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キューバスケッチ旅行4


厨房のそばで佇む給仕の女性

 夕暮れ時、食事をとるためにレストランを探してハバナの町を一人歩いていた。ふと、民家の前を通り過ぎると、一人の女性がメニューを差し出した。メニューは手書きで、とてもきれいな筆記体だった。
 民家の中は小さなレストランになっていて、真っ白なテーブルクロスがかけられた三つのテーブルの上にはピカピカに磨かれたお皿とグラスが並べられていた。客は私以外誰もいなかった。
 椅子を引いてもらって座り、赤ワインと肉の串焼きを頼んでから室内を見渡した。壁には多分地元の画家の手による油彩画がたくさん飾ってあった。どれも抽象画だった。
 少しして、給仕の女性がレコードジャケットを持って現れ、部屋の奥の冷蔵庫を横倒しにしたような巨大なステレオのふたを開けて、LPレコードにそっと針を落とした。「シュー…」というかすかなノイズのあと、ジャズピアノの音色が流れてきた。と、その瞬間、私の胸は懐かしさでいっぱいになった。
 「真空管ステレオの音だ!」
 それは、もう何十年も前、私が小さかったころ実家にあったステレオと同じ音だった。頭に白髪が目立つようになったこんな年になるまで、一度も思い出しもしなかった私の心に、いきなり子供のころの家の風景がよみがえってびっくりした。まだ20代だった母は、慎重にレコードをステレオにセットして、若々しい白い手でそっと針を落としていた。
 音楽をかけたあとは、給仕の女性は厨房のそばに戻って、料理ができあがるのを静かに待っていた。
 部屋の隅々まで温かくて柔らかい音で満たされる。空気が金色の光を帯びる。
 出された料理は美しく盛り付けられ、味も良かった。
 このレストランでの思い出は私の宝物の一つになった。

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