プルーストのマドレーヌ
気がつけばもう2月21日。あと1週間で3月。
今日は春のような陽気だけれど、週末は寒くなるみたい。
この3週間はあっという間だった。
まず最初の週末、旧知の友人たちが九州で続けていた室内楽のコンサートを東京で初めて開くということで、オペラシティホールにお手伝いに駆けつけた。ピアノクインテットの編成で、前半がシューマン、後半はサン=サーンス。ピアノのあかねちゃんは大学の准教授を勤めながらお子さんがいて超多忙な中で、これほど負荷のかかるコンサートを準備して弾いてしまうなんて、凄すぎる。
「ちょっとぐらい間違えた方が演出的に良くない?」と思うほど完璧にプログラムを弾き、アンコールはブラームスのクインテット3楽章。せっかくのメンバーなので続けて4楽章も聴きたかった。ブラームスの音、良かったなあ。ひさしぶりの同級生達やパリ時代の友人に会えてお話しできたし、島田彩乃ちゃんと受付をお手伝いして、演奏を聴いて刺激を受け、最後に今日の出演者であり読響や王子ホールシリーズでご活躍のヴィオラの康くんとも高濃度な話ができた。やっぱり音楽は弾くより聴くものだね。
数日後、期待の新星ユンチャンのリサイタルへ!
ミューザ川崎の「夜ピアノ」シリーズ最終回は、まだ19歳の若さでショパンエチュード全27曲というプログラム。数ヶ月前に事務所のホームページに掲載されたユンチャンのインタビューには、とても19歳とは思えない洞察力だと感銘を受けた。
かなり期待して2階前方ど真ん中の席に座ってショパンエチュード全27曲を聴いた。Op.25だけをコンクールやリサイタルで弾く人は結構いるけれど、全曲をまとめてあんなに弾ける人は初めて。
それで思い出した。日本の若手人気ピアニストである牛田さんが「ontomo-mag.」でスタートさせた連載の第1回目にとても面白いことを書いていた。プルーストのマドレーヌで懐かしい記憶が瞬時に蘇るように、音楽には「歴史の記憶」と「感情の記憶」がある、と。言われてみれば、弾くときも聴くときも、知らず知らずのうちに音楽が持つ記憶を探している。そして音楽そのものや、奏者との「共感ポイント」が見つかる時にこの上ない幸福を感じている。音楽が感情を「記憶」しているって面白いし、ピアノに向かうのが楽しくなる観点。
3月にあるコンサートに向けてフランスのシャンソンをいくつか練習中。シャンソンはあまり弾いたことがない。パリのメトロに乗ると70%ぐらいの確率でアコーディオン弾きがいて、彼等の定番は「パリの空の下…」「パリのお嬢さん」、ショスタコのワルツだったのが懐かしい。それこそプルーストのマドレーヌではないけれど、シャンソンを聴くと無意識的記憶の中から様々なシーンが呼び戻される。メトロの中で演奏する許可を取るには試験のようなものがあるらしく、本当の下手くそは弾けないらしい。それでも、アコーディオン弾き達は面倒臭くなっているのか、曲の途中からハーモニーがずっと主和音のままになり、メロディーと合わないのに弾き続けていて「手を抜くなよ」と思ったことや、千回ぐらい聴いたジプシーのヴァイオリンは死ぬ間際まで忘れないと思う。どうせならアコーディオン弾きがペタペタ鍵盤を叩いていた音や、乗客に媚びるような変なルバートまで再現したくなる。
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