「 乱されない自分でいたい 」
人のちぐはぐさ、混沌さを愛したいと、楽しめる人でありたいと思うのだけれど、やっぱり動じない揺るがない自分でありたいという気持ちが強い。なるべく、ありたい自分を演じるように、自分で設けた規矩を守りぬくように生きていきたいと思う。
どんな時に人はぐらりとどうしようもなく揺らいでしまうのだろうか。
”「収穫があるなら、恥を知る余裕もあるのさ。」
「食っていけないのに、恥なんて言ってられない。」”(ウォーターダンサー/タナハシ・コーツ より)
”普通の時に習慣を行えるのは当然だが、普通でなくなったとき、異常事態の時にいかに普通通りに選択をできるか。”(money/ より)
余裕がなくなると、本能のままに、自分の行いを鑑みることなく、一息つくことなく、行動を起こしてしまう。
自分を守るため、自分を保つため、それに必死になってしまう。
そうして、気づくと自分の規矩を恐ろしいほどに脱した選択をしているのである。
自分の設けた規矩を侵して自分の見栄、得、豊かさを引き換えにして何かを得られてもそれは幸せなのだろうか。私はそう思わない。そこまでして手に入れたいものってないと思う。
豊かなとき、余裕があるとき、自分の思い描くような理想の自分を生きられる。試されるのは、そうでないとき。
些末な条件がなくとも、例えばお金があるとか心身が健やかであるとか嬉しい出来事があったとか、最低限の持ち合わせの中でそうやって生きれれる人でありたい。心、身体の状態が極限でも。環境が極限でも。
自分というもののあり方を置かれた環境や、与えられた条件で簡単に変容させることなく、静かに貫ける人でいたい。