泣ける小説 僕は生きているんだ
「ありがとうございました。」
いきつけの和菓子屋で言ってもらえた一言。
僕はお客さんとして行っているから当たり前のことと言えば当たり前のこと。
でも僕はどこに行っても孤独だった。
家族の中でも孤独を感じている。両親との関係も上手くいかなかった。
両親は世間通り良い大学に入り、良い企業に入ることを望んでいた。
でも僕自身はその両親の期待には応えられなかった。
その期待に僕は応えられなかった。勉強することに何の価値があるのか見出せなかった。
就職する時も大企業ではなく、自分の好む中小企業を選んだ。
この時も両親の期待に沿えなかった。いや沿わなかったという方が正しいか。僕は反発していた。僕は両親のものじゃない、僕は1人の人間なんだという気持ちが強かった。
その企業を選んだのは、その企業の商品をずっと使っていて好きだったから。その企業の商品なら自分も自信を持ってお客さんに提案出来ると思ったから。
アルバイトをしていて、好きでもない商品をお客さんに提案して買ってもらうことが心底嫌だった。すごく悪いことをしている気がしていた。
その経験があったから、僕が就職した時は自分が自信をもって販売出来る商品を買ってもらう。これがテーマだった。
そのこと自体は就職しても間違っていなかった。僕も自信を持ってお客さんに提案が出来たし、実際その熱意が届いて買って下さったお客さんが何人もいる。その点はすごく良かったと思う。
でも一方で人間関係も勤務の環境も良くなかった。
いわゆるブラック企業だった。朝早くに出社したはずが、帰宅するのは深夜になることばかり。そのまま会社に寝泊りして、翌日も通常通り仕事をすることなんてざらにあった。
人間関係もそんな状況だからか、周囲の人は不満ばかりを募らせていた。
新人に当たり、嫌なことは新人に勉強と言う名目の元押し付けることばかりだった。
そんな風潮が心底嫌だった。
チームとしてやっていくのではなく、個人の集まり。集団に過ぎなかった。
今思えば誰もが会社に恨みを抱いていたんだと思う。
だから自分だけは早く帰りたい。自分だけは楽をしたい。そんな気持ちが蔓延して、社内の空気となっていった。
僕は商品のことは好きだったが、この会社では続けられないと思い、早期退職を選んだ。強引にでも辞めることを選択した。
上司にはこんなに早く辞めてすんなり次が決まるとでも思っているのかと脅されたが、それも何とか勇気を持って退けた。
僕が言ったのは辞めますの1言。相手が何と言おうがこの1言だけを返す。
前後の言葉など関係無しにただひたすらに辞めますと言い続けた。1時間言い続けると相手が折れた。
このままこの会社に居続けると僕は壊れてしまう。壊れても誰も責任なんて取ってくれない。そんなことを入って1ヶ月で思い知った。
壊れてもそれは自分がやってきたことで、俺等は知らないと言う上司を見てこういう世界もあることを知った。
辞めてからというもの、両親との関係もさらにギクシャクして、仕方なく家を出るしかなかった。
確かに経済的なことを考えれば家にいる方がまだ良いと思う。でも僕はそれよりも自分らしくいることを選んだ。
3畳1間の古いアパートでもここから進んでいくしかなかった。
どんなに貧乏しても、どんな生活に苦労しても心まで腐りたくなかった。
でも不安がなかったわけでもない。すぐには職場は見つからず、日雇いでなんとかその日の収入を得る日々。このままやっていけるのかなと思いながらも、時間があれば求人に目を通して、自分の気質や会社の概要を見ては電話を繰り返した。
そして今の会社に辿り着いた。
今の会社は前職と違い、のんびりした社風の会社。
社長は自分だけが儲かることを良しとせず、自分の収入はそれ程多くなくても良いから、お客さんもそれから社員も幸せになるように考えている。
社員のプライベートも大事にしてくれる。
面接の時に聞かれた。
「君は何の為に働こうとしてるんだ?」
一瞬何を言ってるのか分からず、答えるのに困った。
「生活をする為に、自分らしく生きていく為です。」と答えるのがやっとだった。答えになってないような答え。
その時に社長はこう言った。
「僕はお客さんもうちの社員も幸せになるために働いています。僕はもうこの会社を作った時点で幸せになっているんだから、次はお客さんはもちろんだけど社員が幸せに生きないと会社を作った意味がない。」
こんなことを言う人と初めて出会った。
次の瞬間、自分でも驚いたが、立ち上がり深々と頭を下げていた。
「お願いですから、この会社で働かせて下さい。」と頼み込んでいた。
「お客さんにもここで働く同僚にも幸せを分かち合う自信があるのだね?」
社長はこう言った。
「あります。それだけは絶対にあります」
「宜しい。じゃあ共に頑張ろう。僕は上下で考えない、僕等は同志なんだ。」
こう言って僕を採用した。
その帰りに自分へのお祝いも兼ねて会社近くで大好きな和菓子を買うようにした。そこで自分も生きているんだと実感した。
これまでの人生ではいろんなことがあった。家族の難しさや前職では違う世界で生きるような人達も見た。
でも今日のように他人の為に生きる人達もいることを改めて知った。
僕はどういう人生を歩んでいきたいのか。
そのヒントとなるような人達、僕は生きているんだ。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
藪田建治でした。