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今の私にできることは?を問い続ける。(自己紹介)

現在、整体のプライベートサロンを営んでるキョウノミチと申します。

もともとは理学療法士としてリハビリテーションセンターに就職し、
整形外科、内科、神経内科の患者さんを担当しましたが、
結婚を機に遠方に移り住むことになり退職。

それから夫の転勤、それに伴う引越が続くことになりました。
そして私自身の体調不良にも悩まされました。
その間に義両親の入退院や、妊娠出産。
育児と義親の介護が重なった時期もありました。

気がつけば5年10年と月日が経ち、
いつのまにか職場復帰の機会を逃していました。
自分が望んだことではないのにと不満しかなく、
でも行動を起こすには自分への負荷がかかり過ぎることを懸念してしまい、慎重になってしまう。
そうしている間に、臨床から長く離れてしまったことが
コンプレックスになっていきました。



医療従事者が「患者」「患者の家族」になったとき

はじめて入院してみて感じたこと

結婚後間もない頃、過労で入院。このときが初めての入院でした。
そのときに、かつては単なる職場に過ぎなかった病院という場所が
「来たくもないのに来ざるを得なかった場所」へと変貌。
見慣れたはずの待合室や診察室、病棟のベッドが
急に居心地の悪い嫌な空間となっていて、遠い存在に感じました。

私も両親も大きな病気をしたことがなかったので、結婚前に家族の入院をほとんど経験したことがありませんでした。母が婦人科疾患で入院したくらいです。命にかかわる状況だった訳でもなく、それほど大変に感じなかったのは、あらかじめ入院期間が決まっていたからかもしれません。

通院や入院は診察によって決められるもので、自分では決められないこと。
退院の時期も自分では決められない。
このときは2週間ほどの入院となりましたが、毎日窓から外を歩いている人達を見ながら、自分が世界からはじき出されたような心持になりました。
いつになったら帰れるのか。退院が決まらないと家に帰れない。
気が遠くなるような思いだったのを覚えています。

「患者の家族」になって初めて気づいたこと

随分前になりますが、義母が危篤になり身内が呼び寄せられたことがありました。
同居していた義姉から電話を受けた後すぐに夫に連絡し、急いでスーツケースに着替えを詰めて新幹線に飛び乗りました。身内が皆顔を合わせ、昼間は病院に集合し、夜は夫の実家に戻って寝泊まりする。そんな日が数日続きました。

このときは持ち直すことができたのですが、3年後に再び悪化してこの世を去りました。クリスマスの日に連絡が入り、義実家に帰って数日後にこの世を去りました。

そのあとも雑用や今後の話し合いなどで数日が経ち、やっとひと段落ついたとき、今まで担当した患者さんのことをふと思い出し、

「患者さんの家族って、こんなに大変な思いをしていたんだ。」

と、大切なことを見落としていたんじゃないかと感じたのです。

今まで見えていなかったかもしれない目線

1.人間としての尊厳

今更なのですが、処方箋やカルテに書かれていた
「発症後、救急搬送」
「●●病院にて〇〇術施行」
「ICU入室」
といった字面でしか理解していなかった状況が、
初めてイメージとして浮かび上がり
各々のワードが立体的な意味合いを持ったものに変わりました。

かつての職場は慢性期のリハビリテーションを行っていたので
急性期のことは問診で聞いたことしか知らなかったし、
それ以上深く関心を持つこともありませんでした。

しかしよく考えてみると、
脊髄損傷の患者さんも、脳血管障害の患者さんも、義足の患者さんも、
発症後に緊急搬送されて手術を受けておられるはずなのです。
そのとき連絡を受けて、急な手術に立ち会うことになったご家族の不安はどれほどだったか。

急に連絡が来たとき。職場から急遽帰宅したり、遠方から新幹線や飛行機に乗って遠方から駆け付けたり。お子さんの学校まで迎えに行ったり。何が何だかわからないまま、慌ただしくて心が乱れた状態で、何日も過ごしておられたのではないか。

そして手術が成功した後、ほっとしたのもつかの間、
患者さんのからだに後遺症が残ることを医師に告げられたとき
再び絶望されたのではないかと思うのです。

上肢の麻痺があるということは
愛する人と、以前のように手をつなぎ合うことはできないということ。
頭や頬を撫でてもらえないこと。

下肢の麻痺があるということは
以前のように一緒に歩くことができないこと。
もう二度と、一緒に立ち上がって
同じ目の高さでものを見ることができないこと。

高次脳の問題があるということは、
以前のように真剣にお互いの思いをぶつけあったり
悩みごとを相談することが、もうできないこと。

こんな当たり前のことが気づけていなかった。

今思えば患者さんと初めてお会いしたときは、すでに絶望の真っただ中だったと想像できます。

医療従事者として身体機能を診ることと、ずっと一緒に過ごしてきた家族の変わってしまったからだを見ることとは視点が違います。

それを知ったところで、患者さんに対してのアプローチ方法が変わることはないです。あくまでも医療従事者と患者の関係として、患者さんの残存機能や症状と向き合うのが役割だから。患者さんは身内でも友達でもないから。

でも、それとは別のところで、人間と人間とのかかわりの中での思いやりとをわすれていなかったか。前提条件として患者さんの尊厳を守ることを軽んじていなかったか。このときを機に、患者さんの本当の思いを知ろうとしていたのだろうかと思うようになりました。

