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はたらく細胞

映画館で「はたらく細胞」を観て来ました。
映画:武内英樹

ネタバレ注意!

この記事にはネタバレが含まれます。
ご注意下さい。

客席の雰囲気

ふと、
「もう年末だし、何かゴージャス感のあるお正月映画でも観るか」
と思い立ち、この「はたらく細胞」の予告編を観て、今の気分に合いそうな感じがしたので、水曜日(サービス・デー)の午後の回を観て来ました。
IMAX 版も有りましたが、今回は通常版を観ました。

客数は大体だいたい50人くらい。
客層は比較的若かったです。
ご老人は居なかったように思います。

高校生がチラホラ居たのには少し驚きました。
もう冬休みなのか……と一瞬だけ思いましたが、制服を着ています。
学校帰り? 
午前中に期末試験を受けて、下校途中に映画館に寄ったのでしょうか?

親子連れも観に来ていました。それこそ劇中の「血小板」みたいな小学校低学年らしき児童が何人も親に連れられて来ていました。

映画が終わった後の雰囲気は良かったですね。
僕の隣の、そのまた隣に女子高生の2人組が座っていたのですが、
「すっごい面白かった!」
って言ってたのが印象的でした。

映画上映中、泣いている人も居たと思います。
鼻をすする音が、後ろの座席から聞こえてきました。

僕の履修度

アニメ版の「はたらく細胞」は、第1シーズンは全話観ましたが、第2シーズンは観ていません。
漫画に関しては、「はたらく細胞 Black」の1~6巻を Kindleで買って読んでいます。

僕の医学知識

もちろん僕に医学的な知識は有りません。
「医学的に正確か、どうか」に関しては言及しません。
あくまで映画としての良し悪しのみを語ります。

僕の感想

いや~、油断してた。
不覚にも泣きそうになりました。

前半は、
「ふ~ん、けっこう頑張っているじゃん。まあでも、所々にあらが目立つね」
くらいのテンションだったんですよ。

予算的な限界を感じてしまい、(まあ、ここは目をつぶってやるか……)と、観客のがわが手心を加えなきゃいけない所もチラホラありました。
正直、欠点を言おうと思えばいくらでも言えちゃう感じです。

一般的に、この手の映画の場合、
「割と頑張っていたから、ぎりぎり合格点を付けとくか」とか、
「まあまあ悪くなかったよ。サービス・デー1300円の元は取れた」とか、
めるにしても、そういう微妙なテンションになりがちです。

しかし、この「はたらく細胞」は違いました。
後半、少年の白血球ががん化したあたりから徐々に引き込まれて行き、クライマックスでほとんど泣きそうになっている自分自身に驚いてしまった。

「なんで、こんなにも心を揺さぶられたんだろう?」と、帰りの道々ずっと考え続けました。

悲劇

正直、この物語が、ここまで容赦のない悲劇として終わるとは思っていませんでした。

「さすがに主人公の2人くらいは……せめて赤血球1人くらいは助かるだろう」
と甘く見ていたのですが、まさかの全滅エンドとは。

悲劇とは、単に「悲しい劇」という意味ではありません。
全身全霊をかけて運命にあらがい、あるいは全身全霊をかけて運命から逃げようとする英雄の物語です。
そして悲劇であるからには、運命に立ち向かうにせよ、運命から逃げるにせよ、その試みは必ず失敗し、英雄は必ず死にます。

古代から連綿と作られ続ける悲劇の背景にあるのは、
「世界をべる神々は、俺たち人間の事なんざ、これっぽちも愛しちゃいない」
という過酷な世界観です。

まだ科学の未発達であった遥か古代、人々は、降りかかる災厄を神の御業みわざだと思っていました。
天変地異が起きる度に「災禍を終わらせ給え」と神に祈り、生贄いけにえを捧げていました。
タイミング良く、それで日照りや洪水が終わる事もあったでしょう。
災厄が続くようなら、次の生贄を用意するしかありません。
天変地異を前にして、人間に出来る事は、ひたすら生贄を捧げ、祈り続ける、ただそれだけでした。
神が人々の願いを聞き入れてくれる事もあれば、そうでない事もあった。
全ては神の気まぐれです。
神は(すなわち世界は)、あまりにも人間に対し冷淡で残酷です。

