羽田航空機衝突事故の「その後」を追って
年明けから衝撃的なニュースが相次いだ2024年。
今回は、1月2日に起きた羽田空港滑走路で起きた日本航空(JAL)と海保機の衝突事故に遭遇した、乗客の「その後」を追った記事の裏側をお伝えします。
■ 「まずは現場に」
こんにちは。社会部の助川尭史です。私は昨年5月に大阪社会部から東京本社の社会部の配属になり、普段は国税庁の担当記者として、主に経済事件や税に関するトピックスを扱っています。
ただ、ひとたび大きな事件や災害が起これば担当に限らず、多くの記者で取材に当たるのが東西問わず社会部の宿命。今年は元日に震度7を記録した能登半島地震が起き、年始から部員総動員での勤務体制になりました。
羽田空港で航空機同士の衝突事故の一報があったのは、午後6時ごろ。前日深夜まで能登地震の情報収集に当たり、疲れがとれないまま夕食の用意をしようとしていた時でした。テレビをつけ、画面に滑走路でオレンジ色の炎に包まれる機体が映し出されたとき、以前、大阪社会部で関西空港を担当していた時のことが頭をよぎりました。
共同通信では、羽田、成田、関空の国内主要3空港に担当記者を配置しています。私は2019~21年の2年間、関西空港で空港会社や航空会社の取材に当たっていました。
担当に課せられた最も重要な使命は空港で起きるトラブルの対応です。一日数万人の旅客が利用し、ひっきりなしに航空機が飛び交う主要空港では、少しのミスが惨事につながる危険と隣り合わせ。中でも、多くの乗客を乗せた機体の異常は最大級の警戒が必要な事案として歴代の担当の中で引き継がれていました。
今回の機体同士の衝突による炎上は、即応援要請が必要な緊急事態です。「トラブルが発生したらまずは現場に」。空港担当の時に先輩から引き継がれだ言葉を思い出し、タクシーに飛び乗りました。
車内では最悪の事態も想定しながら、ニュースをチェックしていると「日航機の乗客は全員無事」と速報がスマホに表示されました。
「良かった…」
■ 「預けた荷物はどうなるんだろう」
空港に着くと、到着ロビーはすでに共同通信を含む多くの報道各社の記者が詰めかけていて、私も搭乗していた乗客の取材に加わりました。興奮した様子で緊迫した機内の一部始終を話す人、命が助かってよかったと目に涙を浮かべる人。多くの人の話を聞く中で、札幌旅行の帰りに事故に遭遇したというある男性がぽつりとこんな一言をこぼしました。「命は助かったけど、預けた荷物はどうなるんだろう」
脱出シューターを命からがら降りた乗客たちは全員着の身着のまま。貨物室に残された荷物や、機内に持ち込んで収納棚にしまった手荷物の行方はいったいどうなるのか。家路を急ぐ乗客たちごった返すロビーでじっくりと話を聞くことは難しく、男性には今後の継続取材をお願いして連絡先を交換しました。
事故から2日後、ネット上では事故直後のJALの対応や機内に取り残されたペットの扱いについての議論がクローズアップされていました。ですが、ほとんどの乗客が預けたはずの手荷物の行方について、詳細に取り上げた記事はあまり多くありませんでした。
JALは1月3日に開いた記者会見で、搭乗していた乗客に対する補償内容については「返せる荷物があるか中身を確認している。個別の補償内容については回答を控える」としていました。
そこで、事故発生時に空港で連絡先を交換した男性にショートメッセージを送ると、冬休み期間中とのこと。取材の趣旨を伝え、電話でのインタビューに応じてもらえることになりました。
男性は幸い大きなけがはありませんでした。事故当日はタクシーで埼玉の自宅まで帰り、興奮で眠れない一夜を過ごしたこと、荷物は高価な物はなかったものの、翌朝JALから焼失した謝罪と20万円の保証金を支払うと連絡があったこと。事故後の足取りを詳細に打ち明けてくれた取材の中で、印象に残ったのが命を助けてくれた客室乗務員への感謝を何度も口にしていたことです。
「飛行機同士がぶつかった大きな事故で、全員無事だったのは本当に奇跡的だと思う。乗務員さんに助けていただいた感謝の気持ちしかない。あれだけの大事故で次の日に補償の案内があったのも迅速だったと思う」
すでにこの時点では多くの有識者が機内の対応の迅速さを称賛していました。ただ、実際に事故に遭遇し、九死に一生を得た人の言葉には別格の重みを感じ、記事中にもそのまま盛り込みました。
■ 継続取材から見える事実
公開された記事には2千件以上のコメントがつく大きな反響がありました。普段自分が書いた記事に好意的な反応がつくことはほとんどないのですが「大きな事故の『その後』を詳しく伝えられることは少ないように思いますので、とても興味深く読みました。」と執筆者として記事を世に出したかいがあると感じる言葉もあり、ありがたかったです。
事故発生から1カ月。衝突の原因はいまだ不明で、警察の捜査や運輸安全委員会による調査は今も継続中です。
発生当初の報道を巡っては、社会部の記者は勉強していない、ほとぼりが冷めたらすぐいなくなるなど厳しい声もありました。批判の中には、否定できないものもあり現場にいた者として耳が痛いと感じる意見も多かったです。
一方で、大きなニュースがあれば、多くの記者は担当にかかわらず取材を尽くし、さまざまな角度から事実を伝えられるよう努力しています。
今回の記事のように、継続して追い続けることで見えてくる事実や、当事者でしか語れない言葉を、今後も伝えられるよう取材を続けていきます。
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