当時、患者さんの身体機能を評価してニーズを聞いてゴール設定し、
そこに向かって結果を出すために日々アプローチを続ける。
最終評価でADLの自立度が向上されていて、目標に到達できた。
退院後の生活について確認し、これでご自宅に帰れる、
仕事復帰に向けて職場お繋ぎできた、
ご自宅のリフォーム内容についても確認済み。
車椅子の処方もできた。杖の長さも装具のチェックアウトも完了。

精一杯できることをやっていたし、
アプローチ自体は特に問題なかったと思う。
患者さんとしては、一症例としては。

2.なんでもいいから何かしてあげたい、しないではいられない

お見舞いに来られたご家族が麻痺した手をずっとさすっていたり、病室で足をマッサージしたり。ベッドの枕元にお守りやお札が置いてあったり、お孫さんのお絵描きに「じいじがんばって」というメッセージが添えられたものが張られていたり。

こういった、「何かしたい、しないではいられない」
といった心境はご家族ならではのもので、もどかしい気持ちの表れだと思います。

実は、私はこういったご家族の行動を全く信じていなかったのです。

そんなことしたって身体機能は変わらない。
そんなことで麻痺が良くなるわけじゃない。

ちよっと馬鹿にもしていました。非科学的だと。

でも、義母の入院を通して、
近しい人の変わってしまった姿を見たときに、
自分の思いをどこに持って行けばいいのかわからない、
目の前にいる近しい人に何かできることがあればしたい。
そんな思いを自然に抱き、改めてこういうことだったのかと感じました。

そして患者さんご自身も
このようなご家族の思いに支えられていることを。

これらの経験を通して


ここ20年ほどの間に、高齢者の方をとりまく環境や、バリアフリー・ノーマライゼーションの認識が随分変わってきたと感じています。介護をされるご家族のご負担に対する理解も、少しずつ得られてきたように感じます。

世の中の流れも、物理的なものに限定されないような広い視野からの「幸せ」を考える機会が増えてきたように思います。

幸せって何だろう。

リハビリテーションの行きつくところは、
患者さんのQOL(quality of life)を向上させること。
つまり、究極には幸せを求めることだと思う。

患者さんの幸せって何だろう。

身体機能を向上させること、
ADL(Activities of Daily Living:日常生活動作)を向上させること。
できる限り自立レベルまで到達させること。

それが当然だと思っていたし、それが自分の役割であり使命だと思っていました。初期評価で設定したゴールに到達できるかがミッションであり、到達できたら患者さんは安心して退院されると思っていました。退院時のADL指導を忘れずに行い、確認出来たら大丈夫だと思っていました。

それなのに、臨床を離れた今、
患者の家族の立場で医療従事者とお会いするときに
最も重視するのは

「人間として信頼できるかどうか。安心して任せられるか。」

でした。

もちろん技術面も必要で、そこは当然あるという前提ですが、
技術面だけの信用から「信頼」にはならなくて
「利用」につながるように感じます。

退院時に幸せを感じられるとしたら
医療従事者の信念と誠意を感じたときでした。

信頼関係って何だろう。

医療従事者と患者さんとの間の信頼関係が大事だと
学生のときから何回も聞かされてきた。

信頼関係って何だろう。

相手を信じることができると感じたとき、
何でも相談できるし
説明やアドバイスも素直に受け入れられる。

でも、それだけだと
与える側と与えられる側の一方通行の関係にしかならない。

説明やアドバイスに納得できて
自分の未来が明るくなりそうだと思えたとき、
患者さんやご家族の現在地が
はじめて明確になるんじゃないか。

不安が少しでも小さくなり、
さらに少しでも安心へと変わったとき。

そのときにやっと「信じ合う」関係になれるのではないかと
考えるようになりました。

正論や理屈だけでは解決しない

体調を崩したとき、診ていただいたいろいろな方から
「疲れすぎないように。」
「ストレスを溜めないように。」
と言われました。

極めて正論なのだけれど、
いきなりストレスを溜めない生活を提案されても
どうしていいのかわからない。

だいたい、ストレスが溜まっている人は
ストレスの発散が下手な人や
せざるを得ないことを抱えている人だったりするので、
やめましょう的なひと言で解決しないのは
アドバイスする側も気づいていると思う。

こんなとき、じゃあどうすればいいの?と
思うのは当然だと思う。

今の私にできることは

同じ症状でも、
人それぞれ生きてきた道が違うように
原因となることはそれぞれ違う。

腰痛にはこれ、肩こりにはこれ、といったように
同じ体操をしても皆が同じように変わらないのと一緒。

ちょっと痛みが出ただけで、
「怖い病気じゃないだろうか」
「命に係わることかもしれない」
と、自分や家族のからだに関しては
夜も眠れないくらい不安になるときがある。

そんなとき、先が見えなくて不安であれば、
これからどう動けばいいか
どんなことに気をつければいいのか
または早く病院に行った方がいいのか

少しでも何でも話せる場があれば
楽になれる人がいるかもしれない。

そんな思いが、現在の活動に繋がっています。

幸せと安心はつながっている

夕陽を見て美しいと思ったり、
風で季節を感じたり、
なんてことはない、いつものご飯がおいしいと感じたり。

日常のささやかなことに幸せに感じられるときが
実はいちばん贅沢な気がする。
ささやかなことに目を向けられるときは、
心身ともに安心を感じられるときだと思います。

私自身も、そんなささやかな瞬間を大切に生きていきたい。
だから、自分の感覚にも敏感でいたい。
何が好きで何が苦手で、どんなときに幸せを感じるか。
自分のことがわからないのに、お客さまのからだのことを
感じ取れるわけがないと思っています。


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