「はたらく細胞」の細胞たちにとっては、まさに人間が神のごとき存在、世界そのものです。
神(=人間)との対話は絶対に不可能だけれど、色々な現象の中に、神の意思のかすかな痕跡を感じる。
神(=人間)は、体内に居る我々細胞を愛して下さっているのか?
そうであって欲しい、そうであるべきだと細胞たちは思うけれど、しかし実際には、その限りではない。
酒を飲んで血管内に有害物質アルコールの雨を降らせ、暴飲暴食の果てにコレステロールで血管を詰まらせる。
そんな過酷な環境でも、細胞たちは人体(=世界)の健康を守るべく、全力で働く。
(映画では、父親の体内はコメディっぽい描写になっていますが、原作漫画「はたらく細胞 Black」のストーリーは、もっと悲惨で陰鬱です)

物語の後半、女子高生が急性白血病になり、その体内で、癌化し増殖した細胞と正常な細胞との壮絶な戦いが繰り広げられる。
劣勢に立たされた正常な細胞たちは、それでも諦めずに、この世界(女子高生の体)を守るため戦い続ける。

そして、ついに、細胞たちの神であり世界そのものである女子高校生(と、その担当医)は、ある決断をする。

「放射線治療によって、正常な細胞もろとも癌細胞を絶滅させ、そののち、外部から骨髄を移植しよう」

この時点で、主人公の赤血球や白血球、ヴィランである癌細胞を含めた全ての細胞たちの滅亡が決まります。
これは神(=女子高生)によって決められた抗えぬ運命です。

たしかに女子高生は、やまいを治したい、健康になりたいと願っている。
しかし、それは、細胞1つ1つの生き死にを気にかけているという意味ではありません。
自らの体(=世界)を守るため、正常・癌化に関係なく既存の細胞を皆殺しにするという決断を下すのが神(=人間)なのです。

神の御心みこころを知らぬ細胞たちは、それでも最後の1分1秒まで、この体の健康のために戦い続けます。

気になった点

泣きそうになるほど感動した「はたらく細胞」ですが、気になった点も少なからずありました。
以下に、4点だけ述べます。

冒頭の細菌たちのコスチューム

冒頭に登場した細菌たちのコスチュームが、あまりにも変身ヒーロー物の怪人然としていたのが気になりました。
デザインは割と原作に忠実だったと思いますが、問題はその質感です。
予算との兼ね合いも有りましょうが、もうすこし何とか出来なかったのかと思いました。

癌細胞の描写

癌化した少年白血球が逃げた後、それが増殖して全身に広がっていく過程が省略され過ぎているように感じました。
気づいた時には既に手遅れな程の量に増殖していた。
その過程が描かれていないため、唐突な印象を受けます。
最初の癌細胞が逃げて、それが如何いかにして増殖していったかをもっと丹念に描いくべきだったと思います。

父親の体内の描写

「はたらく細胞 Black」をベースにした父親の体内描写は不要だと感じました。
もともと悲劇的な内容の「Black」をコメディ調に改変するという判断も、ちょっと納得しづらいです。

娘の体内の描写に集中すべきだったと思います。
父親の体内描写をやめて、その時間と予算を、少年白血球が癌化して徐々に増殖していく(仲間を増やしていく)過程の描写に使うべきだった。

最後に登場した赤血球と白血球

主人公である赤血球と白血球が死んで、骨髄移植によって新たな世界が誕生した後、同じ役者でもう一度、赤血球と白血球の出会いが描かれます。
他人の空似そらにという設定なのか、それとも、新たな世界で生まれ変わった(転生した)という意味なのかは分かりませんが、ちょっと悲劇性が弱まっちゃったな、やけちゃったな、と思いました。

最後の赤血球と白血球は、別の役者にしたほうが良かったと思います。

子供に対する配慮

この映画のレーティングは全年齢です。
全年齢というのは、事実上、子供向けという意味です。
上記の僕が気になった点も、子供に対する配慮でこうなったのかな?
とも思いました。
病から回復した女子高校生が、自分自身の体に向かって感謝を述べるという取って付けたような描写も含めて、子供向けという事でバッド・エンドには出来なかったのだろうな、と思いました。
コミカルな父親の体内描写なんかも、シリアス一辺倒じゃ子供が飽きちゃうから、っていう意図で挿入されたのかも知れません。

とあるロボット・アニメ

女子高生(=神)が、自らの体(=世界)の健康を取り戻すため、全面戦争を続けている体内の細胞たちを両陣営もろとも絶滅させ、(外部からの骨髄移植によって)新たな世界を1から創造しなおす……というラストを観て、とあるロボット・アニメのラストを思い出しました。

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