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自分の意思を持って他人に接しよう

「あの人みんな避けてるからあなたもするでしょ。」
「みんな避けてますよね。」
「だってみんな変だって言ってるし、行動を見ていてもおかしいもん。」
 まあ分からないでもない。すぐ物を忘れるし、どこにやったかも覚えてない。そそっかしいから、一緒に仕事をしていてイライラすることが多い。
 でも僕は嫌いじゃないし、もう少し言葉を選んで欲しいとは思うけど、根は良い人だと思う。人の陰口とかは言わないし。
本心は避けたいとは思わない。自分がそこまで嫌っていないのになんで避ける必要があるんだ。僕にはそこまで冷めた人間にはなれない。だってやっぱりその人の気持ちになったら悲しい。
 自分がされて嫌なことは他人にしてはいけない。自分がそれほど嫌と思っていなくても、もし相手がそれを嫌がっているなら、それはやっちゃいけないこと。彼も避けられている現状は喜んでいない。仮に人との関わりはそれ程求めてなくても、避けられてる状況を好ましく思う人はいないだろう。
 さっきの先輩も自分の本心はどうなんだ。変っているとしても避ける程相手を疑ってみる必要性を感じているのか。ただ周りに流されているだけだろう。みんなと同じようにしていないと自分が被害に遭う。自分に不利益が生じる。俺はそんなこと下らないと思う。良い年した人間がすることかと思う。
 だったら自分の行動を変えられないか。他人に自分の行動、意思を決めさせるんじゃない。自分で決めるんだ。これは何もその人への接し方だけじゃないと思う。例えば自分の将来なんかももちろんそう。誰かに決められて良いわけがない。
 じゃあこのことも自分で決めよう。
「まあおかしいと思う気持ちは分かります。でもまあ個性があって面白いんじゃないですか。」
「えっあの人の肩を持つの?」
「いや肩を持つとかではなくて、なんとなくモヤモヤするんですよ。」
「でもみんなそうしてるよ。」
「みんながそうしているから自分もみたいなことって他人の目を気にしているでしょ。じゃあ自分の意思を持ってないってことじゃないですか。僕は好きじゃないんです。それって悲しくないですか?まるで他人に自分のことを決められてるみたいで。」
「そうは言っても他の人に変な目で見られるよ。」
「まあその気持ちはすごく分かります。だから別に正面切って反発しようとは思わないですけど、自分は自分の行動をしようと思います。だって多様性の求められる時代で、この小さな社会にこだわっていると、社会から取り残されてしまいますよ。友達にふと話した時に未だにそんな考えでいるのって言われたら嫌だってこともありますけど。友達にそう思われるのって嫌じゃないです?」
「確かに。なんか遅れていると思われそうだもんね。ちょっとだけ変えようかな。」
 僕の本意ではないけど少しずつ変わってきた。変わっていくことがまずは大事だし、他の人も本心はそんなに気にしていない。ただ周りの目が気になって発言したり、変えることが出来なかっただけ。
「もちろん自分のこともあるので無理にとは言わないですけど、自分のペースで変えていけば良いんじゃないですか。」
「そうね。」
 周囲に流されて自分のことを見失ったり、自分の意思まで決定されたくない。自分のことは自分で決める。


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