国語/エンタメをさらに楽しくできるたった1つの視点
noteに記事を蓄積して1年と少し。
色々な分野への知見が
少しずつ深まっていることを感じます。
今、授業をつくってみたら
また現役時代とは違ったクオリティの授業になりそう。
このまま投稿を続け、
どうなっていくのかを
どこかで確かめてみたいですね♪
共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨
教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌
どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。
共育LIBRARYりょーやん、元教師です。
「国語の勉強がつまらない・・・」
このような子どもは、
年々増えています。
単純に活字に慣れていないのもありますが、
小学校の授業に関しては
ある授業形式が国語嫌いを生み出していると言える。
それは、
「登場人物の気持ちを問う授業」
です。
登場人物の気持ちを問うても、
それは非常にあいまいで
正解などあるものではない。
それでも、
何となく教師が望む形へ
気持ちに対する意見を誘導させられる。
それを気持ち悪く感じたり、
「所詮、例外的な意見は受け入れられないのだな」
と思わせてしまうことが、
国語に対する意欲を削いでいることの
1つであるとも言える。
そして、よく考えてみれば、
プロであればあるほど、
物語の中に隠れた要素やメッセージを感じ取れるので、
登場人物の気持ちを固めてしまうことが
非常に傲慢で危険なことであると気付くはずなのです。
そうは言っても、
国語の授業を面白くするには
何か手立てを打たなければなりません。
その時に必要なたった1つの視点。
それが、
「主題」
です。
この主題という視点があれば、
あらゆる物語や、漫画、映画、
ドラマといったエンタメすらも
一歩面白く味わうことができるでしょう。
そんな主題についての解説、
楽しんでいただけると幸いです。
主題とは
主題とは要するに、
「作品を通して作者が伝えたかったこと」
もしくは、
「作品から一貫して伝わってくるテーマ」
のことです。
決して一定の方向に固めてしまうのではなく、
根拠を示せていたら
どんな主題でもOKにするのが原則です。
例えば、スイミー。
スイミーは、
たった1匹の黒い小魚が
マグロに食べられずに生き延び、
新たに出会った赤い小魚たちと、
大きな魚を追い払う話です。
この作品を通して伝わってくる、
主となるテーマは何でしょうか。
授業の最初の頃は
小学生が誰でも考えることができるように、
・人は~
・世の中は~
という、
書き出しのフォーマットを与えて
考えさせます。
このスイミーで言えば、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・人は仲間と協力することが大切だ
・世の中は勇気を出すことで困難を乗り越えられる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
といったことがよくあがってきます。
もちろん、どちらもOK。
授業で考えさせ、
一人ひとりの主題をずらりと並べた後は、
「面白いね~」
「なるほど!」
などと言って、
それぞれの主題を味わっておしまい。
どれか1つに定めるということはしません。
それでこそ、
自由な意見が許される授業であると
言えるでしょう。
(ただし根拠は求める)
さて、ここからは、
一歩深い主題の扱い方についてふれていきます。
詩における主題
ごく短い作品である
「詩」においても、
主題という視点は生かすことができる。
例えば、
教科書教材にある「イナゴ」という作品。
6年生教材です。
(現在掲載されているかは不明)
あなたは、
この作品から伝わってくるテーマは
何だと考えるでしょうか。
もちろん、
いきなり主題を問うことはしません。
徐々に深めていって、
最後に主題を問うことになります。
まずは、イナゴの説明。
次に、ぼくの視点を問います。
イナゴ、夕やけ、はっぱ、イネなど
様々出てくるでしょう。
「対比」とは、
「太陽⇔月」のように
対になっているペアのことです。
この詩で言えば、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・ぼく ⇔ イナゴ
・強い生きもの ⇔ よわい生きもの
・イナゴ ⇔ 夕やけ
・イネ ⇔ ぼく
・イネ ⇔ イナゴ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
などがあげられるでしょう。
自由に意見を発表させつつ、
主題に迫るために、
「ぼく⇔イナゴ」の対比を深めていきます。
今度は両者のイメージを対比させる。
子どもたちからは、
どのような意見があがってくるでしょうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・人間 ⇔ 虫
・食べる ⇔ 食べられる
・強い ⇔ よわい
・捕まえる ⇔ 逃げる
・止まる ⇔ 動く
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
などなどが
過去の授業からは導き出されています。
ここで一言。
ここからピークにもっていきます。
これは第3連。
なぜなら、感嘆を表す
「ああ」や「!」が入っているからです。
強い生き物が「ぼく」。
弱い生き物が「イナゴ」。
そして、
「川のように流れるイネのにおい」
に注目させる。
ここまでが全て伏線です。
