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世間がポイズンではなくて自分がポイズン
私にとって歌は、ふとした時に大切なことを教えてくれる。かつてコーラス部でよく歌っていた谷川俊太郎が作詞した合唱曲「春に」は、年月を超えて私に今必要なメッセージを届けてくれた。
そしてまた一つ、私に教えてくれた歌がある。
反町隆史の「POISON〜言いたいことも言えないこんな世の中は」だ。
最近、なんともいえない気持ちを抱えて過ごす中、あんなに好きだったはずのエッセイを書けずにいた。捉えようのない気持ちのままで書くのは、何だか良くない行為と思っていたからだ。
物書きとしては少なからず、一人でも多くの人に読んでほしいと思う。それは物書きの性だ。だからこそ、自分の中でこれというテーマを持ってまっすぐに書きたい。
しかし、読まれることにフォーカスしすぎると書けなくなる。ウケを考えて身構えてしまうのだ。
そもそも私がエッセイストになりたいと思ったのは、自分の気持ちや思ったことを外に放ちたいから。自分の文章を読んで誰かを元気にしたり、気づきを与えられるような影響力を持ちたいという気持ちもあるが、ベースにあるのは自分を解放したい気持ち。書くことは私にとって生きた証である。
そう考えたら、別にまとまっていようがいまいがただ書くだけで良いのだ。あれこれ考える必要なんてないじゃないか。
しかし、周りの反応を気にするがあまり、今のよくわからない状態で書くのは良くない気がした。書きたいことはあるけど、どうまとめていいのかがわからないと。
多分、上手く書きたい気持ちが先行したのだと思う。
上手く書きたいとか、少しでも読まれたいとか。そういう見栄が、書きたいことを書けなくしていた。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ
POISON
俺は俺をだますことなく生きてゆく
いやいや待てよ。
言いたいことも言えないこんな世の中が自分をPOISONにしていると言っているが、世の中を見すぎて言いたいことを言えなくなっているのは自分ではないのか?
少なくとも、最近の私はそうだった。
書きたくても上手く書けない自分をダメとジャッジし、書かないようにしていたのはこの自分。
自分の首を絞める自分こそがPOISONではないのだろうか。
もっと周りからの目を考えずに、どんなぐちゃぐちゃな気持ちでもありのままに書いたほうが気持ちいいし心も健やかだ。
POISONになるのは世の中のせいではなく、世の中を見すぎる自分。もっとありのままの自分でいようとこの歌詞を見て思えた。