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さらばだ、他人軸そして悲劇のヒロイン1

アメブロにて自己受容の基礎の基礎のワークとして3年前に紹介しました。このワーク、一見シンプルですが侮れません。

私が過去にゲームで闇堕ちした時、再スタートのためにそこからはじめて這い上がりました。自分の長所と短所を書くって自分を客観的に見つめる作業でもあります。初心者の人はこの作業で何が足かせになっているのかが炙り出され、上級者の人はそこから何を伸ばしていけばいいか自ずと見えてくるんですよね。
この作業がつらい、しんどい人もいます。
それはどういう人なのか。

ズバリ他人軸の人です。

他人軸の人は自分の価値は他人の評価で決まると思っていて、人生の選択すらも他人の許可が必要なのだと思い込んでいる人です。

他者の価値観に囚われている人なんですね。
元職場にもたくさんいました。異動して直属の上司が変わる度に性格がコロコロ変わる人。自分がないのでしょうか。本性は一体???
強いものに巻かれろの人はそうなってしまいますね。

他人軸の人にとって一番大きな影響を与えているのは毒親でしょうね。毒親の価値観に洗脳されて、その価値観のなかで善悪の二元論も深く刷り込まれました。

毒親や周りの人たちの価値観でそれが自分のなかでの常識のように二元論のジャッジをするのが癖になりました。二元論大好きジャッジマンなんですよ。

長所が全然書けない、短所ばかりになってつらい人はジャッジマンになっていて自虐思考をしています。

残念ながら他人の目を気にすればするほど、自信はなくなっていきます。
他人の目を気にすることは、自らまな板の上の鯉になっているわけです。この状態、人から良い評価を受けることもあるかもしれませんが、評価する主体が他人である以上、常に不安定です。何故なら人の解釈は十人十色だからです。抽象度も人によって大きく異なりますしね。

良い評価を受けたところでインチキ自己肯定しても満たされるのは一時的で、しばらくすると次も良い評価を受けなければならないという強迫観念が生まれ、もし自分よりも良い存在が現れたら、相手の注目はそちらに移ってしまいます。
自分の外側にあるもの、つまり他人をコントロールすることなどできませんから、ただ相手の評価をじっと耐えなければならない無力な存在になるしかなくなります。

他者による評価も、それが絶対的なものであればまだ自信につながる拠り所になるかもしれません。でも他人の評価は絶対ではなくあやふやなものです。

では、普遍的な基準のようなものはあるのか。
例えば、「完璧な体型」というものがこの世にあれば、それを手に入れることによって確かに自信はつき、「他人の目」が気にならなくなるのかもしれません。
しかし、その「完璧な体型」という基準が永久不変のものであればなんですけどね。
それはもちろんあり得ないです。
そのことについては、容姿の自己受容1をご覧ください。

ダイエットをして数kg減とかなら達成することもできるとは思います。それによって着られなかった服が着られるようになるのは嬉しいでしょうし、自信もついてくるとは思いますが、一歩外に出ると、「自分よりもやせた人」や「自分よりもスタイルがよい人」はいるわけで、それを目にすると自信は失われてしまいますね。

何故なら二元論大好きジャッジマンですから比較してしまうんですよね。

自分よりもスタイルがよい人はいなくなることはあり得ないので、「スタイルがよくなれば自信がつく」という道に終わりがなくなります。

こういう人にとって、ファッションとかメイク、自分の人間関係や言動などについても言えます。どんな自信もよりよいものが現れるまでの束の間にすぎず、とても不安定なのなのです。
ファッションやメイクが決まったと思っても、よりセンスのよい人を見ると直ぐに自信を失います。流行は廃れるものなので、それを基準にしている限り常に情報収集しておかないと乗り遅れてしまいます。
まぁ、こんなものに振り回される時点で抽象度が低いんですけどね。
また自分の旦那が完璧だと思っても、他所のパートナーと比較し、自分の選択を疑ってしまったり、旦那の悪いところばかりが目についてしまったり…こんなこともあるかもしれませんね。
これも、やってて意味ないかと。他所の人と一緒に暮らしていて何もかも知り尽くしているわけじゃないし、勝手に表面上自己都合のイメージで捉えたものでしょう?
他所の芝は青く見えるの青くしているのは自分自身なのです。

また、自分が話していることが、空気を読んでいるのか、 常に顔色を気にしてしまったり。こんなんじゃ、何も言えなくなりますね。
ある人にとっては評判がよかった話でも、別の人ではいまいちなこともあります。
これらすべてに完璧が存在しない以上、常にその評価は不安定であり、本当の自信など得られないものなのです。

では資格や試験の点数などはどうか。一見「絶対的」に見えるものでも、その資格や点数が人にどのように受け取られるかということも相手次第で変わってきます。
人によってはすごいとなるかもしれないけれど、人によってはふーんで終わってしまいますよ、そういうものです。
ある資格をとって自信がついても、よりよい資格を持っている人を見ると、自分なんて大したことないんだと思えてしまうでしょうし、同じ資格を持った人同士でも比較してしまい、あの人の方が優秀だという問題はついて回ってくるものです。
だから他人に評価を委ねてしまうことは苦しみしか生み出さないのです。
他人からの評価はどこまで行っても相対評価にすぎないからです。
GabalaboCHさんのマルクス・アウレリウスの動画を見てください。

自分軸で生きよ。なのです。
”協調性が大事”を美徳とされてきた日本人はかなり抵抗があるんじゃないかなと思います。しかし、抽象度の低い人間はとにかく足を引っ張るドリームキラーなのでこんな人を相手にし、時間を割いていることが本当にもったいないです。もしくは自分自身がドリームキラーになっていて他者の足を引っ張りまくっている場合も大いにある。
同調圧力が強いこと、承認欲求を切り捨てられない人間が多すぎること、こんな社会だからこそ、日本人は世界一の💉接種大国になってしまいました。

他人軸のヤバさは、リチャード・コシミズさんの電子テキスト『2024年鳥インフルH5N1バイオテロを生き抜くために』でも語られています。
こちらからダウンロードできます。
※リチャード・コシミズさんのオンラインショップで販売されているメビウスウォーターと還元くんはインチキなのでご注意ください。

医者が勧めるのだから確実だ。
赤信号、皆で渡れば怖くない

こんなのがまかり通っていることがおかしなことです。
他人軸がいかに馬鹿げているか思い知ってください。


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