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『新版 思考の整理学』を読んで、      童話『桃太郎』を考える

外山滋比古先生・著(ちくま文庫)

童話『桃太郎』には諸説ある。
流れてきた桃を食べたおじいさんおばあさんが若返って、桃太郎を授かった、というのは有名な説。
桃は若返りの効果、不老長寿の象徴のイメージと、女性を想起するキーワードでもあるから、なるほどなー。と思ってた。

ところが今の形に落ち着いたのは、どうも江戸時代に、子どもたちに「どうして若返ったら赤ちゃんができたの?」と聞かれて困った当時の大人たちが「桃から桃太郎が」と話したのだと、ネットに書いてあった。(ほんとかな?)

どんぶらこ

ところが、この本では「桃太郎」の出生には「インブリーディング」を戒める教訓を含んでいるように思う、と違う角度で分析されていた。
そういえば、昔は家督とか家名とかの理由で、近親結婚が繰り返されてきた歴史がある。
そのためか、後継ぎができず養子縁組をすることは一般的だったように思う。由緒正しいおうちとかお武家さんとか。
このおじいさん、おばあさんもそのインブリーディングの弊害を受けていたとし、桃の正体をこう仮定する。

「河を流れてきた桃というのは、縁もゆかりもない”流れものの女”である」

なんと! さらに艶っぽい話になってきた。

「”流れ者の女”などとしては人々に受け入れられない。それで河を流れてきた桃とした」

そして、その桃から健やかな桃太郎が生まれるというのは、優生学上の知識を具体例で示したことであるにすぎない、と論じている。

(私にとっては)新解釈!

驚きはまだ続く。
それを読んで、私はてっきり、その流れてきた女をおばあさんが内助の功として、おじいさんにすすめたのかと思った。
しかし著者は、その女を息子に娶せたとしている。

息子いる設定なの? その可能性を考えたことなかった!
なんてことだ。私は自分の旦那に愛人を進める「昼メロ」ルートを想像してしまった。

「(あわれをとどめるのは、桃太郎の父親である。どこにも姿をあらわさない。おじいさんは、いるにはいるが、山へしば刈に追いやられて、嫁えらびには口が出せない)。」

それも新解釈!!(私的に)

「昔の人たちがインブリーディングの害にいかに深くむしばまれていたかの証拠である」

とあったので、これはおじいさんおばあさんだけの問題ではなく、親類縁者が寄り集まった村だから、息子がどの家から嫁を貰っても子どもができない(できにくい)ということだろう。

著者としては、ここだけをクローズアップして紹介されるのは不本意だと思う。
単に知識の偏りだけではいけないよ、という事例のひとつとして紹介されている。本当は、若者へ新しい頭の使い方について書かれた本だ。

ただ私が、在来野菜の「種」について割と常に、日々つらつら考えているから、読了後の今現在、この一部分が心に刺さったということ。
きっと読んだ人、ひとりひとりが違うところで気づきを得られる本。

読み手のその場その時に刺さる一文。それは人によって違うのだ。
そこに気づけるのが読書の醍醐味。と、私は思う。

ということで、タイトルに則り、自分なりに「思考を整理」してみた。

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