公認心理師(国家資格)制度におけるモラルハザード(3)モラルやコモンセンスを共有し、適性を培う機会の欠落
(1)(2)において、不適切な資格取得について指摘しました。今回は、これらの背景や根底にあるものを探ります。
私たち心理職の使う方法や手法には、一定レベルの訓練を経て初めて目にしたり、使うことを許されるものがあります。また、適正に用いる必要があるからこそ、一般に公開してはならないものもあります。ところが、ネットではしばしば、それらが公に晒されるなど不適切な行為が散見されます。それは以前からあったのでしょうが、公認心理師の試験対策が必要になって増えた印象もあります。そうだとすれば、その理由は、受験者が共通の教育を受けていないためではないかと推測します。
民間資格の時代から、私たち心理職は資格試験を受けて来ました。主要な民間資格がいくつかありますが、それらは大学院や特定の研修など、規模の幅はあるものの、集団に加わって教育を受けて来たのです。ですから、私たちは集団のなかで時間をかけて学ぶことで、心理職としてのモラルやコモンセンスを習得してきました。資格試験を目指す者同士の集団ですから、試験の準備に当たっても勉強会を行ったり、仲間内で教え合ったりすることもありました。頼る師や仲間がいて、わからないことがあれば尋ねることが出来ました。専門家以外には漏らしてはならないものがあることをわかっているので、そのように内輪で教え合っていたわけです。
しかし、公認心理師資格試験の場合、(1)(2)で記したような方々は教育機関で時間をかけて学び、訓練を受けた経験がないため、そのような環境がなかったのかもしれません。場合によっては、30時間の現任者講習や試験予備校で出会った仲間との間で教え合う方もいたでしょうが、そもそも公認心理師の養成は学部と大学院の学びを想定したもので、講習や予備校では十分にカバー出来ない部分や分野もあります。そこで、思わずネットで質問したり、それらの層を想定して教えたりといった行為が起りやすくなったのではないかと推測します。そこでは、心理職として時間をかけて学ぶ間に習得するモラルもコモンセンスも共有されません。だから、そのような不祥事が散見されるようになったのではないかと思います。
ただ、これは(1)(2)の層の方々の問題だけではありません。不適格な層が受験を試みているのを知りながら、商機とばかりに彼らに勉強の機会を与えたのは、むしろ同業者でもあるという一面もあります。大学院でしか学ばない、専門家以外に漏らしてはいけないものを提示してしまう心理職もいたかもしれません。わかってやっているなら、なおさら罪は重いと言わざるを得ません。
これらは専門職としては論外の行為なのですが、(1)(2)の方々がそれを自覚出来るかは、かなり心許ないものです。それぐらい、「時間をかけてモラルとコモンセンスを共有する」ことは専門性を獲得するのに欠かせないのです。それは、実際にそれだけのカリキュラムが組まれているからですが、モラルやコモンセンスは知識として習得すればよいものではないという隠れたカリキュラムでもあるからです。
実習を重ねながら自分の思いや行為を見直し、見つめる作業を数年間続けることで、ようやくこれらの基礎が築かれます。そもそも心理職、心理支援とは何かを理解し、習得するのに、この程度の時間はかかるのです。自分が想定していたのと違っていた、実際に現場に出てみたら意外なものだった、という経験を時間をかけて重ねていきます。ですから、逆説的ですが、数年の訓練を受けて初めて、心理職、心理支援とは何かがわかるのです。この経過を経ていない(1)(2)の方々に理解を求める方が酷というものです。
さて、養成に時間をかける背後には、心理職としての適性を自らに問う機会を得ることも含まれます。よくある話ですが、心理職に限らず、対人支援に興味をもつ方々には、自分の中に不健康な思いが潜んでいることがしばしばあります。自分が救われるために人を救いたいと考えるメシア願望などです。あらゆる対人支援職でも、ここを適切に修正することが望まれますが、こと心理職においては非常にシビアにそれを自分に問う必要があります。目に見えず、自覚しにくいうえ、それは他者を支配したり、傷つけたりすることに繋がるからです。だからこそ、実習場面などで何度も自分の思いを確認し、省みる力を要求されます。自分の欲望のために相手を利用していないか、搾取していないかを振り返り、考える時間が必要です。それは少なくとも年単位の時間の流れです。もちろん、具体的な支援の方法を習得するのにも時間がかかりますが、そこにも常に自分を振り返る力が問われるのです。
また、私たちが支援対象者を見立てるときによく用いる視点に「現実検討」というものがあります。対象者の思いや願いを鑑みつつ、それは現実的なレベルなのか、それを超えてしまっているのかを吟味する力を求められるのです。これは私たち自身に対して向ける必要のある視点でもあります。こうなりたい、こうしたいという希望は人間、誰にでもあります。それを現実可能なレベルに出来るかどうかを見極める力は、自分を振り返る力という意味においてとても重要なのです。
この自らを振り返る力、現実に見合った自分に修正する力は、心理職として出来るだけ他を害さないために、最小限のモラルとして求められます。時間をかけないと培えない力ですし、時間をかけた結果、自分は向かないと結論する必要が出て来る場合もあります。それが現実検討というものです。
だから「30時間で出来上がる公認心理師」には適性の問題が残されてしまうのです。そして、それは付け焼刃的に研修や講習をたくさん受ければ解消されるものではありません。学部、大学院のカリキュラムに仕立てているのは体系的な学問と訓練が必要だからです。その流れの中でモラルとコモンセンスを身に着けますし、自らを振り返る力、現実検討の力が培われていきます。
一般社会の皆様には、きちんと時間をかけて学び、訓練を受けた公認心理師を選ぶことをお勧めします。訓練を受けた公認心理師は、標準的には修士課程を修了しています。同様に、公認心理師を雇う側には少なくとも修士課程を修了した人材から選抜していただくことをお勧めします。