『悲しくてかっこいい人』 イ・ラン
この本を買ったのは、吉祥寺の「百年」。同じ著者のイラストエッセイみたいな本があって、パラパラとめくっていたら面白かったのだ。いつもと同じように「絵ばっかりの本では、すぐ読み終わってしまってコスパが悪い!」と思い、読むのにもう少し時間がかかる彼女のエッセイをレジに持っていった。すぐに口の中で溶けてなくなるチョコレートではなくって、キオスクで売っているのど飴みたいに飴のセロファンをめくっては口に入れてコロコロと楽しむ、みたいなことを何度かしながら一週間を共にした。
イ・ランは1986年ソウル生まれのシンガーソングライター、映像作家、コミック作家、エッセイスト、だそうだ。YouTubeやSpotifyで彼女の音楽を聞くことができるし、Instagramを見れば彼女の今がわかる。(彼女は昨日、エッセイにも出てくる多分猫のジュンイチをパンツ一丁で洗っていた)なんて便利な世界なんでしょう。日本にもよく来ていて、大切な友達がいたり、美術館でイベントをしているみたいだった。嬉しいな。
私は彼女のエッセイを読んで「この人好きだな」と思った。自分と友達、元恋人、仕事、世界、そして自分自身に感じることについて書いている。この人は世界と自分に「すきま」があって、そこを間に挟んで、ちょっと過去の自分を含めた世界を客観的に見る。現実世界で起きることをそのまま受け入れられる「すきまが小さい人」と、そのまま受け取れずに自分の解釈が必要で、時に葛藤が生じる「すきまが大きい人」がいると私は思っていて、彼女は後者。別名「自分の世界がある人」というやつだと思う。繊細ゆえに儚く美しい瞬間を感じるけれど、たくさん傷つく人。打ちのめされてしんどくなるけれど決して潰れきったり、諦めたりしないで、笑い飛ばしたり、作品を作ったりしながら、日々を生きていこうとする人。
そういうタイプの人は社会全体の中では少ないかもしれないけれど、まあ、世界中に分布している。東京で「生きづらいね」と同志と言い合うのも必要だけど、ちょっと背景が違うソウルガールと「所変わっても、とかくこの世は生きづらいね」と共感してニヤリとするのはなかなかオツだなあ、と思う。
121 悲しくてかっこいい人
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