次で一気に主題に迫るための伏線回収。
点を線につなげます。
「あいだ」には、
実に様々な意味があることを
辞書によって導き出すことができる。
だから上記のように
図が分かれ得るのです。
両者の意見を比較してみます。
どちら側の意見でもOK。
そして、主題でフィニッシュです。
当時の6年生は
以下のようなものを考えました。
色々な主題がごちゃまぜになっている。
でも、それでいい。
いや、それだからいいのです。
強い立場である人間も、
弱い立場であるイナゴも、
稲という食物を通して
生命として大きなつながりをもっている。
「弱肉強食 ⇔ 共生」という対立する関係と、
包み、生かしてくれている自然の偉大さが
この詩から伝わってくるようです。
エンタメにおける主題
エンタメにも主題は活用できます。
例えば、
「千と千尋の神隠し」。
千尋という人物の視点で
主題を考えてみます。
引っ越しの為に転校し、
所属する先も、心も、
宙ぶらりんになっている千尋。
そんな状態だからこそ、
日常と非日常の狭間の世界に迷い込み、
神隠しにあってしまいます。
そこで名前を奪われ、
働くことになる千尋。
千尋は基本的に欲はなく
やせ細ったキャラクターですが、
最終的におにぎりを
がつがつ食べて涙を流したり、
名前を取り戻したりと、
生きる気力や意思、自分を
取り戻したと言えるかもしれない。
よって、
「人は生への意思をもつことで自分を取り戻すことができる」
と取ることもできる。
一方、
神々の視点から物語を見てみると、
傲慢な人間がバブル経済の時期に
リゾート施設を建設し、
神々が住んでいた土地から
神を追いやってしまった構図が浮かんでくる。
「私たちは知らぬ内に、この地に住まう神々への尊厳を忘れてしまっているのではないか」
といった主題も浮かんできます。
欲にまみれてしまった千尋の両親が
神々の食物を勝手に食べ、
豚にされて罰を受けたこともその象徴の1つ。
さらに、
ハクの視点で見てみます。
ハクは千尋のお兄さんであって、
幼い頃に川に溺れた千尋を助け、
代わりに溺れて亡くなってしまったという説がある。
川に落ちた回想シーンで出てくる「手」に、
その根拠が現れています。
(長くなるので解説は省略)
そして、
人の為に川で死んだことにより、
川の神様となった。
このことから、
「自分が生きているのは、それは誰かが自分を生かしてくれたからだ」
という主題があり得るかもしれない。
人間は知らず知らずのうちに、
誰かに生かしてもらっているものですから。
千尋の両親、
特にお母さんは千尋に対してどこか冷たい。
それは、
無意識に押し込めているけれど、
千尋が溺れたことで
結果的に長男が死んでしまった悲しみが
胸の内に残っているからであるという、
意見が存在しているようですね。
さて、
このような2つの世界を行き来する話の構図は、
昔話にも存在します。
昔話における主題
日本で有名な昔話の1つである
浦島太郎。
「こんな切り取り方もある」
という視点で、
次元の異なる主題を紹介できればと思います。
現在の浦島太郎が
ある程度統一された話になるまでに、
様々な形の浦島太郎がありました。
その内の一部は、
浦島太郎が40歳、母親が80歳。
浦島太郎は
「母が生きている間は嫁を貰う気がない」
という設定になっているものもあります。
これは、
幼児後期に本来獲得すべき、
母親を異性としてみる愛情を抑圧することで、
男性という性役割と
自我を確立する段階が欠落していることを示しています。
その上、
海の上で、孤独に釣りをし、
魚が釣れない状態。
これは心理学的な「退行」を表す。
退行とは、
心のエネルギーが「自我」から「無意識」に
流れる意味をもつ。
この退行の時に
新しく出現するステージで努力を払えば、
未来への発展の可能性につなげることができると
心理学的に言われています。
そんな中、
亀を助けることにより、
海の中へ太郎は案内されることになります。
海は、
計り知れない広がりや深さをもち、
「無意識」を象徴的に表している。
そんな無意識に引きづられつつも、
自我を今一度確立できるかの、
太郎のさまよいを描写した物語であると言えそうです。
ただ、
未来への扉を開くために努力すべきだった、
「箱を開けてはならない」という
禁止を守り抜く意志を
太郎は貫けませんでした。
結局、
家族も失い、
未来への可能性の扉も
閉ざされてしまったと言えるかもしれません。
そんな視点からみれば、
「浦島太郎」の主題は、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・人は意識と無意識の狭間を行きかうものだ
・無意識に取り込まれないためには、
意思の力が必要だ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なんていう、
一歩深い視点から
物語のテーマを
読み取ることができるかもしれません。
まとめ
制作者の本来の意図に沿っているかは
置いておきつつも、
「作品には秘められたテーマがある」
という視点で様々なものを見ていくと、
段々と国語の解釈や作品の深みなどを
楽しめるようになっていきます。
国語の文学分野の授業は、
最終的に行着くのは
主題の解釈だと筆者は考えているので、
そんな授業を繰り返していくと
自ら主題を読み取る子どもが
目覚めていくかもしれません。
千と千尋にあるように、
「誰の視点か」によって
主題は変わり得るもの。
主題にもっていくまでの
物語の授業で何を行っていくかは、
また記事にできればと思います。
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