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【実体験エピソード】私の教育観をつくった先輩の言葉@現役中学教師

教師は、自分の性格をきちんと理解し、その良さを活かしながら生徒と接することが大切である。授業も、学級経営も、生徒指導も、ただ誰かの真似をするのではなく、自分らしいスタイルを確立して指導に当たることが、教育力のある教師の姿である。

これは、私が教員になりたての頃、そのことを理解できず、周りの先生の真似をすることが最善だと思っていたときの話。
「あの先生のようにやれば大丈夫」と考え、他の先生のやり方をそのまま模倣することが、自分にとっての成功の道だと信じていたのです。

女子バスケットボール部顧問として


教師1年目から3年目まで、私は女子バスケットボール部の顧問をしていました。しかし、バスケットボールの経験はなく、ルールすら十分に把握していませんでした。
顧問の決め方については、以下の記事で詳しく説明していますので、興味があればご覧ください。

当時、バスケットボール部の指導は非常に厳しく、今では考えられないような指導方法が当たり前でした。顧問の先生が厳しい口調で指導することが、生徒を強くするために必要だと信じられていたのです。(今振り返ると、教育的に不適切だったと強く感じます。)

私は手本となる存在がいなかったため、練習試合などで他校の先生方の指導法を観察し、それを自己流で取り入れていました。

理想と現実のギャップ

私は本来、大声を張り上げたり、人に厳しく接するタイプではありません。しかし、当時は「強いチームを作るには厳しい指導が必要だ」と思い込み、ミスを厳しく指摘し、頑張っても素直に誉めず、次の課題を突きつけるような指導を続けていました。

その背景には、県内にいたカリスマ的な存在の「武藤先生(仮名)」の影響がありました。
武藤先生は40歳前後の男性教諭で、非常に厳しく、生徒に対して辛く当たる一方で、絶大な信頼を得ていました。私にとって、厳しくも信頼があり、チームを強くできる武藤先生が憧れの存在だったのです。
私は武藤先生の真似をし続け、気づけば「厳しい顧問」としてのキャラを築いてしまいました。

しかし、その指導は次第に問題を引き起こしました。保護者からのクレームが入り、最終的には教育委員会に訴えられる事態にまで発展しました。(もちろん体罰などはしていません。必要以上に厳しくミスを大きく取り上げ、褒めることを怠っていたのです。)

それでも私は指導方法を変えず、今のやり方が生徒にとって最適だと信じ、部活経営を続けました。
一方で、自分の性格とは異なる教師像に無理が出て、部活に行くのが辛くなっている自分もいました。それでも、顧問としては厳しく接して、弱みを見せまいとする姿は今思い出しても恥ずかしい限りです。

先輩教師の一言が変えた教育観

そんな時、2年目から同じ学校に赴任した男子バスケットボール部顧問の『神崎先生(仮名)』と出会いました。
神崎先生は30代の中堅教諭で、その学校が2校目でした。神崎先生も、バスケットボールの経験がなく、1から勉強してバスケの指導をしていました。決して厳しくはなく、生徒と相談しながら部活をしているようでした。
しかし、なぜか男子バスケットボール部は強く、県内でも有数の強豪校として知れ渡っていました。

ある日、そんな神崎先生が、私に声をかけてくれました。

神崎先生
「つか先生、最近、部活つらそうだけど平気?」


「いえ、大丈夫です。」

神崎先生
「つか先生ってさ、部活の時、普段と雰囲気ちがうことあると思って…
武藤先生のこと、意識してるんじゃない?」

その頃、まさに自分にとっては言われたくない一言でした。自分でも、部活と学級での自分の違いに違和感をもっていたからです。


「部活を強くしたくて、指導方法とか参考にしていて…」

神崎先生
「そんだよね。武藤先生の指導、すごいよね!
でもさ、つか先生はその強い指導をすることで、自分を追い詰めているように見えるよ。
あとさ、きっと武藤先生も、あの指導方法を徹底するのは苦しいんじゃないかな?」

その言葉に、私は驚きました。
私のことを見抜いていたこともそうですが、完璧だと思っていた武藤先生も、悩みながら指導しているかもしれない、という視点もこれまで持ったことがなかったからです。

