『医龍』に学ぶ教師論⑨

漫画『医龍』の台詞をもとに教師としてのあるべき姿を考える連載の第九弾です。


前回は、加藤晶が発した「ーーえてしてそんな子が、いい医者になるものよ。」という言葉をもとに教師論を考えました。

今回は、「面白いからだよ、人を切るのが。」という言葉をもとに、教師論を考えます。


漫画『医龍』の第十二巻に、アメリカの医学界でトップに昇り詰めた元UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)教授の国立笙一郎が、バチスタチームの天才外科医である朝田龍太郎にUCLAに行くことを勧めるシーンがあります。

国立は、朝田に対して、患者を救いたいという理由だけが医者を続ける理由かと問います。

その国立の問いに対して朝田が答えた言葉が、次の台詞です。

「面白いからだよ、人を切るのが。」

朝田は、患者の命を第一に考えながらも、手術を行うこと自体を面白いと感じているのです。

この朝田の答えに対して、国立は、「ヒューマニズムだけに支えられた医者は、階段のどこかで力尽きるだろう。」と言います。

朝田と国立の会話は、医者が、患者を第一に考えるという倫理性と、手術そのものを面白いと感じる感性の両者を持ち合わせている必要があるということを示しているように思います。


教師にとっても同じことがいえます。

教師には、子どもにとって有意義な学びの場をつくるという倫理性が必要です。

しかし、子どものためという倫理性だけで教師をしていたら、どこかで力尽きてしまうのではないでしょうか。

国立は、紹介したシーンの中で、「どの世界でも頂点に立つ人間は、すべからく単純な好奇心や快感に突き動かされている。」と言います。

教師も、同様に、子どもと関わることや子どもの言葉を解釈することが楽しいという単純な好奇心や快感に突き動かされて、日々の教育活動に取り組んでいるのではないでしょうか。

教師においても、子どもにとって有意義な学びの場をつくるという倫理性と、子どもと関わったり子どもの言葉を解釈したりすることを楽しむという単純な好奇心や快感の両方を併せ持つ必要があるように思います。


今回の記事では、『医龍』の「面白いからだよ、人を切るのが。」という台詞をもとに、教師論を考えました。

いかがだったでしょうか。

次回は、第十回で、最終回になります。

お楽しみに。

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