ビーキーパー
どうも、慈英ソンステ勇です。
あ、「勇」は「いさむ」って読んでください。
近くの映画館(シネコン)で「ビーキーパー」を観て来ました。
監督:デヴィッド・エアー
予想以上に、面白かったです。
平日の昼間の回を観ました。
お客さんは30人くらい。
ネタバレ注意!
この記事にはネタバレが有ります。
(少し、間を空ける)
I、アクション・スタイルの変遷
ハリウッドの格闘アクションにも流行り廃りが有るんだなぁ、と、しみじみ思いました。
振り返ってみると、1990年代以降しばらくのあいだ、京劇をベースにした香港カンフー映画の様式を取り入れるのが、ハリウッド格闘アクションの最先端だったように記憶しています。
ジャッキー・チェンに代表される、
「ハイッ、ハイッ、ハイッ、ハイッ……」
といった感じの手数の多い格闘アクションですね。
70年代~80年代の香港カンフー映画を観て育った若手監督たちが90年代に入って徐々にハリウッドで台頭してきたのが、その要因でしょう。
そんな「90年代ハリウッド・アクション映画における香港スタイルの流行」を見ながら、当時の僕は「そっちに行っちゃったか……」と少し残念に思っていました。
僕も、ジャッキーど真ん中世代でしたから、小学校高学年~中学生くらいの時期は、テレビの洋画劇場・ロードショー番組でジャッキー映画が放映される度に、その翌日、
「ぶんっ、ぶんっ、ぶんっ」
と、パンチが風を切る効果音を口で真似ながら、教室の後ろで〈蛇拳〉や〈酔拳〉を使って同級生と闘っていました。
そんな幼少期を過ごした僕ですが、数年後、大人に成りたての頃に昔の日本の時代劇を何本か観たら、アクションの好みが一気に「瞬殺・一撃必殺」に変わりました。
時代劇は刀と刀の戦いですから、勝負は一瞬で決まります。
ひとたび刀が振り下ろされれば、どちらか一方が必ず死ぬか、腕を切り落とされ血を噴き出しながら悶絶します。
一瞬で生死が決まる刀と刀の戦いで、どうやってアクションの間を持たせるかというと、とにかく敵の人数を多くするんですね。
主人公1人に対して大勢の敵というシチュエーションを作って、主人公が「一撃必殺・瞬殺」で次から次へと敵を薙ぎ倒しながら前へ進んで行く、というのが日本の時代劇の様式美です。
僕が古い日本の時代劇を見始めた丁度その頃、ハリウッドはジャッキー式の香港アクションに傾倒し始めました。
当時の僕の目からは、香港の様式を取り入れて手数の多くなったハリウッドのアクションは、何だか段取り臭くて、まどろっこしく見えました。
手数が多い=なかなか勝負がつかないって事ですから。
西洋スタイルにしろ、香港スタイルにしろ、日本の時代劇スタイルにしろ、実際には緻密な段取り上に成り立っている訳だし、どっちが良いとか悪いとかっていう話でも無いのでしょうが、当時の僕は、
「一撃必殺・瞬殺で、大勢の敵を次々に倒して行く日本の時代劇の様式が好みなんだけどなぁ……」
なんて思っていました。
時代は下って21世紀。
ハリウッド・アクション映画の潮目が変わったな、と感じたのは「ジョン・ウィック」あたりからでしょうか。
アクションの流行が、徐々に、
『パンチ→ガード→キック→ぎりぎりで避ける→パンチ……の応酬、その手数の多さとバラエティで魅せる香港スタイル』
から、
『一撃必殺・瞬殺で、次々に現れる大勢の敵を薙ぎ倒して行くスタイル』
へと移っているような気がします。
この「ビーキーパー」も、基本的にはその流れの延長線上、その最先端に位置する映画だと思います。
上映時間105分のあいだに主人公が殺したり再起不能にした人数って、どれくらいでしょうか?
