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『いくつになっても、旅する人は美しい』桐島洋子

私は旅人属性の人に会うと安心する。旅人は新しいものを体験することに心を開いていて、適度にフレンドリーな気がする。そうでないと旅なんてしないし、旅先でやっていけない。そして自分の常識が場所によっては「アウェイ」であることを知っているから、他人に同調を強いたりしないし、「変わってるね」とか安易に言わない気がする。旅人属性にも度合があるけれど、桐島洋子さんは相当だ。

1937年東京生まれの桐島さんは、上海で幼少期を過ごす。当時「魔都」と呼ばれた上海はかっぱらいが横行し、餓死した浮浪者の死体がゴロゴロしている国際都市。桐島一家は暮らしていたホテルの窓から太平洋戦争開戦を目の当たりにし、その後部屋は軍部に占領される。日本に帰国後、「ターザン・ガール」と称されるほど活発に過ごし、文芸春秋社に入社。スコットランド系アメリカ人の子を身ごもるも、結婚退職という社則があるため、シングルマザーとして極秘出産。かれん、ノエル、ローランドという3人の子を産み、39歳の時にはシングルマザーの自分と子供だけでアメリカに移住。50歳の時には子育て卒業ということで子供たちと海外放浪の旅にでる。そうそう、ベトナム戦争時には従軍記者もしている。前線で飛行機から投下される支援物資についてのエピソードもあった。そんな彼女が世界中、日本中を旅した時のエッセイ。中国の美味しい朝ごはんのこと、イギリスでこの人も幽霊なんじゃ?と思うようなお爺さんが淹れる絶品紅茶のこと、震災後に被災地を訪ねたこと、桐島さんが大好きな温泉のこと。

時代も、人としての器もあまりにも凄すぎて、そのまま自分の参考にはできないが、世界を股にかけて恋と仕事と子育てをし、色々なことを見てきた彼女の体験談はワクワクする。そしてこんな人がいるんだなあ!と元気になる。私はかつて桐島洋子さんのお宅に伺ったことがある。森羅塾という彼女の塾で、彼女の半生を振り返るお話会のようなものだったと記憶している。その時の話の内容を覚えていないが、「有名人が自分の家に会ったこともない一般人を招くなんてすごいな」と思った記憶がある。器が違うんだなあ。人生をぞんぶんに味わっている人。かっこいい。

106 いくつになっても、旅する人は美しい


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