「 選べない段階の悩み 」

「選べる自由。」
何かに思い悩むとき、この言葉を思い出すように心掛けている。
選べるだけ幸せじゃないのか、と。

私の叔母は、どんなに望んでも自分と血の繋がった子どもを産むことができない。
私は子どもを産むということにとても抵抗感がある。
ただ、今の段階では産む選択も、産まないという選択もできる。

その事実のお陰で、きっと子供を産んでいたら触れることのできなかった人の優しさに触れることができたと彼女は言った。

選べる自由があることの、その間で揺らぐことの、幸せに気づいた。
そして、どの道を歩んでも、例えその道以外が閉ざされた場合でも、人は心の持ちようで、物事のとらえ方次第で、幸せを感じることができるということも感じた。それは揺らぐ私に勇気をくれる。
一つ、揺らげることは幸せだあること。
二つ、どこへ傾こうとも自分次第で幸せになれるということ。

「人が選んだり、手放したりできるものは、本当のところつまらないものだ。」
リルケのとても衝撃的だった言葉。
私は、何を選ぼうか何を手放そうか、それに必死になっていたと気づいた。

私はまだ意識的に「選べない」に出会ったことがないのかもしれない。
どっちがいいか、と悩むのではなく、この道しかない、どう歩むかの悩みに直面したとき、人生が動き始める。新たな展開を帯びるようになるのかもしれない。
また、もうこれ以上選べないという段階まで、物事を小さく分解する癖をつけたいとも思う。どうしようもないことはあきらめる、ぐずぐずしない。軽やかに引き受ける。
ただ、小さく小さく分解して、少しでも力を及ぼすことのできる場所を探してみる。しつこく考える。

「人間の生命の大きな特性は、落ちたあとでも、そこに豊かな世界を見つけることができること」
「人間はひとりひとりどんな状況であっても、自分がどのような精神的存在になるかについて何らかの判断を下せるのだ」

どんな状況に置かれていたとしても、どんなに行動を制限されようとも、自分の思考や気持ち等、「精神」だけは決して他者が犯すことはできない。希望だ。未来は怖くて仕方ないけれど、少し勇気が湧いてくる。

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