【書籍刊行記念】なぜネパール人のインドカレー屋だらけなのか❓「インネパ」の謎を追う🇮🇳🇳🇵後篇「インネパ」の変容と未来
こんばんナマステ 💛Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️
昨日に続いてインド・ネパール料理店こと「 #インネパ 」の話を書いてくね。
2月24日に #阿佐ヶ谷書院 から刊行された有限会社 #アジアハンター 代表小林真樹著『日本のインド・ネパール料理店』(以下、本書)をもとに、
一昨日に #Clubhouse 『 #インドの衝撃 ( #インド大学 )』で話した内容のテキスト版。
音声版(約24分)
このサムネイルは一体💦
ネパールだとは思うものの🇳🇵
今日は昨日の「インネパ」の成り立ちの話を引き継ぎ、その変容と未来について書いていきたい。
今日の話は本書462ページ以降の記述から。
2006年の内戦終結以降、ネパールから日本への留学生が増加していく。向学心のある若者もいたけれど、単純に欧米に比べてヴィザが取りやすかったからということもあるようで。
カトマンドゥには日本語学校が乱立し、斡旋ルートではコックのブローカーが留学生のブローカーに転身する例も見られるほど。
さて、そうした留学生達にとって「インネパ」は故郷の味を求めるうえでの受け皿にはなりえなかった。
ナンってなんなん?だね。
そんな折、2010年に新大久保で本物のネパール料理を出す店として開店したモモは彼らの求めるものにマッチした。
自分も最初に入ったとき感動したもん。ネパールで食べたネパール料理にかなり近いって。
瞬く間にモモを真似たネパール料理店が増えていくことになり、その担い手は元留学生による起業が多かった。
「インドのご馳走」ではなくネパールの日常的な料理を出す店を求めたということ。
ただし初期は「インネパ」から連れてきたコック達が彼らの理想とは真逆の店に仕上げてしまうこともあったけれど、徐々に純然たるネパール料理を作るコックが増えてくる。
これは本書の最後にある「インネパ」概説ではなく、120ページからの「越境するダルバート」という章に書かれている話なのだけど、インド人コックがネパール人オーナーに雇われダルバートなどのネパール料理を作る事例が出てきている。
2010年代後半からコック=ヴィザの要件が厳格化されてネパール人コックの来日が減っており、その不足を補うのがインド人コックなのだという。
私見というか邪推なんだけど、「インネパ」のダンピングにより「 #インイン 」というかインド人のインド料理店が負けてしまうという事例を結構聞く。
それで余剰になったインド人コックが「インネパ」ならぬ「 #ネパネパ 」に雇われているってことになるのかな。
俺のフレンチには倒産した某星付きフレンチのシェフが使われてたとか、
日本の「LCC元年」はJALの経営破綻で追われた主に旧JAS出身パイロット達の行き場だったとか、そんな匂いがする。
アダム=スミスの「 #見えざる手 」といえば聞こえはいいけどさ。
さて466ページからの話。料理の知識がない元留学生達がネパール料理の引き出しを得るのは、カトマンドゥの有名店やネットの料理動画、そして祖国の母親から。
次第に民族意識が目覚めていき、廃れてしまった祭礼食を復活させるような動きもある。
それってつまり「 #創られた伝統 」の再生産だよね。
本書から外れるけど、山羊肉や水牛肉のルート確保も彼らの手柄だと思う。
山羊は沖縄では食べるけど去勢されてないので臭い。沖縄ではそれを消すためにフーチバー(よもぎ)を入れまくる。
それに対して、去勢山羊を国内で流通させるルートを彼らは確立した。
水牛は国産にしても輸入にしても主にイタリアンで使われる高いものだったのが、オーストラリアから安く流通させるシンジケートを昨年確立させた。
こうして水牛肉が安く食べれるようになったのがオリックスバファローズがリーグ優勝した理由、と自分は勝手にこじつけている。
かつて近鉄バファローズが強かった時もモッツァレラ=チーズのブームと重なるからね。
在日インド人たちは山羊が簡単に手に入らないと知るや羊で代用したし(こういうインド人の代用精神を「 #ジュガール 」というのだけど)、水牛なんかハナから諦めてしまった。
このバイタリティの違いだよね。
本書に話を戻すと、日本国内のネパール人が増えてくるにあたって500円ダルバートに代表される大衆食堂と非日常的な高価格帯料理を出すような二極分化が進んでいるのだという。
469ページから。この流れは既存の「インネパ」にも影響を与え、ネパールメニューを置く「インネパ」が増加している。
一方でネパール人の誰もがネパール料理を好むわけではなく、日本で覚えたナンを好むネパール人も少なからずいる。チーズナンを置かなきゃネパール人の集客はできないと言うネパール人オーナーもいるとのこと。
自分が実際聞いた話だけど、ネパール料理しか出さないネパール料理店にネパール人がやってきて「ナンをくれ」。
うちには無いというと悲しそうな顔をして出て行ってしまったと😭
文字通りナンだかなぁ。
471ページからいよいよ本書の締め括りに突入する。前世紀に来日したネパール人コックの二世が育ってきており、公教育やバイトなどで日本社会に適応して新しい感覚を持っている。
親子経営の「インネパ」が出てきており、息子が日本人の感覚を理解してメニューや接客に影響を与え始めている。
そして日本独自のネパール料理文化はネパール本国へ還流されると小林氏は予測しており、既に日本で成功したオーナーが祖国でも飲食事業を行っている事例が見られるという。
昨日現代インド料理はロンドンからの逆輸入という説があるというのをちょっと触れたけど、
現代ネパール料理は東京で生まれたっていうのも面白いかもしれないね。
少し前まで日本人のカレー好きの間では「ネパネパ」が持て囃されて「インネパ」が蔑まれるような風潮だったけど、2020年代に入ってからかな。
「インネパ」を見直すような動きが出てきているようには思う。街中華やラーメンショップあたりの見直しが今すごいけど、それに近いものがあるのかな。
基本的にはどこの国の人がどこの国の料理を作ろうと自由だけど、先に述べたように「インネパ」のダンピングが真面目にやってるインド料理店を潰してしまうような流れには首を傾げざるをえない。
その差って経営努力の差もあるかもしれないけど、基本人件費率でしょ。
それと過当競争ね。商圏においてインド料理店、カレー屋が乱立してカニバリズムが起きてしまっている。
これはインド人もネパール人ももっと棲み分ける努力をしてほしいと思う。
少しずつダルバートなどを置き始めている「インネパ」に対して、インド料理店の進化のなさこそ問題だと思う。
「インネパ」がナンにあんこやゴマを入れるなら、「インイン」はロティやプーリーなどをきちんと出してほしい。
それじゃあバイバイナマステ💛暑寒煮切でしたっ✨
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