掌編小説 檸檬

 ごつごつとした黄色い表皮に、頬を近づける。ひんやりとしていて、思いの外なめらかに感じる。
 昔から近所にある八百屋で檸檬をひとつ購入した少女は、意気揚々と帰宅した。

 由依は檸檬が好きだ。頻繁に八百屋へ通い、少ないお小遣いで檸檬を買う。良いときも悪いときも、由依の小さな手には檸檬があった。
 感情がリンクしているように思えた。ますます檸檬がかけがえのないものになっていく。由依が笑うと檸檬は甘くなり、泣くと酸味を増した。

 檸檬を丸かじりすると、果汁が口元を伝った。それでも構わず、由依は檸檬に食らいつく。
 皆は口を揃えて「檸檬は酸っぱい」と言うが、由依はそれを否定した。酸っぱいときもあれば甘いときもある、苦いときもある、と。
 檸檬の上辺だけを見て判断されるのが嫌だった。由依も、同級生に同じことをされて何度も嫌な思いをした。ふいに暗い記憶が顔を出したことに驚いて、ぎゅっと目を瞑る。

 全部自分が悪いのだと責めたこともあったが、今振り返るとそんなことは決してなかったと断言できた。相手にも非はあった。それなのに、なぜか気持ちはいつまで経っても晴れ渡らない。
 由依の中で、何かがつっかえてしまって取ることができない。正しいことって何だろう。
 それらしい意見をぶつけられたって、人は簡単には変われない。悪意に抵抗しても、最後は虚しくなるだけだった。答えが出なくて、とても苦しい。

 しばらくして恐る恐る目を開けると、手には食べかけの檸檬があった。それだけのことなのに、なぜか安心する。
 涙で視界が滲んでいくのを感じながら、大きな口を開けて檸檬にかじりついた。
 

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