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シビル・ウォー アメリカ最後の日

注意、ネタバレあり。

映画館で「シビル・ウォー アメリカ最後の日」を観て来ました。
監督:アレックス・ガーランド

以下、ネタバレ感想

(少し、間を空ける)

近くのシネコンで、IMAX 版、土曜日の昼間の回を観て来ました。
客席の入りは3分の1くらい。
意外と少なかったです。
老若男女、どの客層にもかたよらずバラけていたように見えました。
高校生以下の客は居なかったように思います。

では、感想に入ります。

完成度の高いエンターテイメント作品でした。
徹頭徹尾、混じりっなし、純度100%のエンターテイメント作品です。

僕個人の感想を言わせてもらうと、
「わりと楽しめたけど、あまりにも王道エンターテイメント過ぎた。この映画ならではの面白さ、独自性は乏しかった」
といった所です。

まあ要するに、この映画って、

「ドラゴン・クエスト」
   +
「ウォーキング・デッド」

ですよね。

「未熟な若者が師匠と出会い、個性的な仲間たちとパーティを組んで、魔王を倒すため魔王城を目指して旅に出て、いつしか師匠を超える程に成長し、魔王城に潜入して、師匠が死んで、ついに魔王と対面し、魔王を倒し、国に平和が訪れる」
っていう、ほんとドラゴン・クエスト的というか、スター・ウォーズ的というか、そんな展開でした。

王道には王道の良さがあるのは認めますが、それにしても、あまりにコッテコテでした。
もうちょっと王道を外す展開があっても良かったんじゃないかな。
この映画独自の魅力が欲しかったです。

「このキャラはルーク・スカイウォーカーに相当する役どころで、このキャラはオビワンに相当する役どころで、このキャラがハン・ソロで、このキャラがチューバッカで、この自動車がミレニアム・ファルコンで、ホワイトハウスがデス・スターで、大統領が銀河皇帝で……」

……って感じで、完全に1対1対応できるくらい、王道をなぞっています。

デス・スター(=ホワイトハウス)に潜入した時、成長したルークを見届けるように身代わりになってオビワンが死ぬとか……そこまで忠実な王道展開にしなくても良いだろうって思いました。

世界観

世界観は、アフター・アポカリプス物のバリエーションですね。
文明が滅んだ世界を主人公たちが旅するっていう話です。
「ウォーキング・デッド」とか、ああいうゾンビ物に良くある世界観。
ゾンビ物にも色々ありますが、大きく分けると以下の2つになります。

  1. ゾンビ・ウィルスが徐々に広がって人類文明を侵食していく過程を描く作品。

  2. ゾンビ・ウィルスが蔓延し文明が滅亡した後の世界を描く作品。

これに例えると「シビル・ウォー」は2番目のタイプです。
文明が完全に崩壊した訳ではありませんが、国家による統治・法治が機能していないという意味では「終末後の世界」と言って良いと思います。

人々は町・村といった小さなコミュニティで結束し、自警団を作って町や村を警備している。
あるいは、ごく身近な友人や家族で数人の小集団を形成して銃で武装し、部外者は誰も信用しない、っていう世界観。
ゾンビ物とか、「マッドマックス」「北斗の拳」などで良く目にする世界観ですよね。

ゾンビ・ウィルスなどの荒唐無稽なSF設定を使わずに、現代アメリカ社会の延長線上に終末世界を作り上げている点が、この映画の特徴です。
ここは独自性・新規性として評価できるポイントです。

あくまで娯楽作品。リアリズムではない

繰り返しますが、これはエンターテイメント作品です。
この映画が追及しているのは、あくまで「ハリウッド式の物語の面白さ」です。
科学的なデータに基づき一定のリアリティをもって未来予測をする「シミュレーション映画」ではありません。

確かに、戦場にける銃器の描写や兵士・カメラマンたちの行動に関しては、ある程度のリアリティが有ります。
しかし一方で、物語の展開にはリアリティが有りません。

リアリズムという点で見れば、あんなに都合よく個性的な仲間たちが集まってパーティを組むという展開は納得しづらいです。特に、スティーヴン・ヘンダーソン演じる巨漢の老人を最前線に連れて行くというのは流石さすがに無理がある。
自動車に残った老人が騎兵隊よろしく絶妙なタイミングで現れて敵をなぎ倒して行くっていう展開もご都合主義だし、物語のラストで主人公の身代わりになって師匠が死ぬ展開もご都合主義っぽいです。
師匠の死にざまも、主人公の目の前で「決めポーズ」を作ったりして、なんか嘘っぽいです。

