ぼくの心を満たすものは?⑤
どんな人間でも人を心配する気持ちは一緒かな。
今日妻が盲腸の手術をした。時間にして1時間半欠けるくらいで終わった。
周りに盲腸の手術をした事のある人もたくさんいるし、僕も昔胆嚢結石で腹腔鏡手術をした事があるから、余程の事が無ければ1時間か少し過ぎるくらいで終わるかな、と思っていた。心配は全身麻酔で行うという事なのでちゃんと目が覚めるかどうか、てとこだった。それも手術後の説明後しばらくして妻に会い、起きていたので安心した。
まあそれはともかく、ここまでの来るまでに正直身内とはいえ頭にくることが多かった。詳細は避けるが、自分に都合のいい事はやろうとする、ただ自分に都合の悪い事はやりたくない。それが見え隠れして、本当に気持ち悪かった。出来れば関わってほしくないと思った。その気持ちは今も変わらないが。
ただ手術後無事に終わった事を連絡したら、本当に心配は心配だったのだろう、ホッとした感じの返事をしてくれた。本音を言うなら、僕は手術が終わった事を連絡しないでおこうかととも思った。しかし、それをしたら相手のしている事と同じになってしまうし人としてどうだろうと思い、連絡だけはしておこう、その連絡を相手がどう取るかは相手の勝手だし、そこから先の相手の行動は相手の問題であって僕の問題でもない。僕は僕で礼を尽くす、まあやるべきことをやるだけ。
話は逸れるけど、最近仕事を辞めるのに退職代行という業者にお願いするというニュースを見た。僕の働いている職場でも、退職代行を利用して退職した人がいたと噂に聞いた。
それで何が僕は言いたいか、ですけど、せっかく採用して働かせてくれた職場に対して理由はどうであれ、自分の口で辞める意思を伝えないのはどうだろう、と思う。職場で危害を加えられるとか、身体に何らかの影響が出るのであれば仕方ないとは思うが、内容証明郵便を送るなり手紙を送るなりして退職の意思を伝えられないだろうか、と思う。
時と場合にもよるが、何でもかんでも嫌なものを避けていたら、そこから先に進めない、僕はそんなふうに思っている。
こんな偉そうな事を言っている僕だが、以前は嫌な事から逃げていた時期もあった。うつ病で精神科に通っていた時期ではあったが、今思えば異常だったと思う。
ただ少しだけあの頃の僕を擁護するとしたら、本当に心が弱っていた。少しの事に耐えられない。そんな感じだった。でも嫌な事から逃げていたら、そもそも白血病の治療からも逃げていたかもしれないし、もし治療から逃げていたら僕は今頃生きていない。
なんか、話が飛んでいる気がする。
最終的に目の前の事から逃げる逃げない、相手に礼を尽くすかどうかなど全ての事はその人の判断である。
最近思うのだが、人間関係を複雑にしているのは感情であったり思惑だと思う。
先日職場で少し問題が起きた。担当内で話をしていたが、僕は途中からくだらなくなってきた。なぜか?だんだんこうなったらどうしよう、とか、相手はこう考えているのではないか、といった話になって来て、それに対しての対応策の話になって来たからだ。でも相手方はそこまでまだ言ってきていないし、もしかしたらそこまでの話ではない。それに最悪の事態になったとしても、それは対応が可能という事が確認が取れていたので。まあ、面倒になってしまったので途中目を閉じていた。結局は少し調べたらそこまでの話では無かったのだ。
僕は、人間関係はTM NETWORKの「human system」だと思っている。僕がいて君がいる。自分がいて相手がいる、ただそれだけである。そして自分と相手は生まれた環境も生きてきた環境も違う。その中でそれぞれの考え方、生き方などが備わってきている。その相手の考え方が嫌であれば最低限の付き合いをしておくか、それか全く関わらなければいい。でも人と繋がるという事は色々な考え方に触れる機会だと思う。それにより自分に足りなかった新たな考え方だったり、生き方を発見する事になるかもしれない。だから、嫌だからという単純な理由だけで、その事や人を避けるのはどうかと思う。
なんか今回の文章はまとまりがない。最悪。本当思うがままに書いた文章。
でも今回の最後に。僕は白血病という病気を経験し今も通院で治療を受けている。初めは連絡を取ってくれた人もいたが、だんだんその数も少なくなった。まあ離れていった。今近寄ってくる人は、病気治療の興味本位がほとんどが見え見えの人ばかり。だから、人と触れ合える、人が寄って来てくれる環境があるのであれば、その環境は大切した方がいいと思う。そしてその時会った人と今後どうするかの判断は自分ですればいいだけの話だから。
さてさて、今日は夕食何食べようかな。
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