この街が好き!やっぱり好き!なんだかんだ好き!私の生まれ育った地元を紹介!
みなさん、こんにちは!
マーケロボでインサイドセールスをしている、ナカタニ です!
今回も私の番がやってまいりました、
「発信!マーケロボ」
お題は「この街が好き!」
マーケロボでは大事にする価値観の一つとして「地元愛」というものがあります。
地元愛とは、地元愛とは、生まれ育った環境に感謝することを指します。
未来をよくするためには、その上流にある過去を向き合うことが重要という考えから、
これまで自分を育ててくれた地元への孝行と貢献を行うことを大切にしようと考えております。
そんな私が生まれたのは、大阪府八尾市でございます。
いやどこ!?ってなった方。
致し方ありません。
その疑問は私からご回答できればと思います。
それではどうぞ!
大阪府八尾市とは何か!?
大阪の東の方に位置する街でして、
梅田や心斎橋といった主要繁華街へのアクセスは電車で20分と
最強に立地がよく、住むにはもってこいの街でございます。
私も大学生の頃は梅田でギリギリまで飲んで、
虫がさえずる奈良の辺鄙な土地で目覚めたことが何度もあります。
そんな八尾の特産、
たくさんございますが私が1番に持ってきたいのは歯ブラシです!
何と八尾は歯ブラシの生産量全国No,1で、
そのシェアは全体の約4割をしめております!
そんな歯ブラシを製造している、八尾有数の企業とは
合資会社 三和歯刷子工業所様!
何とこの企業は1924年創業で、創業の谷口様より一族でご経営されてらっしゃいます
(現在3代目が御就任)
正しくスーパーサステイナブル!
▼八尾が誇る、サステイナブルカンパニーの合資会社 三和歯刷子工業所様
歯ブラシ製造の工場見学もできるので気になった方はこちらよりご覧ください!
このままですと酔い潰れた私は八尾生産の歯ブラシに助けられた、
という文脈になるので、もう少し私の地元について紹介させてください。
500年以上の歴史を誇る、私の地元「久宝寺」
もう少しZOOM INさせてください。
私が生まれたのが大阪府八尾市久宝寺というところです。
実はこの久宝寺という街、550年近くの歴史を持っております。
久宝寺寺内町の歴史は、450年以上前、戦国時代にまでさかのぼります。文明二年(1470年)に本願寺第八世蓮如上人が久宝寺で布教した際、「帰する者市の如し」といわれるほど帰依するものが多かったので、文明十一年(1479年) この地に西証寺を建立しました。後に西証寺は顕証寺と寺号を改め、天文十年(1541年)頃にこの御坊を中心として久宝寺寺内町が誕生しました。久宝寺は 地理的に要衝の地にあり、中・南河内の門徒集団を束ねる拠点として多くの門徒宗が集まり住むとともに、商工業者も集まって活発な商業活動が行なわれるよう になりました。
江戸時代以降は、農村部における商業の中心-在郷町-として発展しました。久宝寺は旧大和川(現在の長瀬川)の船運の要衝として、また堺から八尾街道を経て 京都に至る主要幹線の中継点として栄えました。しかし慶長年間に本願寺の東西分派にともなって久宝寺の一部の住人が分離独立して八尾寺内町を建設し、宝永 元年(1704年)に大和川の付け替えが行われると、それ以降地域の中心は八尾寺内町に移っていったのです。
とまあ、まじで歴史ある町なわけです。
僕は中高生の夕暮れ道も、
うまくいかなかった雨道も、
大学終わりで酔った時も、
オールしてドロドロの時も、
この町を歩いてきました。
歴史に根差して、僕の記憶があるかと言ったら
正直なんともいえません。
ただ碁盤道で構成されたこの町を毎日歩いてきました。
普段は順序だってならばされるこの碁盤道。
1日だけ輝く日があります。
それは”燈路祭り”です。
燈路祭りは、この町の良さを地元だけでなく、他の地域に発信し、
”歴史ある町に訪れ欲しい”という思いから始まった祭りになります。
毎年地元企業や団体の協力をもとに開催されています。
画像では伝わりづらいですが、めちゃめちゃ盛況な祭りで、
この近くの神社ではずーっと河内音頭という歌の元、
地元民が踊っています。
ちなみにこの河内音頭は「日本におけるソウル・ミュージック」にも選ばれています。
この祭りがある日には寝ていても町中にこの音楽が響き、
いやでも起きてしまします。
そんな所縁のある音楽で、
聞いているとすごいノスタルジーを感じます。
私は最終的にこんな地元へ貢献したいという思いが強いです。
弊社ではそんな地元愛溢れる方とお仕事がしたいと考えております
ぜひ気になった方は採用サイトまでお願いします!
それではまた!
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