戦場の緊張
  ↓
ひとときの平和
  ↓
仲間との交流
  ↓
ふたたび激しい戦場

……っていう緩急の付け方も、リアリズムというよりは、ハリウッド式の作劇法ですよね。

ハリウッド御用達ごようたしの映画理論にのっとった作劇それ自体は悪い事じゃないと思いますが、あくまでエンターテイメントの作劇であって、リアリズムではない。
難しい事を考えず、純粋に娯楽作品として楽しむべき作品でしょう。

「この映画に登場する大統領は、現実の政治家○○氏のメタファー」みたいな感じで、過剰に現代アメリカ社会・政治を持ち出して語る必要は無いかな、って思います。

作り手側も、「あくまで娯楽作品として楽しんで下さいね」っていうサインを映画の随所に入れている気がします。

たとえば「西部連合軍」なる組織は、分離独立した2つの州、カリフォルニアとテキサスの連合です。国旗は、星が2つだけの星条旗。
しかし現実には、この2つの州は地理的に隣接していません。
政治的にも、カリフォルニアは左派、テキサスは右派として有名な州。水と油です。

(ただし最近は、税制上の理由でカリフォルニアからテキサスに移転するIT企業が増え、その従業員たちがテキサスに移住した事で、テキサスの民主党支持者も増加傾向にあるようです)

映画の製作者だって、カリフォルニアが左でテキサスが右なんて事は百も承知です。
それを承知で、わざとカリフォルニアとテキサスが手を組んだという設定にしている。
これは「現実社会の政治闘争を、過剰に映画の中へ持ち込まないで下さいね」っていう観客へのアピールでしょう。
現実は現実、フィクションはフィクション、切り分けて楽しみましょう……っていう意味です。

戦闘シーンに被せるように大音量でラップ音楽を流す演出なんかも、「あんまり真剣になり過ぎないでね。これは娯楽作品ですから」っていう意図なのかなと、僕は解釈しました。
字幕を観る限り、この戦闘シーンとラップ曲の歌詞に関連があるって感じでも無かったですし。

「この映画には強い政治的メッセージが込められているんだ」なんて変に深読みせず、純粋に娯楽作品として楽しんで欲しい、そんな風に製作者側も思っている事でしょう。

あんまり真面目に政治的な解釈をし過ぎちゃうと、例えば、ガソリンスタンドのシーンで拷問をしている白人の若者のしゃべり方とか、その後に出てきた「どのアメリカ人かによるな」って言った赤いサングラスをした白人男性の喋り方とか、あきらかに彼らの知性を下に見るような描写になっていて、それはそれでどうなんだ? って話にもなります。

敵にしろ味方にしろ、この映画のキャラクター造形は相当にステレオタイプです。
やっぱり、この映画は娯楽作品として観るのが良いと思います。

余談ですが、ゾンビ映画の根底には、
「自分をインテリ階級だと思っている人間が最も恐れているのは、『野蛮なアホどもに、数の暴力で蹂躙される事』」
という、あまり大声では言えない感情があると思います。

美男・美女の吸血鬼に血を吸われて殺されるという描写には、恐怖と同時に甘美な性的快楽があります。

一方、アホ顔のゾンビにまれて自分もアホ顔のゾンビに成り果てるという描写には、恐怖だけでなく屈辱感が含まれます。

戦場カメラマン

戦争映画の多くは、軍人を主人公にえます。当たり前ですよね。

この映画の主要人物は戦場カメラマン・戦場ジャーナリストたちです。
長い映画の歴史で、カメラマンやジャーナリストを主人公にした戦争映画もいくらかは有ると思いますが、少数派でしょう。

単に戦場カメラマン映画であるだけでなく、
「戦場カメラマンという因果な商売、そのごうの深さ」
を主題にした映画は、さらに少数でしょう。

戦場カメラマンは、戦場の現実を撮影して、その悲惨さを広く世間に知らしめるという高尚・高邁な使命を持つ職業です。
と同時に、他人の不幸を物陰からのぞき見して金と名誉を得るゲスな仕事でもあります。

さらに加えて、戦場という極限状態でのみ得られる高揚感のとりこになってしまった戦場ジャンキーっていう側面もある。

高邁さ・ゲスさ・高揚感……戦場カメラマンという職業を、良い意味でも悪い意味でも英雄的なものとして描いているんですね。

その英雄的な職業であるカメラマン業界で、まさに英雄の中の英雄としてあがめられている師匠役のカメラマンが居る。
しかし彼女は、ストレスの多いこの仕事に徐々に嫌気が差している。

