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ダンピール 血の覚醒
(Vtuber用の台本)
字幕:映画の感想
字幕:ダンピール 血の覚醒
U-NEXT で観ました。
ソニー配給ですが、製作はイタリア、監督はリカルド・チェメロという人です。たぶんイタリア人でしょう。
ソニーは、というか、大手映画配給会社は何処も一緒だと思いますが、自身が手掛ける大作映画の他に、年間プログラムを埋めるため、小規模なホラー映画やアクション映画を毎年一定数、配給しているんですね。
いわゆる「プログラム・ピクチャー」制度が、今でも機能しているみたいです。
イタリア製なんだから、俳優は全員イタリア人で台詞はイタリア語かと思いきや、さにあらず。
みんな英語を話します。
おそらく俳優もアメリカやイギリスなど、英語が母国語の人たちでしょう。
この「ダンピール 血の覚醒」を観て、イタリア映画界には今でも「マカロニ・ウェスタン的な伝統」が残っているのだな、と思いました。
イタリアの映画業界は、昔から、
「イタリア人の監督とスタッフ、英語圏出身の俳優、台詞も英語」
という映画を作っていました。
マカロニ・ウェスタンが有名ですが、イタリアン・ホラーやジャッロにも、この手の映画は多いです。
自国イタリアより遥かに大きな世界一の映画市場アメリカで売るため、主にマーケティング上の理由から考案された手法でしょう。
では、これから「ダンピール 血の覚醒」について、お話していきます。
まず冒頭、「バルカン半島」という字幕が出ます。
舞台はバルカン半島の国々の何れか、登場人物たちも現地の人々という設定だと思います。(前述の通り、台詞は英語です)
具体的にどの国か? は特に明示されません。
吸血鬼と言えばドラキュラ、ドラキュラと言えばルーマニアですから、この映画の舞台はルーマニアかも知れません。
兵士たちの携行している自動小銃がAK系でした。
調べてみると、ルーマニア軍の制式小銃もAIМというAK系の小銃です。
やっぱり舞台はルーマニアの可能性が高そうです。
ここからネタバレ感想に入ります。
字幕:ネタバレ注意!!!
(少し、間を空ける)
原作は「DAMPYR」というイタリアの漫画だと紹介文に書いてありました。実際、いかにも漫画原作らしい、コッテコテの超能力バトル・アクション映画です。
バンパイアの父親と人間の母親との間に生まれたバンパイア・ハンターが主人公。
タイトルの「ダンピール」は、吸血鬼と人間との混血児を指す言葉です。
主人公は純粋なバンパイアではありませんから、人間と同じように昼間でも日光を気にせず活動できます。
じゃあ逆に、バンパイアの血を半分しか受け継いでいないなら、魔力も半分なのか? 他のバンパイアより劣るのか? という話になりますが、実際には、むしろ並みのバンパイアより主人公の方が強いという設定です。
なぜなら、彼の父親がバンパイア界の英雄(王?)だからです。
(ひょっとしたら、ドラキュラ伯爵その人であるという裏設定かも知れません)
バンパイアの中でも並外れた能力を持つ父親の血を受け継いでいるので、たとえ人間との混血児であったとしても他のバンパイアより強い、という訳です。
要するに、貴種流離譚ですね。
このような主人公の設定は、菊池秀行の「バンパイア・ハンターD」を思い出させます。ていうか、ほとんど一緒。
基本設定が典型的な超能力バトル物なら、ストーリー運びもコッテコテの少年漫画でした。
バンパイアに拉致された親友を救うために敵のアジトに乗り込んでみたら、すでに親友自身がバンパイアになっていて、敵として主人公の前に立ちはだかる展開、とか。
それぞれ違った思惑を持ち、いがみ合いながらも主人公と行動を共にする特殊部隊の兵士と女バンパイア、とか。
最初は敵として主人公の前に現れ、すぐに主人公と合流して仲間になる彼らは、例えるなら「抜け忍」タイプのキャラですね。
この辺りも、少年漫画っぽいです。
ラスボスを倒したあと、
「俺たちの戦いは、これからだ!」
……みたいな雰囲気をむんむん漂わせながら、3人仲良く横並びの「Gメン75歩き」というか「大江戸捜査網歩き」で、画面手前に向かって歩いて来る。
そして場面が切り替わってエピローグ。
亡き妻の墓前に花を手向ける黒い戦士コスチュームの男。
「息子よ! これからが真の戦いじゃ! ……つづく」
ほんと、最初から最後までコッテコテの少年漫画みたいな超能力バトルアクション映画でした。
正直、お約束の展開過ぎて「うわっ、くさっ!」と恥ずかしくなる瞬間が何度も有りました。
「プログラム・ピクチャーとは、そういう物だ」
と割り切って見れば、まあまあ楽しめると思います。
では、また。
(少し、間を空ける)
「僕の言うことは全て、うそだ」
と、クレタ人が言った。
「今日も優しく、うそを語ろう」