【今日のsora】きらめきを見つけたきみの魂は今、どのあたりを漂ってるの
彼と出会ったのは、京都国際写真祭2024(KYOTOGRAPHIE)。彼は現場リーダーで、わたしはサポートスタッフだった。
その日、彼は少し遅れてきた。色白で髪は五分刈り。頭から爪先まで彫刻のようなストイックさを漂わせるその人は、淡々と業務の指示をした。
彼のまわりの張りつめた空気がどうにも息苦しい。開場までの手持ち無沙汰な時間にぽつりぽつりと話しかける。
今春、芸大を卒業した26歳。映画監督を目指していること。この写真祭では、自ら進んで、ドキュメンタリー系作品のギャラリー担当を願い出たことなどを話してくれた。
そのギャラリーでは、イランの圧政に抵抗する市民の記録写真を展示していた。
真っ白な会場に、胸のつまる作品の数々。つらくて涙が出る。ぐるっと会場をまわり、出口に向かうとき、壁を切った開口部から、柔らかな外光が差し込んでいるのに気づいた。それは絶望を照らす、一筋の光。
そんなことを彼に話したのだった。すると、それまでの堅い表情が一変した。
ぼくもとても気に入ってます。会場レイアウトを担当したデザイナーも、その世界観を重視されたそうです。
饒舌に語り出し、光が差し込むおおもとの場所を教えてくれた。
ここからの光が、とてもきれいなんですよ。夕方がとくに。
そう言って彼は、穏やかに、そして少し哀しそうに笑うのだった。
あれから半年、彼が卒業制作で撮った映画の上映会に行ってきた。KYOTOGRAPHIEの関係者の方も多く来られていた。みんな彼を応援しているのだ。
家族のコミュニケーション不全をテーマに、居場所を求めて彷徨う人々を描く作品だった。
わたしは映画に詳しくない。作品を評価できる目も言葉も持ってない。ただ、あの陽光のように繊細な心の機微、そしてあの得体の知れない哀しみが随所に刻み込まれていることはわかる。
座談会で彼の生い立ちを聞き、哀しみの理由もほんの少しわかった気がする。
誰かの哀しみを癒やせるのは
哀しみを知っている人だから。
いつかまたどこかで
彼の映像世界に触れてみたい。
END
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