新しい春に向かって
長男が小学校の卒業を迎えました。
6年間は長いようでいて
気づけばあっという間だったなぁ…と
しみじみ思います。
ランドセルが歩いているように見えた
入学当初のかわいい姿はどこへ行ったのか。
背丈はとっくに私を追い越し
いつの間にか
声も太く低くなってしまった。
真新しい中学の制服に身を包み
私から少し離れて歩く息子の姿に
頼もしさを感じ
立派に成長したことを
うれしく思う一方で
少しずつ手が離れていくことに
寂しさが込み上げてきます。
卒業というのは門出であり
喜ばしいことではあるものの
仲良しのお友達や
お世話になった先生とのお別れには
涙せずにいられませんでした。
そして、
新しい生活に期待が膨らむ一方で
慣れ親しんだこの場所には
もう戻れないという現実に
悲しみがないと言えば嘘になります。
安堵と寂しさ。
喜びと悲しみ。
私の中で相反する感情が
振り子のように行ったり来たりする。
決して悪い気分ではないのだけれど
この不思議な感じはなんだろう。
ふと見上げるとそこには快晴の空が
広がっていました。
まるで門出を祝うかのような青い景色を
ひとりぼんやり眺めながら
大きく深呼吸をしてみる。
すると
「ああ、私は今、感動しているんだなぁ」
ということがストンと腹に落ち、
心は温かさで満たされたのでした。
そしてこうも思いました。
この心の動き方は
春という季節そのものではないだろうかと。
冬から春への移り変わりは
「三寒四温」という言葉のとおり
温かい日を迎えたかと思うと
冬の終わりを惜しむかのように
寒さが戻ってくる。
行ったり来たりを繰り返し
揺らぎながら少しずつ
新しい春へ繋がっていく。
まさに、
今の私の心情と同じなのです。
日本における年度の切り替えが
春という季節であることには
大きな意味があると感じました。
この季節と合わせるからこそ
私たちは心ゆくまで
別れを惜しむことができるのでしょう。
同時に、
寂しさや悲しみに区切りをつけ
喜びとともに新しい一歩を踏み出せる、
そう思うのです。
人はどこまでいっても
自然の一部だということ。
それをよくよく理解して
生活に取り入れる日本人の感性は
見事としか言いようがありません。
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長野はここ数日、あたたかな春の陽気に包まれ
梅の花がようやくほころび始めました。
いよいよ、新しい春の始まりです。