そこで待っていて
私は自分の親をいわゆる「毒親」というほどではないと思っている。
ただ、機能不全家庭だったのだということに最近気付いた。
幼少期から辿ってみれば、まぁ「毒親」に当てはまるようなこともあったかもしれないが、
なんせ私が14歳で心を病んでしまったものだから、それを支え続けてくれた両親には感謝している。
うちはいわゆる「過干渉な母」と「無関心の父(父親不在)」だった。
母はあれこれと心配して、私のほぼ全てのことに干渉してきた。
けれども私は命が危ういレベルで病んでいたので、母としては当然の心配だったろう。
私がやりたいということは割と自由にやらせてくれたし、金銭的にも援助してもらっていた。
私が本を出版することになれば協力してくれたし、私が音楽をやることになってからもずっと援助してくれた。
好き勝手やらせてもらってはいたが、様々なことの決断は母が下していた。
正確には母が「こうすべき」ということを、私は全て正しいと疑うことなくそれに従う決断を私がした。
一人暮らししていた頃も、私があまりに自堕落な生活をするもんだから心配してよく来てくれた。
27歳で私が結婚して初めて親と離れて暮らした。
とはいえ毎日メールを送っては両親の写真を見ただけで淋しくて泣いていた。
新婚の27の女が毎晩ホームシックで泣いてるだなんて誰にも言えなかった。
全て母にやってもらっていた私は、役所での手続き、光熱費の支払い、料理、なにも知らなかった。
こんな浮世離れした女、夫も呆れていたであろう。
兎にも角にも私は主婦になったのだ。
家事をしなければならない。
はじめの頃、私は自分でもなぜかわからないがずっとイライラしていた。
洗濯物を干していてハンガーが頭に当たったとき、洗い物をしていて食器がカチャカチャ当たる音が気に障ったとき。
そんな些細なことで一気に沸点に達し、怒りが溢れて止まらない。
大声でハンガーや食器に暴言を吐いて投げつけたりした。
投げたハンガーが真っ二つに割れても怒りは収まらず、暴言を吐きながら更に踏みつけたり殴ったりした。
これはまずい。さすがにまずい。
アンガーマネジメントをネットで調べた。
「怒りのピークは6秒しか続かない」
「沸点に達したら6秒数える」
馬鹿馬鹿しいと思いながら、投げようとした茶碗を右手に持ったまま6秒数えた。
怒りがスっと消えた。なんてことはないが、
「ぐぬぬ…まぁ今日のところはこれくらいで許してやるか…」くらいには抑えることができ、茶碗を持った右手をそっと下ろした。
夫の言動にイライラしたとき、「お母さんだったらこう言うよな」と思うことを疑問視もせず夫にぶつけた。
全てのこと、何をするときも「これはお母さんはどう思うかな」「お母さんならダメって言うだろうな」という思考だった。
親の言うことは全て正しいと信じて疑わなかった。
ある日、内容は忘れたが母に連絡した。
「お母さんはこういう風に言ってくれたけどできなかった。お母さんが正しいのにごめんなさい」的な内容だったと思う。
母からきた返信には、「親が全て正しいわけじゃないからあなたはあなたで考えて」的なことが書かれていた(ザックリすぎてすみません)
え!?親が全て正しいわけじゃない!?
嘘?そんなことあるの?え?