100人くらい? だとしたら平均1分に1人です。
とにかく瞬殺、1人あたり1撃・2撃・3撃くらいでケリをつける。
ラスボスとのクライマックスこそ、パンチとキックの長い応酬がありますが、それ以外は、ほぼ瞬殺です。
ガソリンスタンドに現れた中ボスですら、最短の時間で返討ちにしています。
そして当然のように、主人公が圧倒的に強い。
「主人公が勝つか? 負けるか?」というハラハラ・ドキドキを最初から捨てて、とにかく一方的に主人公が強い。
圧倒的に強い主人公が一方的に殺戮を繰り返して行く感じは、連続殺人鬼もののホラー映画を逆転させた構図のようにも感じられますし、日本の異世界ものライトノベルに見られる「俺Tueee」(俺、強ぇぇぇ)の構図にも似ています。
II、ストーリーについて
「ビーキーパー」は、圧倒的に強い主人公が、大量の敵を次から次へと薙ぎ倒して行く爽快感に全振りした映画です。
ストーリーは、有って無いようなものです。
悪代官が居て、悪徳商人が居て、搾取され死に追いやられる村人が居て、必殺仕置人みたいな裏の組織があって、圧倒的に強い主人公が悪代官の城に乗り込むっていう、昔ながらの勧善懲悪が一応は語られますが、まあ、それをどうこう言う映画じゃないですよね。
敵の親玉がインチキIT投資家っていう所は、なんか今っぽいなぁと思いました。
ひとむかし前なら、麻薬組織とかが定番ですよね。
この映画の主要な客であるアメリカの一般庶民も、IT業界特有のイケイケ文化に対して成金の軽薄さを感じているんだなぁ、なんて思っちゃいました。
都会の軽薄な成金ITカルチャーに対し、地方で真面目にコツコツ働いている庶民が復讐する、っていう話にも見えて、なんだか現代アメリカの世相を感じました。
III、「スーパーヒーロー映画」と「普通のアクション映画」の中間路線
この映画にも、
「裏の組織と、その秘密基地」
が登場しました。
今のハリウッドは、ポスト「スーパーヒーロー映画」の勝ち筋を探っているように思います。
「スーパーヒーロー映画」と、それ以前の「普通のアクション映画」の中間あたりに次の勝ち筋が有ると考えているのかな? と感じる事もあります。
ひとことで表すなら、
「変身しない(コスチュームを着ない)普段着のスーパーヒーロー」
「超能力を持たない(けど、訓練によって常人を越えた圧倒的な強さを備えた)スーパーヒーロー」
スーパーヒーロー映画ほど荒唐無稽には見えない、でも、よく見ると相当に荒唐無稽(あるいは中二病的)というリアリティ・ラインの作品です。
闇の組織、秘密基地、非現実的な特殊機能満載のスーパー道具、世界中にアクセスしてデータを収集する万能コンピュータ、などが特徴でしょうか?
こうして特徴を列挙してみると、この手の新しいジャンル映画は、
「007 リローデッド」
という意味合いがあるような気もします。
色々なしがらみに縛られて苦悩する本家の007に対して、無邪気に楽しめた「あの頃の007」を取り戻そうっていう気分も、少なからず有るのかな?
IV、ゴージャス感
なんだかんだ言って、ハリウッド娯楽映画のゴージャス感は、まだまだ健在だな、と思いました。
製作費を調べてみたら3400万ドル(約54億円)という数字が出て来ました(真偽不明)
この数字を信じるなら、現代のハリウッドとしては低予算に位置する映画だと思います。
それでも、大統領の別荘やエキストラの数、衣装・大道具・小道具の数々が一定のゴージャスさを保っているのは流石だなぁ……と思いました。
映画を観ているあいだ「これを日本に置き換えて日本の映画会社が作ったら、どうなるだろう?」と考えていました。
ハリウッドにとって54億円は低予算の部類ですが、まだまだ日本でこれ程のゴージャス感は出せないだろうな……と思ってしまいました。
V、何事も、突き抜けるって重要
去年「ゴジラxコング 新たなる帝国」を観たときにも、今回「ビーキーパー」を観たあとにも思ったんですが、やっぱり何事も突き抜ける、やり通すって重要なんだなぁ、と。
「ゴジラxコング」にしても、「ビーキーパー」にしても、どちらもストーリー性・ドラマ性が極端に薄いという共通点があります。
普通に考えれば、このストーリー性の薄さ、ドラマ性の薄さは欠点になる筈ですが、この2本の映画は敢えてそれを選択している。
「ストーリーなんてどうでも良いから、とにかくアクションに注力しよう」と最初から決めている。
その迷いの無さ、潔さ、徹底ぶりによって、確かに楽しい映画に仕上がっている。
「細けぇ事は、いいんだよ! あたま空っぽにして楽しめよ!」
と言うのは簡単ですが、それを徹底するというのは(予算面も含めて)なかなか難しい事です。
それをやり遂げた「ビーキーパー」には、「お見事!」と言いたい。
VI、パート2
海の向こうでは、早くもパート2の噂が飛び交っているようです。
前述の通り、この映画の勝因は「良い意味でのドラマ性の無さ」にあると個人的には思っています。
もしパート2が作られるのであれば、この点が少し心配です。
中途半端にドラマ性を盛り込んで、どっち付かずの作品にならないか? っていう心配です。
それと、もうすぐ60歳になるジェイソン・ステイサムが、体の切れ味を維持できるかも少し心配。
動きを良く見せるカット割などの技術が今は確立されているから、余計な心配は無用なのかもしれませんが。
VII、大菩薩峠
この記事を書いていたら、仲代達也版の「大菩薩峠」を観たくなっちゃった。