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あるきかたがちがうだけなのに。


子供から教えてもらったこの本を読んだときに
理学療法士として患者さんのリハビリに関わってきた私が感じたこと。


そもそも ぼくたちは みんな ちょっとずつちがう。

本文より抜粋


あるきかたがちがうだけなのに、
はやい、おそい
できる、できない
は誰が決めた基準なのか。

なんとなく
はやい人がすごい人、できる人
みたいな基準が当たり前のようになっているけれど。

はやくできたことで褒められたことはあるけれど、
時間をかけてゆっくり取り組んだことで褒められたことって
私は経験がないかもしれない。

そもそもベストのはやさが、それぞれ違うだけ。
だから、精一杯がんばった人のベストに
おそいと表現するのは違う気がする。


からだの とくちょうや みためは のりもののようなものだ。

本文より抜粋


からだの右半分または左半分に麻痺があると歩き方が変わる。
杖や装具が必要になる人もいる。
両足に麻痺があると、車椅子が足代わりになる。

見た目が変わることで、特別な扱いを受けることがある。

お手伝いしますとたくさんの人に抱えられたり、
すべての動作ひとつひとつを代わりにやってくれたり。

あるいは、そこに誰もいないかのように
目も合わさず素通りしたり、背を向けたり。


それは「大変そう」「不便そう」と感じているからかもしれない。

でも、あるきかた以外は同じなのに。


なぜ「大変そう」「不便そう」と感じるのか。

それは、環境のせいかもしれない。

杖をついていると歩きにくいガタガタした道や、
車椅子だと通れない、幅の狭い道などのせいで
大変になったり不便になっているだけかもしれない。

からだのハンディキャップを持った方は
退院してもいろんなところに出かけられることを想定しながら
リハビリを行う。
車椅子は本来便利になるためのものなので、
自走できる人は、段差を越えるのもトイレに行くのも
自分でできるよう練習するし、
介助が必要であっても、ひとりいれば結構できたりする。
(※その方の診断名によって違いはあります)

けれど、退院後にリハビリの成果を発揮できずに
思うように外出できないという声を聞いたりする。

逆に言えば
杖をついても麻痺があっても
安心して安全に歩ける道であれば、
車椅子がスムーズに操作できる道であれば、

誰も大変とも不便とも思わないんじゃないか。

外れてしまうと生きづらさと感じるような、
そんな基準はいらないんじゃないか。

できるもできないも
はやいもおそいも
関係ないんじゃないか。




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