「 リルケの言葉で許せた孤独な私 」

とても素敵な言葉に出会った。

言葉が好きで、毎日沢山の言葉に触れるようにしているのだが、久しぶりに本当に心の奥底にジンと響いた言葉。

 

「議論や批判や解説に対してはあなたはいつも自分自身と、あなたの感情とを正しいとお考えなさい。

 

たとえあなたが間違っておられてもあなたの内部生命の自然な成長がおもむろに、時と共に、他の認識へと導いていくことでしょう。 

 

あなたの御判断にそれ自身の静かな乱されない発展をお与えになってください。

 

それはすべての進歩と同じように深い内部からこなければならぬものであり、何事によっても強制されたり促進されたりできるものではありません。」

 

小さな頃から他とどこかワンテンポ遅れていた。みんながすいすい進んでいけるところで、立ち止まってしまう。

自分が納得してきちんと良いと思えないと嫌だったし、そうやってゆっくり進んできた。

そうしたい、というよりもそうしないとダメだった。苦しかった。

そんな孤独な自分を少し許してあげられる言葉だった。

 

素敵をぐんぐん吸収できる自分でいること。

 

些末なことへも心が傾き、いつでも感情がピンピンと作用するように、

げとげとチクチクした私を苦しくさせる物事からは距離をおく。

心や体はなるべく軽やかに、風通し良くしておく。

沢山の息をのみ、心が高まるような、ずーんと心に響くような感動を沢山得られるような人生にする。

素敵な音を聞いて、美しい景色を目に焼き付ける、優しい言葉をたっぷり使う。

 

いつでも考え続けること。

 

小さな頃から気づくとずっと考え事をしている。

家族のこと、将来のこと、仕事のこと、生きること…。

大体のことは確かな答えはなくて、きっと考えなくてもいいし、考えるのも時間の無駄なのかもしれない。

それでも、より良くしたいと考え続けていたいし、そう望まなくても、きっと私はそういうふうにずっと生きていくのだと思う。

ぱぁーと光が差しこんできてスッキリさっぱり晴れ渡る日が来ることをずっと望んで心待ちにしていた。

でも、最近分かってきた。私は晴れの日へ心をときめかせながら、曇りの空の下で生きる人生なんだろうな、と。

それは否定的でも悲観的でおなくて、曇りだからこそいつでも未来にワクワクしてられる。

とどまらず、もっともっとより良くより素敵になれるように考え続ける。そうすれば曇りも楽しい。

 

 

移ろうことは当たり前と知ること。

 

何か一つに心を決めて、まっすぐ貫くということも、本当にすごいと思うし、素敵なことだと思う。

でも、今は移ろいゆくことに恐れずにいたいと強く思う。

「絶対」や「永遠」の約束は嬉しいけれど、やっぱりそんなものはないと思う。

今はそう思っていても、いずれ「嘘」を孕むようになると思う。自分の中だけの嘘でもやっぱり苦しい。変わることは大変だし、時には傷つけることにもなるかもしれないけど、やっぱり苦しいと思う。

素敵な方へ、魅力的な方へ、心惹かれる方へ、自分の心の声によく耳を傾けて進んでいきたい。そんな自分を許してあげたいし、だからこそ、周りの人の選択を応援したい、時には笑顔で別れを選べる人でいたい。

 

 

選択肢はいつもある。正しいものを選ぶ勇気がないだけ。

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