さらに神崎先生は続けました。

「つか先生、普段の授業や学級経営を見てると、厳しいというより、熱心で温かい先生っていうイメージが強いよ。その良さを活かせば、もっと自分らしく指導できるんじゃない?」

その言葉に、私はハッとしました。本来の自分と教師としての自分があまりにもかけ離れていること、厳しくしなくても大丈夫だということ、どれも当たり前のことかもしれないが、当時の自分はそれを見失っていた。
それと同時に、今までの指導の仕方が本当に辛かったことを改めて感じた。
そして、私以上に私のことを理解してくれていた神崎先生の言葉が嬉しかった。

自分らしさを見つけるまで

そこから、部活の指導方法を変える必要があると思い、自分なりに努力をしました。築き上げたキャラをすぐに変えることは難しく、少しずつ生徒との関わり方を変えてくことにしました。しかし、それでも思うように変わることはできず、最終的に3年目でバスケットボール部の顧問を離れることになりました。

その後、4つの部活動を経験しました。神崎先生の言葉を胸に、2つ目以降の部活動では、自分らしい指導を意識し、「明るく、楽しく、それでいてきちんと熱意の伝える」というスタイルを貫きました。その結果、バスケットボール部時代よりも生徒との関係は良好になり、チームも自然と強くなっていきました。

皮肉にも、4つの部活動の中で、最も結果が出なかったのがバスケットボール部でした。

ここから学んだ3つのこと

① 自分らしさと教育観

教師としての自分と、プライベートの自分はもちろん異なります。プロとして仕事をしている以上、本来の自分を100%だすのは間違っていると思います。
しかし、自分の性格をきちんと捉え、その〝自分らしさ〟を最大限に生かした教師像を築く必要はあります。

当時の私は、『厳しくする』ことが目的化していて、本来の『生徒の成長を促す』ことができていませんでした。
『厳しくする』ことは、あくまで『生徒の成長を促す』ための1つの手法に過ぎません。
『褒める』や『諭す』、『一緒に考える』など、手法はたくさんあります。
大事なのは、その先生の人柄によって、どの手法が自分に合っているのかを考え、自分なりの教育観を確立することだと学びました。

② 〝ティーチング〟ではなく〝コーチング〟

なぜ神崎先生のもつ男子バスケットボールが強かったのか、今なら分かります。
教師がどうするかを教える〝ティーチング〟ではなく、どうすべきか、どうしたらよいかを生徒自身に問いかけ考えさせる〝コーチング〟主体の指導を、神崎先生は行っていました。

生徒が自分たちで課題に気づき、その課題の解決のために練習を行っていました。

女子バスケ部は
「先生に怒られるからやる」だったのが、
男子バスケ部は
「自分たちが強くなりないから練習する」 でした。

練習をする動機がそもそも違ったのです。
教師としての役割は、生徒に問いかけ、共に考えるだけで十分だったのです。
バスケの知識がなくても、経験がなくても、関係ありません。教師として必要なのは、そのスポーツの指導方法を学ぶこと以上に、生徒をどう〝コーチング〟するかだと気づきました。

③ 先輩になった今

気付けば、私も当時の神崎先生と同じ年齢になりました。
こんなことを言われたことがあります。
「20代は生徒指導を、30代は後輩指導を、40代は保護者指導を、少しずつ年齢に合わせて広げていく」
私にもたくさんの後輩ができました
神崎先生が私のことを導いてくれたように、私も困っている若手教師の道標になるなければならない。
そうして、受け継いでいくことが教育界をより良くしていくと考えています

最後に

もし神崎先生の一言がなかったら、今も自分の性格とは真逆の指導を続けていたかもしれません。場合によっては、学級担任としても同じような厳しさを押し付けていたかもしれません。

今、私は教師という仕事が楽しく、生徒と向き合えることに幸せを感じています。
そして、このような経験を通して、教師の魅力を多くの人に伝えたいと思うようになりました。

当時の女子バスケットボール部の生徒たちには、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。しかし、卒業後に顔を出してくれる生徒がいることが、何よりも嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいです。

神崎先生や他の先輩先生方、これまで出会った生徒、みんなのおかげで今の自分があると、この歳になって、心からそう感じます。
これからは、自分が他の誰かの支えになれるような教師でありたいです。

これからも、【教師の魅力】を経験を交えて発信していきます。
気になる方はぜひ、〝スキ〟や〝フォロー〟をお願いします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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