掌編小説 春風

 ここでこうして桜を見るのは、今年で二回目だ。放課後、誰もいない教室で私は窓を開ける。
 中庭の桜が満開だった。目一杯に花弁を開いた一つ一つがたくさん集まると、こんなにも目を引くものなのか。あの淡いピンク色はこれだけ咲いてもしつこくなく、むしろ奥ゆかしく繊細な雰囲気をまとっている。

 私は、ブラスバンド部に所属している。ちょうど去年の今頃に入部した。あの時も桜が満開だったのを、はっきりと覚えている。
 あれから1年が経つ。時の流れについて思いを馳せるときりがないので考えないようにしているが、この高校での生活が有限だということは常に心に留めている。
 合奏の前の、個人練習の時間。この何気ない行動も、いつかはしなくなるのだろう。それが当然なのだと頭では理解しつつも、ふとこうして情緒的な景色を目の前にすると、そんな当たり前のことが不思議にも感じた。

 おもむろに譜面台を立て、楽譜を入れたファイルを乗せると、窓から強い風が吹き込んだ。ファイルのページが、ぱらぱらとめくれる。
 「春風」
 私は、思わずつぶやいた。
 今年の夏に部の仲間たちと参加する予定の、吹奏楽コンクール。話し合いの結果、いくつかある課題曲の中から「春風」という曲を演奏することに決まった。
 春風というとそよそよと吹く弱い風を想像していたのだが、この課題曲「春風」は私の想像をきれいに一新させた。春が来た喜び、生き物たちの生命力を感じさせるような、力強いマーチだった。

 中庭の桜を見る。あの桜にぴったりの曲だと、真っ先に思った。
 再び強い風が吹く。花びらが木の枝から離れると、ひらひらと舞う。そう、散るのではなく舞うのだ。それは喜びの舞であり、終わりではなく始まりなのだと、桜が教えてくれているようだった。
 私は、あの桜を想いながら「春風」を演奏する。春の力強い風が生命の躍動を際立たせる光景を、音楽で表現するのだ。きっと、できるはず――。

 毎年春が来ると、この瞬間を思い出す。それくらいに鮮烈だった、青春の記憶。
 今年も春風が吹き、桜が舞う。

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