国破れてアンパンマンあり
やなせたかし『アンパンマンの遺書』を読んでいます。
青年時代のやなせさんは、戦争に敗れた日本が、軍国主義から民主主義へと大きく方向転換する状況を目の当たりにしました。
子どもの頃から刷り込まれてきた「天皇は神」、「日本の戦争は聖戦」といった忠君愛国の思想が取り払われ、デモクラシーという新しい正義が、町や国全体を覆っていきます。これまで信じてきたものが価値を失い、別の正義が台頭するのを目の当たりにしたのです。
それまでの価値観や考え方が音をたてて崩れ、変わっていく様子を眺めていたやなせさんは、献身と愛だけは、逆転しない正義であることを確信します。
あらゆる正義は突然逆転してしまうことがあるが、献身と愛の価値だけは、戦時中であれ戦後であれ変わらないことに気づきます。
この考え方が、のちのアンパンマンに繋がっていきます。
この部分を読んでいて印象に残ったのは、「決して大げさなことではなく」という部分です。「献身と愛」と言っても、わざわざ大げさなことを言ったり、したりする必要はありません。
おなかをすかせた人がいれば、その人に一片のパンを与えること。
やなせさんにとっての「献身と愛」とは、「眼の前に困っている人がいれば手助けする」というような、そういったシンプルな、日常の中での実践です。
しかし、私もそうですが、私たちはときに、物事を大げさに考え過ぎてしまうことがあるのではないかと思います。
眼の前で困っている人を放っておいて、わざわざ組織や体制を批判したり、大掛かりな制度や仕組みをつくろうとしてしまうことがないでしょうか。
もちろんマクロな視点での問題解決も大事ですが、まずは眼の前の人に対する実践が先なのだと思います。
抽象的な思想や、大掛かりな仕組みづくりに走る前に、まずは眼の前で困っている人にきちんと向き合い、「今できる」ことを実践する。働くうえでも重要なことだと思います。
大げさではない、シンプルな「献身と愛」のあり方について考えました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?