一方、ひよっ子カメラマンとして最初は箸にも棒にも掛からなかった主人公は、戦場の現実を通して徐々に成長し、最後は立派なカメラマンになる。

この入れ替わり、つまり「老いた英雄は戦場を去り、未熟だった若者が成長して次の英雄になる」っていう世代交代が、この映画の主題ですね。

余談ですが、スマホとSNSが世界中・津々浦々に浸透した現代において、戦場カメラマンの英雄性は、徐々に落ち始めているような気がします。
名も無き市民たちが現場の様子をパシャパシャ撮ってSNSに大量に上げているのが現代ですから。

初期設定

前述したとおり、この映画は「終末世界を旅する」系映画のバリエーションだと僕は思っています。
現代アメリカの延長線上に終末世界を作り上げた点が、この映画の新しさです。

この映画は意図的に初期設定をかしていますが、ちょっとしたセリフのほのめかしから推察してみましょう。

  1. 大統領は現在3期目である。現実のアメリカ大統領の最大任期は2期。この大統領は何らかの方法で強引に任期を伸ばしている。これは独裁者の常套手段である。

  2. アメリカ・ドルは暴落している。ガソリンスタンドで主人公側が300ドル払うと言うと、ガソリンスタンドの男は「それっぽっちじゃサンドイッチも買えない」と言う。そこで主人公は「カナダ・ドルで払う」と返す。つまり、ハイパー・インフレでアメリカ・ドルの価値が暴落している一方で、カナダ・ドルは価値を保っているという設定である。

  3. 政府軍 vs カリフォルニア・テキサス軍の戦闘が主たる物語の背景だが、実はそれ以外にも多くの州が分離独立している。つまり連邦政府の統治能力が落ちて、群雄割拠の戦国時代になっているという世界観である。

こんな所でしょうか。

いま気づいたんですが、外国の存在も意図的にかされていますね。
もし仮に、GDP世界第1位で核保有国でもあるアメリカがこんな状態になったら、諸外国が黙っていないですよね。
ロシア・中国は当然のように軍事介入して来るだろうし、イギリスやEUも介入するでしょう。

難民キャンプで主人公たちが国連の職員から食料をもらうシーンがあります。
この状況で国連を動かしているのは、いったい何処どこの国でしょう?

現実の世界では、最も多く資金を国連に拠出しているのがアメリカです。
本部もニューヨークにあります。
冒頭の給水車爆破シーンとかホテルの停電の描写から、ニューヨークではテロリズムが横行し、水道・電気・警察・病院などの公共サービスが機能不全におちいりつつあると分かります。
こんな状態で、果たして国連が機能して難民キャンプを運営し物資を供給できるのか疑問です。

世界最大の経済大国・軍事大国アメリカが崩壊して内戦状態になったら、当然、国際社会にも重大な影響を及ぼすはずです。
そして国際社会の不安定化は、必然的にアメリカ国内の情勢にフィード・バックされるはずだと思うのですが、どうでしょうか?

やっぱり難しい事は考えず、娯楽作品として割り切って観るのが良いみたいですね。

ラスト・カット

主人公の顔を真正面から写すラストのカットで、少し冷めちゃいました。
なんで、あのカットを入れたんだろうか。

エンド・クレジット

エンド・クレジットの背景は、主人公が撮影したとおぼしき写真です。
大統領の死体を囲んで満面の笑みを浮かべた兵士たち。

……まあ、そうなるよね。

ちなみに、つい2か月前のバングラデシュでは、こうなりました。

この時バングラデシュでは、無政府状態の中で、少数派のヒンズー教徒の家が襲撃されたり放火されたり、ヒンズー教の寺院が襲撃されたり放火されたりしたみたいです。

この映画の中にえて1つだけ教訓を見い出すとすれば、
「国家の機能不全、無政府状態、内戦は、人々を蛮行に走らせる」
という事でしょうか。
これはアメリカだろうとバングラデシュだろうと日本だろうと同じでしょう。

追記(2024.10.7)

先進国の観客たちが漠然と感じている、
「俺たちの住んでいる国が、先進国の座から脱落する日が来るかも知れない」
という恐怖心を基盤にして、この映画は作られているのかも知れません。

独裁的な大統領であれ、各地に点在する小規模な武装組織であれ、内戦で国土を荒廃させる複数の政治勢力であれ、途上国と呼ばれる国々には当たり前に存在しています。
通貨暴落も、しばしば途上国で発生している。

もし舞台が途上国だったなら、この物語は、そこまで珍しくもなかったでしょう。

その舞台を世界第1位の先進国アメリカに置き換えて、
「先進国だからって安心するなよ。お前の国だって、いつ何時なんどき落ちぶれて、この映画みたいになっちまうかも知れねぇぞ」
と観客に突き付けた所が、この映画の斬新さだったのかも知れません。

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