急に突き放された感じがして混乱した。
後日カウンセリングで、夫に対して言った言葉などを話したら
「それはお母さんの怒りであってあなたの怒りじゃないね。本当のあなたはどう感じるのかしら。」と言われた。
母の感情と自分の感情を分けることさえできていなかったのだ。
そこから急速に「自分はどう感じるか」を考え始めた。
ようやくニョキっと自分の感情が出たかと思いきや、すぐに母の感情が出てきてそれを否定しようとする。
それでも繰り返し繰り返し自分の感情を感じる練習をした。
結婚して2年目くらいでかなり自分の芯ができてきた。
実家に帰ると変に疲れるようになってきた。
本来の私は随分と穏やかな人間だったようだ。
かなり怒りのエネルギーに振り回されていた。
本来の自分が強くなるに連れて、精神も安定したように思う。
結婚4年経った今、勝手に距離を感じていた姉と仲良くなった。
親についての話をして、姉もそう感じていたんだなぁとか、長女である姉の方がきっと辛かったろうと思う。
ところが最近またひとつの問題にぶつかった。
父のことだ。
私は優しくて穏やかな父が大好きだ。
だけどなんだかモヤモヤする。
18歳の頃にカウンセリングで「あなたはファザーコンプレックスね」と言われたことがある。
私は父が好きすぎて、大人になっても尚「お父さんと結婚したい」くらい好きだった。
その頃はカウンセラーに言われた言葉の意味がよく分からなかった。
最近、精神科で父の話をしたとき、10年通っているクリニックのドクターに「あなたからお父さんの話を聞くのは初めてだね」と言われ驚愕した。
確かに私のエピソードには父がいない。
とは言っても仲は良いし、幼少期からよく家族旅行にも行ったし、結婚してからも実家に帰れば色々話したり一緒に出かけたりしていた。
一人暮らし時代も結婚して夫と喧嘩してキーっとなっている私を迎えに来てくれたりしたし、父は私を愛しているのは知っている。
だけど過去の私のエピソードの肝心なときにはいつも父の存在はなかった。
薄々はわかっていた。
昔からなんだか知らないけどすごく年上の男性ばかり好きになる。
実際に私の夫は13歳年上で、姉も10個上の旦那さんと結婚した。
恋愛感情がなくても、仲良くなる友達も年上だったり、妹分や娘のように可愛がってくれる人の懐に入ろうといつも必死だった。
私は音楽が好きでよくライブハウスに行っていたので、バンドマンによく懐いた。
向こうからすれば小柄な女が毎回のようにライブに来て屈強な男たちに負けじと暴れてる「変な客」だったろう。
毎回居るもんだからみんな顔を覚えて話かけてくれたりした。
そして大体の可愛いがってくれる人たちを私は「パパ」と呼んでいた。
「パパー!来たよーっ!」つって毎回ベロベロに酔っ払いながらモッシュやダイブをしている本当にやべぇ奴だった。
サークルモッシュ(みんながグルグル円を描いて全速力で走る恐ろしいもの)でスニーカーが脱げそうになり、後ろの人に突き飛ばされて数メートル吹っ飛ばされたことがあった。
何度転んでもサークルモッシュに戻ったが、3回目くらいで心が折れて最前列までダッシュして柵から身を乗り出していたら、演奏中のバンドマンが爆笑しながら頭をポンポンしてくれたのがすごく嬉しかった。
話が脱線してきたが、とにかく「パパ」と呼びたくなる人を見つけては懐いていた。
何故なのか、まるでわからなかった。
そして最近になって点と点が繋がるように私の脳内で全てがガッテンいったのだ。
私には父が足りなかった。
「お父さんこっちをみて」
「お父さん助けて」
「お父さん迎えに来て」
ずっとそう思っていた。それに蓋をしていた。
たまたま「父親不在」についての記事を読んだ時、久しぶりに声をあげて泣いた。
自分でも驚いた。
あぁついにパンドラの箱が開いてしまった。
カウンセラーの先生には「今からでもお父さんを知ればいい。やり残した人生の宿題に取り掛かったのね。」と言われた。
果たして今から何をどうしたらいいのか見当もつかない。
それでも私はやり残した宿題をやろうと思う。
私は両親を決して憎んではいない。
両親もまた、機能不全家庭の子どもで、被害者だったのだ。
これについてはかなりややこしい話なのでまた別で書こうと思う。
「父」「母」のモデルがない中で必死に私を育ててくれたのだ。
「機能不全家庭」という表現も少し違うような気もする。
どんな人や家庭も少なからず色々な事情を抱えているし、その事情の程度の差があるだけだと思うから。(明らかな虐待などはまた違うと思うが)
ただ、このAC(アダルトチルドレン)の連鎖は私の代で止めたい。
そのために私は知るのだ。
そしてしっかりと向き合っていくつもりだ。
私のうずくまっているインナーチャイルドを迎えに行くために。
「そこで待っていて。必ず迎えに行くよ。」
幼い私にそう伝える。
長々と書いてしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございます。
今回はこのへんで。