『医龍』に学ぶ教師論④
漫画『医龍』の台詞をもとに教師としてのあるべき姿を考える連載の第四弾です。
前回は、須藤先生が発した「やはり教授の意見には逆らえなくて……」という言葉をもとに教師論を考えました。
今回は、「「医者」は、命と患者の人格は分けて考えた方がラクだと思っていたのに…」という言葉をもとに、教師論を考えます。
漫画『医龍』の第三巻に、一度助けた自殺未遂をした患者が再び自殺未遂で病院に運ばれてくるシーンがあります。
朝田龍太郎は、その自殺未遂で運ばれてきた患者を助けた後で、その患者に自分の心臓が動く姿を映像で観せることで、心臓が生きようとしているというメッセージを伝えます。
最後には、その自殺未遂で運ばれてきた患者は、少し前向きになった様子を見せ、清々しい顔をして退院していきます。
その患者が退院する姿を見送ったときに研修医の伊集院登が心の中でつぶやいたのが、次の言葉です。
「「医者」は、命と患者の人格は分けて考えた方がラクだと思っていたのに…」
つまり、伊集院が患者をあくまで手術の対象としてみていたのに対して、朝田は患者を人格を持った一人の人間としてみていたのです。
そして、伊集院も、この後のストーリーの中で、朝田と同じように、患者を人格を持った一人の人間としてみるようになっていくのです。
このシーンでは、医療においては、患者を人格を持った一人の人間としてみることが大切であるということを伝えているのです。
学校や教師にとっても同じことがいえます。
学校や教師は、子どもをみるときに、人格を持った一人の人間としてみることができているでしょうか。
テストの点数で子どもを評価したり、発達障害を持つ子どもとしてラベリングして子どもをみたりする中で、子どもが人格を持った一人の人間であることを忘れてしまうことはないでしょうか。
私は、どんなときでも、子どもは人格を持った一人の人間であることを忘れず、指導をしたり評価をしたりするときにも、人として尊重する姿勢を貫くことが必要であると思います。
今回の記事では、『医龍』の「「医者」は、命と患者の人格は分けて考えた方がラクだと思っていたのに…」という台詞をもとに、教師論を考えました。
いかがだったでしょうか。
それでは、次回も、お楽しみに。
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