわしくない少女の声が響いた。
声のした方向、月明りを受けたそこには、どこかの高校の茶色いブレザーの制服を着た薄茶色のストレートロングの少女と、その少女の腰まで届く大きな蒼い毛並みの狼が立っていた。
「夏芽、ヤツがターゲットで間違いなさそうだ」
低くどこか威厳のようなものを感じさせる声を、狼は隣の少女に向けて発した。
「そうみたいだね月牙」
夏芽と呼ばれた少女は目の前の巨大な魔物の周囲に目をやる。
そこには魔物が咥えている男性以外にも、同じく犠牲となったのであろう食い散らかされた数人の男女の身体の一部が落ちていた。
二十代前半と思われる被害者達の周辺に散らばる、鞄や懐中電灯、廃墟を特集した雑誌……おそらく趣味の集まりの一環でここに来たのだろう彼らも、ひと時のスリルや好奇心を満たす為に訪れた場所で、まさかこのような魔物に出会うとは思うまい。
夏芽は、隣にいる蒼い毛並みの狼、月牙に言うと、紺の革手袋を着けた両拳をボクサーのように怪物に向けて構えた。
突き出された両拳の手袋には何やら紅い紋章のような物が施されている。
夏芽と月牙のやり取りを見て、魔物の目が細くなり、口元がニタリと笑うかのように不気味に開かれ、その拍子に魔物の口から男性の下半身が地面に落ちた。
夏芽の両拳がその光景を見た事で更に固く握られる。
「いくよ、月牙」
夏芽がそう言った瞬間、その身体は廊下の端から魔物のもとへ一気に間合いを詰め、夏芽の右拳は魔物の顔面に叩き込まれていた。
夏芽の拳が当たった瞬間、グチャと不快な音を立てて魔物は廊下のさらに奥へと吹き飛んでいく。
その中を月牙が風のような風のような速さで、魔物の後を追う。
「グェェェェェェェェェェェ!」
なんとか姿勢を立て直した魔物はその口から長い舌を月牙に向けて伸ばす。
「当たらん!うぉぉぉぉぉぉ」
月牙はその舌を空中で横に躱し、咆哮と共に口から蒼い火球を魔物へ放つ。蒼い火球は魔物に当たり、魔物は苦悶の叫びをあげた。
続けざまに月牙が火球を放つが、魔物はそれを天井への跳躍で避けると、そのまま天井に張り付き、魔物は月牙を夏芽を睨んだ。
「見た目だけじゃなくて本当にカエルみたい」
夏芽がそう言うと魔物がニタリと笑い、その長い舌を口から出した。
「うげぇ、気持ち悪い」
その言葉にカチンと来たのか、魔物は夏芽にその舌を伸ばして攻撃した。「遅いよ!」
魔物の舌は夏芽が一瞬前までいた地面を抉るのみで、夏芽を捉える事は出来なかった。
「これで終わり!」
夏芽はそういうと右拳を額の前に掲げ、何やら呪文のような物を唱え始めた。
「人の魂を喰らうため闇より現われしモノよ。我が紅蓮の炎により再び闇に還れ」
言い終わると同時に夏芽の右拳が光を放ち、その身体が炎のように紅く輝き出す。
「鳳凰飛翔波」
夏芽が紅く光る右拳を突き出すと、その右拳から鳳凰の形をした炎が現われ、甲高い鳴き声とともに眼前の怪物に向かって飛んでいく。
「グワァァァァァァァァァ」
紅蓮の炎を纏い迫る鳳凰を避けることが出来なかった魔物は断末魔の叫び声を上げながら地面に落ち、そのまま塵一つ残す事無く燃え尽きた。
「よし、取り敢えず怪物は倒したけど……」
夏芽は先程の廊下まで戻り、既に到着していた月牙の足元の遺体の傍にしゃがみ込み、手を合わせる。
「助けられなくてごめんなさい」
夏芽はそう呟き、右手を遺体にかざす。すると夏芽の身体が蒼く輝き、その光が遺体を包んだ。
そして、男女の魂が青白い光と共に生前の姿で現れた。
「本当にごめんなさい。せめて、皆さんの魂が静かに眠れますように……」夏芽言葉に笑顔で応え、男女の魂は光の粒子となり消えていった。
「月牙、あの人達を救えたんだよね?」
魂が消えていったのを見上げる夏芽に向かって月牙は穏やかに声をかけた。
「さっきの顔を見ただろ?大丈夫、救えたさ」
月牙の言葉に夏芽は笑顔で頷いたが、その目にはまだ涙が光っていた。