ジョーカー
注意! ネタバレが含まれます。
Netflix で「ジョーカー」を観ました。
監督:トッド・フィリップス
以下、ネタバレ感想。
(少し、間を空ける)
昔、僕が書いていた映画感想日記を読みなおしたら、2020年にこの映画を動画配信で観たと記してありました。
4年半ぶりの再視聴となります。
冒頭の場面でもう既に、主人公が悲しみと怒りを溜め込んでる事に気づきました。
そこから映画の最後まで、ずーっと主人公だけを写し続けるんですね。
一般的な映画にある「一方そのころ別の場所では……」っていう描写が無い。
ウェイン家の当主や、ロバート・デ・ニーロ演じる売れっ子コメディアンが何かを言ったとしても、それは必ず、主人公が観ているテレビの画面という形式で表現される。
この映画、最初から最後まで主人公のワンマン・ショーです。
つまりホアキン・フェニックスのワンマン・ショーという事でもあります。
極論、ホアキン・フェニックスの演技だけで2時間の映画を作ってしまったんです。
しかも、それが確かに成功している。
彼の演技は、やっぱり素晴らしい。引き込まれます。
この「ジョーカー」は、社会の底で生きて来た男が闇落ちしてジョーカーになるまでを描いた作品です。
いろいろと酷い事が積み重なって、彼はジョーカーになります。
思ったよりも物語が理論的に出来ているというか、観客をして「なるほど、こんなに酷い目に合わされたならジョーカーになっても仕方がない」と納得させるだけの裏づけがされています。
そこがこの映画の優れた点でもあり、物足りない点でもあると思いました。
パート2
おそらく、本来のバットマンの世界観に則るなら、このあと主人公は悪のカリスマとしてジョーカー団を率いてゴッサム市の暗黒街で悪の限りをつくし、バットマンと丁々発止の頭脳戦を繰り広げる事になるのでしょう。
しかし、このジョーカーに関しては、ちょっと、そういう未来は描きづらいと感じました。
悪のカリスマすなわち「高い知能を持ったサイコパス」とは、真逆の性格付けだからです。
何らかの飛び道具……例えばSF的なアイテムを使って飛躍的に知能を向上させた、という設定が追加されるなら、まあ納得しますが。
でも、そういうのは、この「ジョーカー」のトーンに合わないような気もします。
うーん、どうなんでしょう。
明日、気が向いたらパート2を観に行って来ます。
本国では相当にヤバい評価だと聞きますが、日本での評価はどうなるでしょうか?
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