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感受性が憎かったのにギフトだと気付いた
なーんでずっと気付かなかったんだろう。すっごく大切なものだって気付くまでこんなに時間がかかってしまった。
私だけに贈られた特別なギフト。
きっと素敵な形にしてく。何かしら作り上げていくから。
感受性のことを一度書いたら終わりじゃない。感受性のこと色んな方面から書きたい。感受性にはたくさんの側面があるから。
何回おんなじこと書いたっていいじゃん。満足するまで感受性について書いてみてもいいじゃん。
今日の感受性。昨日の感受性。5分前の感受性。今の感受性。未来の感受性。
右から見たバージョン、左から、斜め上から、下から。次は見ないふりとか。
感受性についてだけでも一生書けるじゃん。(そんなことはないけど)
何にも縛られない。私は私の好きなように書いていく。
この感受性と書きたい気持ちがあれば最強かも。過去も今も未来も全部言葉にしていきたい。全部、感じ取って生きたい。
過去の全ての経験もありがとう。嬉しかったこと、悲しかったこと。経験できたのは生まれてきたからだし、今も生きているからこそ。
辛いことばっかに目が行きがちだった若い頃の私は、感受性の強さが憎かった。私は弱い、ってずっと思ってた。なんで他の人が平気なこと私はこんなに悩んでしまうんだろう、考え込んでしまうんだろうって。
自分の思考が嫌だった。自分が嫌だった。たくさん自分のいいところ探したけど、そんなのどこにもないような気がして悲しくなって。なんのために生まれてきたんだろうって考える毎日。
生きてきた意味なんて死ぬ時にしか分かんないよね。死んでも分かんないのかも。だからいいんだよね。いっぱい考えることができるから。考えることができるのってすごいことなんだよね。素敵なこと。
だから私はこれからも生きる。書き続ける。
感受性が強いからなんでも拾って言葉にして生きていく。苦しいばかりと思っていたけど、やっぱり今はギフトとしか思えない。
ギフトと思えるまで生きていて良かった。生きてるといいことあるって言うけど、やっぱりそうだね。生きてるっていいことだね。
私は私に生まれて良かったよ。私は私が好きになってる。書くのおかげで好きになれた。あんなに憎かった感受性でさえもギフトに思えるほど。