建築研修会で四天王寺さんと一心寺さん〜酒封じの神へ
本日、建築研修会で日本最初の仏法官寺である四天王寺さんと一心寺さんに行ったので記録をする
前もって飛鳥時代の歴史を予習したところ、物部氏と蘇我氏の崇仏論争・戦いの末に聖徳太子が建立したとされていて、今の五重塔は空襲や台風など困難が度重なり、8代目だそうだ。
593年から繰り返し繰り返し再建すると言う事は、人々にとって大切な心の拠り所なんだと想定できる。日本最初の仏法官寺(※)、のちに私寺になってからは聖徳太子ブランディングを駆使して経済的な困難を乗り越えてきた興味深いマーケティング談もある
(今のビジネスでいうインフルエンサーにステマにプロパガンダに映えにバズるにと手法が似ていて面白い)
※官寺とは律令(りつりょう)制下で、堂塔の造営や修理、僧尼の費用が国家から給付され、国家の監督を受ける寺のこと
話は創建時に戻り、日本古来の国神から怒りを買うからと、大陸から伝承された仏教を反対する物部氏と崇仏派の蘇我氏の戦いの際に、蘇我氏の形勢の不利を打開するために、聖徳太子自らが四天王(東方の持国天、南の増長天、西の広目天、北の多門天)像を彫り、
『この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立し、この世の全ての人々を救済する』と誓い、蘇我氏が勝利したため、聖徳太子は約束を果たし四天王寺が建立されたらしい。
この話が事実なら、念を込めて彫り中の聖徳太子を空想したら愛しい。そういった前知識を持ちながら五重塔に登って、金堂に入り、講堂に入って壁画や像を鑑賞し、
続いて一心寺に行き参拝したあと、禁酒して9年ほど経過してこれからも辞め続けるつもりなので本多忠朝のお墓である酒封じの神に禁酒し続ける誓いをした。
本多忠朝は徳川家康の重臣として活躍、期待されていたのに大阪冬の陣でお酒を飲みすぎたことが原因で不覚をとり、敗走することになり…
その汚名を返上するべく翌年の夏の陣で前に出て功績を残すも戦死した。死の間際に、お酒による失敗を犯したことを反省し、死後はお酒で失敗する人を助けようと誓ったことで『酒封じの神』として祀られている
本来なら安居神社や堀越神社にも行く予定が雨がひどくて断念し、予定外のあべのハルカス展望台に移動して展望台から四天王寺伽藍や一心寺を眺めて解散した
ちなみに安居神社は神社名の由来にもなった菅原道真や、真田幸村にゆかりがあり、今度単独で行く機会をつくり学問の神様道真公に試験勉強頑張る誓いを立てに行きたいと思った
この建築研修会で出会った方々は皆親しみやすくて安心して学ぶことができた。その縁で懐かしき再会ができそうなので、その話はまた記載する